キュレーターズノート
「高齢社会における博物館の役割を考える」「高齢者とアートのしあわせな出会いセミナー」
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2015年04月15日号
高齢化社会とアート、そしてミュージアム。気になるテーマのシンポジウムが相次いで九州で開催され、足を運んできた。そのひとつは、レスター大学のジョスリン・ドッド博士を招いた、九州産業大学主催の「高齢社会における博物館の役割を考える──英国・レスター大学の事例から」であり、もうひとつは、アートサポートふくおか主催の「高齢者とアートのしあわせな出会いセミナー」である。
「高齢化社会」「縮小都市」においてミュージアムができること
前者で「Mind, body, spirit: Museums and an ageing society」
イギリスの博物館協会はこの問題にいち早く取り組み、「Museums Change Lives」というキャンペーンを始動させている。要約すると、ミュージアムは、市民のwellbeingの向上に貢献し、地域をより良い場所にし、人々に刺激を与えることがミッションとされている。そこで繰り返されたのは、異なるさまざまな文化セクターとの協働である 。例えば、マンチェスター博物館の高齢者向けのプログラムでは、元看護婦のスタッフが活躍しているという。
紹介された活動のなかで、もっとも感心したプログラムが、リバプール国立博物館のキャロル・ロジャースによる「House of Memories」である。イギリスにおける認知症のプログラムとして評価が高いこの事業は、ミュージアムの所蔵品を通じて、記憶を刺激する「回想法」の手法を採る。
例えば、「Memory suitcase」には、リバプール地域の高齢者の多くの記憶と結びつくであろう「子供時代」「女性と戦争」「1950、60年代の暮らし」などをテーマに、当時の鉄道ポスターや、戦時下のクッキングレシピ、伝説的なサッカーの試合を伝える新聞、などが含まれる。引き出した記憶を書きとめていく「Memory tree」などもキットの中に含まれている。また、極めて現代的なのが、タブレットなどがあれば福祉施設のスタッフも気軽に利用できる、アプリが開発されている点である。
そのほか、ランカスター地方のコテージ博物館での所蔵品を使い記憶を活性化させるプログラムや、スカボロー沿岸部での若者と高齢者の世代間ギャップを埋めるプログラムなどの事例が紹介された。また、併せて、長崎歴史文化博物館の竹内有里氏より、寸劇ボランティアをはじめとする、さまざまな教育プログラムの事例、福岡市美術館の神保明香氏からは60歳以上を対象とした「いきようよう講座」の報告が行なわれた 。
これらの「高齢者とミュージアム」の事例から、自分なりに考えを整理できた点のひとつに、「館や地域の特徴・個性を見極める」ことがあげられる。イギリスの事例からは、国の政策に、マンチェスターやリバプールといった「縮む」地方都市のミュージアムが敏感に反応しながら、身近な「もの」を通した「記憶の共有」といった博物館ならではの手法がうまくとり入れられている。それが、日本という国の──例えば熊本という都市の──現代の美術を扱うミュージアムが取り組むときに、どうデザインできるか。イギリスの後を追うように、2020年にオリンピックを開催する日本において、スポーツや健康福祉、そして文化に対する関心の高まりを追い風に、地方都市ならではの活動を目指していきたいと感じた。
九州産業大学国際フォーラム
「高齢社会における博物館の役割を考える──英国・レスター大学の事例から」
生きる力を引き出すアートの可能性
もうひとつ、アートサポートふくおか主催の「高齢者とアートのしあわせな出会いセミナー」
ARDAの並河氏の活動については、15年程前になろうか、大学在学中の筆者は初期のアートデリバリー講座の手伝い(というほどでもない賑やかし)にお邪魔していた。華道家の古川知泉氏のワークショップだったと記憶するが、高齢者施設では、大学で学ぶようないわゆる「アート」だけではない、幅広い芸術が求められること、また参加者にキット化した花材を用意するのではなく、多様ななかから能動的に選ばせることなど、いまも鮮明に記憶しており、ワークショップに対する視点にとても影響を受けた。ARDAの活動は非常に先見的であるにもかかわらず、活動の展開や資金など苦労する点も多く、まだまだこれからの分野であり、行政や市民の理解や協力が不可欠という点を繰り返して語られていた。
