キュレーターズノート

「MEDIA/ART KITCHEN YAMAGUCHI──地域に潜るアジア:参加するオープンラボラトリー」

阿部一直(山口情報芸術センター[YCAM])/井高久美子/渡邉朋也

2014年06月15日号

なぜ「アジア展」か

渡邉──宇宙船がエイリアンをいろんな地域に派遣するのは、SF的には普通なことですが、そもそもYCAMはアートセンターですから、そういう意味ではこうした発想はあまり一般的なことではないようにも思えます。今回のような展覧会を企画して実践する意義というのはどのあたりにあるのでしょう?

阿部──極端な話、モダニズムにおいては、社会におけるナチュラルな部分、ある意味バイオな固有性の部分から乖離していくのがアートの正統だったところがあって、美術館も、アートセンターも、基本的に社会情勢から乖離したものとして存在し、それが正当化されてきたわけですね。しかし、それが消費摩耗していった結果、作品の内容がほとんど更新不可能になっていくと同時に、作品は徐々に金融工学の商品となりだし、ただマーケットだけが回転しているという状態に陥ってしまった。そうなってくると、美術館やアートセンターが社会のなかの役割として機能不全をおこしてしまい、むしろ自らの制度すらも刷新できない疎外化された古臭い場所だという感覚も出てきてしまう。それなのに、ただ外箱のデザインだけが進化しているだけといったような。
 ここ数年で見ている範囲で言えば、ある意味での救いは、カッセルのドクメンタとかが、美術館とかアートセンターとかの制度とは別の発想や可能性として、国際イベントのあり方を打ち出し、社会の周辺性や環境をむしろ中心に据えて、巻き込んでいくことを意識的にやりだしたことでしょうか。カトリーヌ・ダヴィッド(1997年)やオクイ・エンヴェゾー(2002年)がコミッショナーだった回からそうした匂いは少しずつあったわけだけど、前回(2012年)のキャロライン・クリストフ=バカルギエフのときは、ロゴス中心主義の完全放棄ということを明確に謳っていて、かなり自覚的だったように見える。ドクメンタは元々、ボイスが唱えた「社会彫刻」を中心に据えるなどの伝統を持ちえていたから、そうした変換が可能だったということはあるにせよ、いまは巨視的に見て、そういう移行期・過渡期にいるんじゃないかと思います。

井高──多くのアートフェスティバルが、現実の暮らしぶりとか、そういったものから乖離した、あまりに非日常的なものを演出する傾向があるように思えるのですが、前回のドクメンタはそれを感じなかったですね。

阿部──ドクメンタは、相変わらず作家主義的なインデックスになっているんだけど、例えば、前回シカゴから参加したセアスター・ゲイツなんかは、何年もかけてリサーチして、さらには実際にカッセルの街に住み込んで、そこを作品として解放したり、さらには街の何かを再利用したりしていた。そういう長い月日をかけなければできないことから始めるプロジェクトもあったりするからね。ゲイツの場合、伝達するものが、作品としてのメタファを利用するというより、個人とか集団とかの実際にそこに住んでいるという存在/不在の気配そのものが作品になっているわけでしょう。そのあとに社会効果とかアクティヴィティがついてくる。

渡邉──現代美術が、これまでに遠ざけていたはずのナチュラルな部分、われわれの生活の基盤とか現実に接合しうるところへ回帰してきたと。

井高──contact Gonzoのイベントで山中に行ったときに感じたことも「現実」に関することだと思いますね。山中に入ると普通に身の危険とかあるわけだけど、周りの環境を把握してうまく使えば回避することができる。たとえば、ある時期の竹を割ると竹水という水が採れるんですが、そういうことにものすごく驚きを感じます。これをどうやったら劣化せず人々に伝えることができるか。そういうことに取り組みたいですね。


contact Gonzo「hey you, ask the animals──テリトリー、気配、そして動作についての考察」の様子

渡邉──テクノロジーって基本的に周辺に安定的な環境を生み出すためにある。そういうものを取り扱っているアートセンターが、山や森にリアルを見出すというのは、なんとも示唆的な気もします。いまのテクノロジーは、高度化と引き換えにブラックボックス化というか、身体と乖離してしまったことの裏返しなのかなと思いました。

井高──あと、ドクメンタに関して言うと、どうなるかわからないものを受け入れる勇気みたいなものも感じたのも大きいですね。そういう勇気を出せば、面白いものが生まれるという信念がある。多少、危ない気配があっても、とにかくまずは受け止める。それは今回、とても大切にしていることのひとつです。

