キュレーターズノート

塩田千春「私たちの行方」

川浪千鶴(高知県立美術館)

2012年05月01日号

 ベルリンを拠点に活動している塩田千春の「私たちの行方」と題した新作個展が、現在、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催されている。

私たち/彼女のリアリティ

 塩田の作品といえば、泥まみれ水浸しの巨大なドレス、焼け焦げたピアノ、部屋にびっしりと張り巡らされた毛糸とベッド、使い古された無数の靴や窓枠などが思い浮かぶ。圧倒的な存在感を放つインスタレーションは、日常のモノを通じて、人の営みと心の中にいつしかたまっていく「洗っても洗い落とせないわだかまり」を鋭く照射してきた。
 塩田自身の感覚や切実な体験をもとに制作された作品は、人間である限り誰しもが持つ不安や孤独の記憶を、不穏な感情をかき立てる。とともに、不在は存在を、不安は安心を強く意識させもする。塩田作品が孕む両義性と境界性、そして普遍性について、よく指摘される所以である。
 優れたアーティストの作品に共通した特徴といえるそれらについては、まさにその通りなのだが、こうした予定調和の結論に急ぎ歩を進める前に、もっと素直にシンプルに作品を見ることを、そしてなによりも“生きて在る”塩田のリアリティに触れることを大切にしてみたい、本展会場を訪れてあらためてそう思うようになった。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて

 今回展示されているのは、大きな廃船を使った《私たちの行方》、古いスーツケースを壁状に積み上げた《集積−目的地を求めて》、ドレスにまとわりついた無数のチューブが赤い液体を循環させる《不在との対話》などのインスタレーション3点に、ドローイングやオブジェ、映像作品を加えた計17点。
 展覧会タイトルにもなった《私たちの行方》は、瀬戸内海に面した香川県丸亀市という美術館の立地に触発された、本展のための新作インスタレーション。浅い水をたたえた黒いプールに、川船として使われた木造の廃船が二艘、脚のような支えをつけて、艘先をそろえ水面から少し浮き上がった位置に固定されている。天井からは如雨露のようなシャワーノズルがぶら下がり、そこからときどき雨のように水が落ち、船体をぬらし、水面に波紋をつくる。あわせて船底にたまった水のしたたりも、暗い水面に何重もの波紋を描き出し、またそれらの反映が壁に光と影のさざ波を描き出す。「進化しているのか退化しているのか分からない人間が、何を目的に、どこに向かって進めばよいのかを考えざるを得ない、現在のわたしたちの状況」を示している。


塩田千春《不在との対話》 2012年

 本展のテーマは「壁」。長らくドイツに居住し、人とのつながりを持ちながらも「完全な他者」であることを重視してきた塩田は、「国家や宗教といった個人が属する枠組みは他者や自分自身を理解する助けになると同時に、その人が何者であるかを知るうえで妨げとなるのではないか、私たちはそうした越えられない壁を内在しているのではないか」と自問を繰り返している。
 塩田夫妻と小さい娘の3人家族は全員国籍も、母国語も異なる。それでも家族としてつながっているという実感と、ベルリンで生活をともにしているという現実。それは、内なる「壁」という限界を含んでいるからこそ生まれた、新たな可能性といえないだろうか。
 照明が少ない《私たちの行方》の空間は薄暗く、重厚で意味深な雰囲気を漂わせている。しかし一方で、過去の代表作品にはあまり感じなかった開放感のような、どこかユーモラスで飄々とした気配を漂わせてもいた。



塩田千春《私たちの行方》 2012年
photo by Sunhi Mang(上二点のみ)

どうやってこの世にやってきたの?

