キュレーターズノート

「MEDIA/ART KITCHEN YAMAGUCHI──地域に潜るアジア:参加するオープンラボラトリー」

阿部一直(山口情報芸術センター[YCAM])/井高久美子/渡邉朋也

2014年06月15日号

 山口情報芸術センターでは、7月5日(土)から展覧会「MEDIA/ART KITCHEN YAMAGUCHI──地域に潜るアジア:参加するオープンラボラトリー(以下「アジア展」)」を開催する。この展覧会は、日本や東南アジアの若手アーティスト5組が、山口市でフィールドワークを行ない、その過程で浮上した地域課題に対して、地元のさまざまな専門家の知見や、メディア・テクノロジー、そしてクリエイティブな発想を活かして、新たなビジョンを描き出そうと試みるものである。ここでは、担当学芸員らによる座談会形式で、展覧会の経緯、コンセプト、展望などを解説していく。

渡邉──今回、かなり久しぶりに山口情報芸術センター[YCAM]が出てくるわけじゃないですか。「artscape」誌上に。

井高──1年数カ月ぶり。渋谷慶一郎+岡田利規『THE END』以来ですね。

渡邉──これってようするに、「artscape」では、去年YCAMが開催した10周年記念祭に一切触れてないってことなんですよね。

阿部──それはそれで面白いんじゃないかな。10周年記念祭は、ワープのような特別な時間だったと思うんだけど、その空白の1年を経て、通常のラインに回帰してきたという意味で。

渡邉──だから今日は、ちょっと前に『THE END』を制作していた連中が、いつのまにか山の中に籠もっているという話になりそうです。

井高──まったく『THE END』と正反対ですからね。ただ、10周年記念祭のなかにも山に籠る予兆はあったんですけどね……。

地域に潜る「アジア展」とは?

渡邉──いま、YCAMのスタッフの大半は、この7月5日から始まる「MEDIA/ART KITCHEN YAMAGUCHI──地域に潜るアジア:参加するオープンラボラトリー」という展覧会の準備をしているところです。この展覧会は簡単に言うと、どういう展覧会なのでしょう?

井高──まず、日本や東南アジア各国からアーティスト5組に参加してもらって、山口の周辺地域でフィールドワークをしてもらうんです。そうすると、地域の人にはわからない課題、見過ごしていた知恵みたいなものがだんだん見つかってきます。アーティストごとに見つけた課題をいろいろな人々とメディア・テクノロジーを駆使しながら解決したり、知恵を広く伝播していく。ざっくり言ってしまえば、そのアーティストと地域の人たちの営為や対話のプロセスや集積を見せていく展覧会です。今年度から新設された「YCAM地域開発ラボ」もそのなかに参加します。


山口市阿東徳佐の農家の方に話を伺う展覧会参加アーティストのヴェンザ・クリスト

渡邉──いわば「コミュニティ・デザイン」の展覧会といったところでしょうか。各アーティストの取り組みは、プレスリリース(PDF)があるので、そちらをご覧になっていただきたいのですが、この展覧会には、地域課題の解決や、山口ならではの豊かな経験を持った市民とのコラボレーションなど、これまでYCAMがトライしたことのない要素が多数含まれるということですよね。

阿部──なぜYCAMがトライしていなかったのかというのは、けっこう大きなモチーフですね。意図的に回避していたのか、気付けなかったのか、あるいはそこに辿り着くために必要なアートセンターとしての積み重ねやプロセスが足りていなかったのかっていう、いろんな要因があると思います。僕は3番目だと考えていますが、そこにはサイバー・カルチャーとかコンピュータ・カルチャーのひとつの行く末というか、それらを取り巻く状況とオーバーラップする部分もあるのかなと思っています。

渡邉──たしかに、YCAMが設立された2000年代の以降の技術的な動向といえば、第一にオープン化だと思うんですね。過去には企業や大学によって「秘匿」されていた技術といったものがどんどん低価格化やオープン化が進み、敷居が低くなってきた。YCAMもその潮流のなかにあって、近年作品を制作する際に開発したソフトウェアやハードウェアをオープン化している。