阿部──一種の贈与交換だよね。それが非物質的なテクノロジーでも起こりえるのか、巻き込めるのかという問題もあるんじゃないかな。

「アジア展」の会場

渡邉──今回、ホワイエがメインの会場なんですよね。

井高──会場構成をdot architectsが担当していて、彼らが山口の山間部で採ってきた竹を使って、「ラボラトリー」と呼ばれる空間を五つつくる予定です。このラボラトリーで、ワークショップなどを行ない、課題解決に取り組んだり、新たな知恵の創出や伝承の共有などを図ります。

渡邉──YCAMは磯崎新の設計によるもので、2000年代の公共建築全般の特徴かもしれませんが、軽やかさと透明感が強く感じられる建築です。ホワイエというのはその象徴とも言える空間です。

阿部──垂直面はほとんどガラス張りだし、視界を妨げるような巨大な柱もないですからね。YCAMの企画展は、ホワイエから動線をスタートさせるパターンが多いので、そこで来場者に毎回異なるイメージを与えられるように腐心しているんですけど、今回の「アジア展」では、これまでとは大きく違う使い方になりそうです。

渡邉──ホワイエのそこかしこに、竹でできた大小さまざまなラボラトリーが併存しているというのは全体との対比として面白いなと思っています。ガラス+スチール対竹。竹って軽やかさがあるとかっていうレベルじゃなく、本当に軽いじゃないですか。


「ラボラトリー」用の構造物のモックアップ

井高──簡単に動かせますからね。今回、ラボラトリー間のコラボレーションを積極的に発生させたいと思っているので、ラボラトリーの配置を厳密には決めてないんですよね。だから、なにかあったら人力で移動させようと思っています。そのほかにも、ラボラトリー間をバイパスさせる構造物の増築や、竹を使ったスピーカーによる移動可能なサウンドスケープのデザインなどのアイディアも出ています。

阿部──ホワイエの左右には野外とつながったガラス張りの中庭があるけど、そこでは、東南アジア起源のキャッサバを栽培する畑空間が実際に出現するし、いままで気づいてなかったYCAMの建築の活用方法が見えてくるかもしれないね。

展覧会の見どころ

渡邉──ずばり今回の展覧会の見どころを教えてください。

井高──これはフライヤーのキャッチコピーでもあるのですが、今回の展覧会は「小さな村」自体を設営し、運営するようなところがあります。その関係性のなかではどうしても出展者同士が相互に影響を与え合ってしまうんですね。そういうなかで意図せぬコラボレーションが生まれると思うので、そこに期待して欲しいです。すでにそういうコラボレーションは生まれていて、たとえば、ヴェンザが竹に興味を持ってプロジェクトのプランを考えたら、それをdot architectsが「竹ええなぁ。なにかやろか」と言い始める。そこで彼らが竹を取りに阿東にいったら、地元の人が「竹なんて腐るほどあるから、いっぱい切っていけよ」となって、どんどん輪が広がっていく。地域の人の竹に関する知識をヒアリングして取り入れながら、竹の新しい使用法や空間提案などを、グラフィック・デザインを担当するUMA/design farmも含めた、関係者全員のディスカッションから生み出すといった具合です。しかもその隣にはキャッサバ畑がある。


竹を切るdot architects

渡邉──あらためて確認なんですけど、今回の展覧会っていうのは、なにかインスタレーション作品や映像作品をつくるというよりも、「知恵をつくる」あるいは「発見をする」それ自体を提示することなのでしょうか。

井高──そうですね。そういう「知恵」や「発見」をどうやって、「種」というかたちで他の人に渡していけるかということだと思います。無理にここで発芽しなくても、別のところで発芽すれば良い。

阿部──それは来場者がどこかで発芽させるのかもしれないし、アーティストが故郷に戻って発芽させるのかもしれない。そのへんを、その後も継続的にうまくトレースできたら、とても面白いと思う。これは、スターティング・ポイントというつもりでやっている部分もあります。この展覧会での実践がどのように波及していけばいいかを、リアルな伝搬性と電子ネットワーク的なログの集積による両面からトレースしてみたいところです。

井高──個人的にはスイカの種だと思ってあげた「知恵」や「発見」が、育ててみたらヒノキだったみたいなことを心のどこかで求めているのだと感じています。

MEDIA/ART KITCHEN YAMAGUCHI──地域に潜るアジア:参加するオープンラボラトリー

会期:2014年7月5日(土)〜9月28日(日)
会場:山口情報芸術センター[YCAM]ホワイエ、スタジオB、2階ギャラリーほか
山口県山口市中園町7-7/Tel. 083-901-2222