「……なぜか妊娠中は作品が作れなくなりました。作品が作れなくなるだけでなく、美術館にも行けなくなり、私の身体から美術が消えていくと不安になりました。でも出産後、育児とともに、制作を続け、美術がまた私の体の中に戻ってきたのですが、私の中に今度は2人の人間が住むようになりました。母である私と作家である私。」
[出典=「Inner Voice──内なる声」展図録(金沢21世紀美術館、2011)]
 
 塩田は、現在5歳になる娘が2、3歳のころに、生まれたときのことを覚えているかとふとたずねたところ、思いがけない面白い答えが返ってきた経験を持っている。そのときの強い印象をもとに、本展オープンぎりぎりまで時間をかけて新作されたのが《どうやってこの世にやってきたの?》である。
 ベルリンと丸亀の保育園に通う、2歳から4歳の幼児たち個々に「どうやって生まれてきたの?」と塩田がインタビューした内容が淡々と編集されたDVD作品。向かい合わせの10台ほどのディスプレイには、ドイツと日本の子どもが遊びながら塩田の質問に答えるさまが次々と映し出されている。
 お母さんのお腹にいたころのこと、出てくる最中のこと、そして出てきた後のこと。どの子も自分の出生の記憶/思い出を、自分自身の言葉で、当たり前のことのように生き生き語っている姿にまず驚かされる。お腹の中で見えていた色や聞こえていた音について話す子はとても多い。その世界はとてもカラフルで美しい。もちろん想像や創作も含んだ、思いつく端からのばらばらのおしゃべりなのだが、光や色彩など、どこか共通したイメージらしきものが見えてくる。幼児が語るほほえましい夢物語と決めつけて、聞き流がすことが次第にできなくなってくる。
 言葉を使った意志伝達ができるようになったばかりの幼児に同様の質問をした心理学者の実験結果を、以前本で読んだことがある。言葉の習得が進むにつれて、この原初の記憶はあっという間に失われてしまうらしいが、多くの幼児が生まれる前の、生まれたときの記憶を持っているらしいのだ。赤ん坊や子どもを未発達で未熟と決めつけ、保護という名の壁に囲い込んだ大人に問いかけられ発見されることがなくとも、胎内というお隣の異世界に“小さい人”たちは確かに住んでいる。
 母であり、作家である塩田は、この最新作において、つながりをむやみに広げることよりも、もともと“在る”ものに気づき、静かに耳をすまし、注意深く見つめ直すことに可能性を見出しているといえる。大規模なインパクトのあるインスタレーションに定評がある塩田だが、《私たちの行方》のかたわらに設置された、この小さな最新作には“生きて(すでに)在る”ことのリアリティを強く感じさせられた。


塩田千春《どうやってこの世にやってきたの?》(DVD、2012年)
以上、すべて丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の展示風景。特記なきものはすべて筆者撮影

塩田千春「私たちの行方」

会期:2012年3月18日(日)〜7月1日(日)
会場:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
香川県丸亀市浜町80-1/Tel. 0877-24-7755

学芸員レポート

故郷高知での塩田千春展

 さて、香川県丸亀市に引き続き、来年(2013年)の夏(7月〜9月)に今度は高知県立美術館で、開館20周年記念展として塩田千春展の開催を予定している。
 塩田自身は大阪生まれの大阪育ちだが、両親は高知県出身。現在も多くの親戚が高知県内に住んでおり、高知ゆかりの現代美術家ということができる。
 「私という誰からも奪われることのない体ひとつで何処へでも行ける」と、ディアスポラ的な生き方を身につけた塩田だが、その一方、日本人としての自覚、日本や故郷とのつながりは身の内に深く存在している。幼い頃、夏休みにフェリーを使った一晩の船旅でたどりつく高知は、眠ったまま運ばれていく不思議な異世界のようで、土葬の墓地での草むしり体験は死者の世界と直に触れ合うようでとても怖かったという。こうした塩田の体に刻まれた「洗っても洗い落とせない」記憶は、象徴的で興味深い。
 高知県立美術館での個展について、塩田は高知や家に関わるテーマを選び、高知の素材だけで新作インスタレーションを制作してみたいとも語っている。
 その身ひとつの行為、営為を、闇の中に瞬く光に向かって幾度でも伸ばすその手の先を、今度は高知の地で見ることができるのは幸いである。ご期待いただきたい。

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