井高──「Forest Symphony」や「Reactor for Awareness in Motion (RAM) 」などが代表的ですね。

渡邉──テクノロジーのオープン化というのは、これまで考えられてこなかった応用可能性を多くの人々と一緒に試行することだと捉え直せば、こうした技術的な動向の行き着く先のひとつに「地域の課題」があることは必然というか、とくに驚きはないと思うんです。

阿部──もうちょっと文明史的なところで言うと、20世紀というのは「しなければいけない」の時代だったと思うのね。たとえば、革命がなぜ起きたのかというと、「こう変わらなければならない」という人たちと、「こう変わってはいけない」という人たちの対立で、両方とも「しなければいけない」なので、それが瞬時にスパークして結局戦いになってしまうんですよ。そうなってしまうと、どうしても正面衝突を回避できない。相互の主張が浸透するための無音の時間や、経験値の閾域や重要性は認識されずに、銃声だけが残響するわけです。革命を啓蒙する革命はないでしょう。メディア・テクノロジーも、そうした「しなければいけない」というサイバネティクス的な軍事的使命と理想のもとに発生したわけだよね。でも、20世紀末以降からは、それが本来の意図を無効化してだんだん民間の知恵のなかに、自由多様に、ある意味好き勝手に時間体系もバラバラで併存的に浸透拡散してきた結果、無理なく、自然なかたちで使われるようになってきた。これは、近現代史の要素のなかでは独特な社会的経緯ですよね。

渡邉──よくコンピュータやビデオカメラの低価格化などということが叫ばれますが、まだまだ過渡期だと思いますよ。これからマッチ棒以下の価格のコンピューターとか普通に出てくるんじゃないですかね。これまではそれなりに高価だったから、壊れないようにするために、コンピュータのインターフェースのほうに僕らの身体だとか、ライフスタイルを合わせるかたちで使ってきたわけですが、価格がマッチ棒以下になったらそんなふうには使わないでしょう。使いたいように使って、もし壊れてしまったら捨ててしまえばいいんです。つまり、コンピュータをこれまででは考えられなかったようなシチュエーションで使えるようになるということです。ネズミにコンピュータを使わせたっていいし、木に取り付けるのも普通のことになる。

阿部──木にコンピュータを取り付けるということで言えば、「Forest Symphony」の準備の過程で、山口市内をはじめとするいくつかの地域の森へと出かけ、そこの木にオリジナルのセンサーを取り付ける作業を行なったんですが、それに立ち会ったときにある種の「アース・ダイブ」というか、生物学的な無意識が形成する見えない群の存在に触れるといった部分を焚き付けられた感覚があったんですよね。もしかするとそれが今回の展覧会につながっているという部分もあるかも知れない。植物化したコンピュータというのは、ネクストステージへの社会的進化でしょう。われわれの知見や感覚もそれらに影響されてまた大きく変わっていく。

井高──自分の場合は、同じく10周年記念祭で開催したcontact Gonzoの「hey you, ask the animals──テリトリー、気配、そして動作についての考察」がそうで、あのイベントでは、山口の奥地にある山に入って、いろいろな場所にオリジナルのカメラデバイスを設置して、野生動物の動きを監視し、そのデータを使って遊ぶということやっていました。その過程で「山の知性」みたいなものの片鱗に触れた気がしていて、それをどうにかアウトプットすることができないかという思いはずっとありましたね。いずれにせよそういう体験が背景にはありそうです。

「地域に潜る」のビジョン

渡邉──今回の展覧会の狙いはどのようなものですか?

井高──展覧会名に「地域に潜る」とあるとおり、日本や東南アジアのアーティストを山口のいろいろな地域に潜らせることで、これまで考えたこともないようなつながりをダイレクトにつくるということですね。フィジカルなダイブとネットワーク的なダイブが混合してるんです。

阿部──今回のアーティストは、まさにダイバーのような人たちばかりをチョイスしたということもある。みんな、表立った文明や様式の衝突ではなく、ある種の二重三重スパイのように潜り込むことができる。そういうことが大事なんだと思う。例えば、すでにヴェンザ・クリストは山口で何週間もフィールドワークをやったけど、彼の反応はどういったものだったの?