熊本県立劇場は、音楽や演劇を通したコミュニケーション事業に継続的に取り組んでいるが、新たな視点として興味深かったのが、地元の熊本保健科学大学という理学療法士や作業療法士等を養成する大学への出張講座である。高齢者施設にアーティストを派遣するプログラムはいくつか例を見るが、この場合、将来、日常的に職業として高齢者と接することになる大学生に対して、アーティスト(筆者が見学に行った際は、演劇百貨店の柏木陽氏が講師)がワークショップを行なう点が参考になった。
そして講演の後に行なわれた、ARDA等でも活動する新井英夫氏のワークショップは、能力や動きに制約のある高齢者が気軽に参加できるように、現場で培われたノウハウが惜しげもなく発揮された素晴らしいものだった。参加者の基本的なモチベーションの高さももちろんあるが、細胞の一つひとつを目覚めさせ、活性化させるようなダンスは、きっとどの施設でも必要とされるだろうと確信した。
このセミナーを受講して個人的に考えたのは、やはりアーティストの力を生かした、アートの可能性である。「モノ」に記憶を喚起させるのが、博物館を始めとするコレクションが充実したミュージアムの可能性であるとすれば、いまを生きるアーティストの力を通して、生きる力を引き出し活性化させるのも、現代美術の得意とするところではないか。そこでのプログラムは、コレクションの活用だけではなく、地域のいわゆる美術に限らないパフォーミング・アーツや生け花などの「わざ」の担い手としてアーティストの人材を活用することで、雇用にも結びつく。しかし、ここで重要な働きをするのが、分野を超えてコーディネートする人材である。国や地方自治体の政策を見極め、ときにアートNPOや福祉大学など、他分野と協働し、したたかにアートを地域に根付かせていくことが必要である。
多くのミュージアムに教育普及担当者が置かれるようになり、学校教育における美術館の活用が定着してきたいま、ミュージアムの「次なるパートナー」との出会いは、この分野のなかにありそうだ。
高齢者とアートのしあわせな出会いセミナー
高齢者とミュージアムの「いい関係」
これらのイベントに参加し、自館の活動を「高齢者とアート、ミュージアム」の視点でしみじみ振り返ってみると、あらためて興味深い「発見」をした。高齢者が参加しやすい美術館の活動としては、やはりボランティアが一番に挙げられるのだが、その際、他館の担当者との研修の場で問題になるのも、やはり「若い人がいない」であるとか「ボランティアの高齢化」である。しかし、発想を逆転させてみれば、これは「世間の自然なニーズにマッチ」しており、「高齢者に外出の機会を生み」、すでに「wellbeingの向上に寄与」しているじゃないか、と。
確かに今年結成13年目を迎える当館のボランティアCAMKEES(キャンキース)は、それぞれの能力を活かして、70代と10代が一緒に和気藹々と活動しているし、また、開館以来人気の無料の映画上映プログラム「月曜ロードショー」も高齢者の常連さんで賑わっている。ある方に言わせると、一人暮らしで、週1回、交通優待パスを使って街なかに出てきて、無料の映画を見て、向かいのデパートでお惣菜を買って帰るのが楽しみで、生活のメリハリになっているそうなのだ。筆者自身、若手だったときには、同世代の来館者が気になっていたが、自分が中堅になり、結婚や出産、親世代の介護などライフステージの変化によって、自然と目線も上下に広がりはじめた。
先にも述べたが、まずはそのミュージアムが、地域においてどんなミッションを持ち、活動をしていくべきか、スタッフ間で実感を持って共有するのが大事だろう。そして、「高齢者がミュージアムに来たくなるプログラム」と「施設やコミュニティに出向いて実施するプログラム」の二つの方向から活動をデザインすることで、高齢者とミュージアムの「いい関係」を探っていければと思う。