井高──やっぱり、日本とインドネシアとのギャップに驚いていましたね。たとえば、彼は竹に注目していて、インドネシアでは、竹は生えてきたらすぐ日用品の材料にしちゃうそうですが、日本では邪魔だから、切ったら燃やしてしまう。そういうのを彼はもったいないと思うようです。あと、山口市の阿東地域(市北東部)にお住まいの吉松さんという農家の方にお会いしたときのことは印象深いです。吉松さんが阿東の地域性を踏まえてやっている研究と、ヴェンザがインドネシアでやっている「HONF」というラボラトリーの活動が近かったんですよね。あのときの盛り上がりようは凄かった。「あっ、それ、自分もやってるよ」みたいな。

渡邉──山口の阿東の人と、ジョグジャカルタの人が、ある共通した問題意識でつながったわけですね。


山口市阿東徳佐の農家・吉松敬祐氏とディスカッションを行なうヴェンザ・クリスト

井高──吉松さんは、地域のすごく小さいコミュニティのなかのことを第一に考えているし、それはヴェンザも同じ。お互い小さいコミュニティにフォーカスし、潜っているがゆえに、グローバルにつながる余地が生まれるんだなと思いました。

渡邉──阿東の人から見たら、ヴェンザは「エイリアン」ですよね。ヴェンザにもその自覚はあると思います。だから、最初はエイリアンならではの視点でいろいろな違いに気づいていくんだけど、現地人との意外な共通点もだんだんフォーカスが合って見えてくると。

阿部──エイリアンということで言えば、そもそもYCAMも宇宙船みたいな存在で、それが不時着したものだと言えるかもしれない。あくまで予定通りの着陸ではなく、不時着。

渡邉──このあと、どこかに行っちゃうんですか?

阿部──どこにでも行ける、いつかどこかに行ってしまうという移動可能性をつねに意識化、顕在化させておく必要があるんじゃないかと。メディア・テクノロジーそのものがまさにそういうものであり、実態はつねにわからない訳だし、何に向けて進化しているかも誰もわからない。むしろ事後的な浸透や選択応用化こそが重要なわけでしょ。こうしたテクノロジーの現在的なあり方を指して、個人的に「テクノトゥルギー」と呼んでいるんですけど。先進的なことに取り組む文化施設というと、なんとなく大都市圏だけにあるように思い込んでしまいがちだけど、それは商業主義的なマスの成功を前提にした時代の産物であって、テクノロジーが散布敷衍された現在では、そういう認識はすでに過去のもので、アートセンターの未来は、大都市の鈍重さを回避して、むしろいろんな場所にあって潜行化しながらネットワーク化し、ミクロに発見したものを相互に刺激交換しあったほうが面白いものが生まれる可能性が高いと思うんですよ。だから、移動の可能性や遍在の可能性をつねに示す、漂わすことで、ほかの場所へのワープと交錯が本当に起こりうる。そういう状態に繋がっていけば良いと思う。さらに付け加えると、人類学視点から考えれば、人類が普遍的に共有可能なレヴィ=ストロース的な知性という水準が明らかに存在すると思います。レヴィ=ストロースの理論構成には牽強付会な側面ももちろんあるわけですけど、彼の理論の大半が60年代にすでに発表されているのもかかわらず、もっともそれにアクティブにアクセス可能なはずの美術館やアートセンターを巡る周辺が、いまだに何の影響も批判的にも取り入れていないというのは、かなり問題なのではないかと思うわけです。ケ・ブランリー美術館のようなものがあるにせよ、われわれが現在必要としているものは、レヴィ=ストロースが提示したものよりももっと先の世界ですよね。

井高──エイリアンも同じで、地域に潜ったあとに馴染んではいけないと思うんですよね。つねにエイリアンとして、違和感を持ち続けないといけない。だから、今回の狙いをもっと直接的に言うと、「おだやかに細く波風を立たせる」ということかもしれません。