キュレーターズノート
「passage 永遠の一日」「化け物展」「PHASE 2015 COMPANY」「青森EARTH2015 みちの奥へ」
工藤健志(青森県立美術館)
2015年10月01日号
対象美術館
「明日の、時の長さは?」
「“永遠と一日”よ」
死を迎える詩人に亡き妻はそう答える。テオ・アンゲロプロス監督による『永遠と一日』の印象的なラストシーンである。過去と現在と未来、そして夢と現実が交錯する、この詩的イメージの世界に着想を得た「passage 永遠の一日」展。国内外の作家が青森に滞在し制作を行なう、2015年度のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムとしてサンドラ・シント(ブラジル)、風間サチコ、永岡大輔、ギル・イェフマン(イスラエル)の4名が招聘され、展示空間に「時」をめぐる四つの物語がインストールされた。
今年は戦後70年ということもあってか、例年にも増して「時」を意識させられることが多いように思う。「戦争」と「戦後」に対するさまざまな検証がなされ、加えて戦後日本の安全保障政策を大きく転換させる法案の成立もあり、「平和」のあり方をめぐっての諍いが連日続いている。僕も戦争には絶対反対だけど、それでも日本国憲法の前文に記されている議会制民主主義は尊重したいし、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」と記された、世界の中の一国家という立場もきちんと踏まえる必要があると思っている。そもそも第9条2項からみれば自衛隊は違憲であるが、国連憲章の第51条においては個別的自衛権が認められており、安保法案はそうした自衛隊の存在の矛盾にまで遡って本来は考えるべき問題ではなかろうか。ただ、残念なのは「平和」をめぐる論議で悪意や憎悪、敵意ばかりがむき出しになっていること。ネットが普及し情報の発信も受信もかつてとは比較にならないほど容易になった。リテラシーなどという言葉を引っ張り出すまでもなく、いまほど情報を判断する力、そして情報を取り扱う人の知性や品格が求められている時代はないだろう。
われわれはどこからきて、どこに向かうのか。「敗戦」をひとつの区切りとし、そこからの70年の政治や経済の歩みをただ批判するだけでは、これまでと同様、おそらくなにも変わらない。「責任」を権力という名の他者へ押し付ける前に、その「責任」の所在が、権威の由来たる国民ひとりひとりにあることを自覚し、まずは自らを見つめ直す必要があるのではなかろうか。民主主義の立脚点は「個」にある。ある事象は解釈によって意味も価値も自在に変化していく。真実とは本来それぞれの個が獲得すべきものなのだ。他者の声に惑わされることなく(ここが一番むつかしい)、自らの解釈と価値を大切にし、国民の権利として認められた福利を享受するために自らの生活を整えていくこと。そうした個の積み重ねからしか社会の変革はないと思う。そして芸術にはそれをうながす力があると僕は信じているし、ちょっと前置きが長くなってしまったが、この展覧会には、われわれが、ひとりひとりの、これまでと、いまと、これからを、ここで、考えることの必然性が満ちていた、ように思う。出品作のいずれもコンセプトをしっかりとテクニックが支え、社会的な問題を扱いながらも教条主義に陥ることなく、なによりも作品を見ることの大前提である視覚思考の快楽を存分に満たしてくれるものであった。
「時」について考える展覧会
風間サチコの木版画は、版画でありながらユニーク(1点のみの刷り)を原則とする。もともと木版画は1950年代の生活綴方運動から展開した生活版画運動としてプロレタリアート系の作家によって推し進められ、学校教育や労働の現場で盛んに制作されてきたが、おそらく比較的容易に複製がつくれることに加え、版木を彫刻刀で掘るという行為が「労働」を想起させ、そこに「状況」と「感情」の痕跡を残すことが比較的容易と考えられたからだろう。言うまでもなく、戦後の政治闘争と密接に結びつく運動でもあった。風間の作品は、そうした木版画が背負ってきた歴史的な背景をも踏まえ、さらに「彫る→刷って写し取る」という行為をとおしてモチーフとのあいだに一定の客観性を担保しながら、歴史、事件の現在化をはかっていく。単なる懐古趣味ではなく、ましてや特定の政治運動と連結するものでもない。取り上げるモチーフに最適な過去の表現手法を選択しながら、そこに新しい視点を付加して「現代の物語」を紡ぎ出していく点に風間の本領がある。
本展に出品されているのは、青森県とゆかりの深い原子力観測船むつを題材にした《帰り船(黒い座礁)》と《帰り船(白い未来)》の2点。1969年に母港の陸奥大湊港(むつ市)から進水したこの日本初の原子力船は、試験開始早々に放射線漏れを起こし、帰港を拒否され漂流、青森と長崎への入港をめぐって当時大きな社会問題となった。最終的には1991年に核動力による長距離航海実験を成功させ、1993年に原子炉は撤去、「海洋地球研究船みらい」として1996年に再就航している。「みらい」の過去は原子力船であり、「みらい」の未来には2011年の福島第一原発事故における海洋汚染調査の任務が待っていた。原子力の実験船から海洋研究船へと改修された一隻の船に待ち受けていた数奇な運命。風間は「むつ」の版木を彫り直すことで「みらい」を仕上げ、その歴史を追体験しようとする。戦争記録画、ルポルタージュ絵画、高度成長期の少年誌のグラビア、社会風刺漫画など、木版画という技法のみでさまざまな表現を試みてきた風間であるが、本作では1950年代のルポルタージュ絵画的な描写によってそれが「社会的事件」であったことを強く意識させつつも、風間の得意とするブラックな社会風刺や漫画的なユーモアはやや後退しており、ともすれば抑制の利いた表現のなかに、さまざまな解釈を引き出せる「物語」としての強度を持たせている。さらに2作品を隔てる空間的な「余白」に1隻の船をめぐるさまざまな想像力が喚起させられる。2点が合わせ鏡となって、そのあいだに現代という時代が浮かび上がってくる、深い奥行きを感じさせる作品であった。
永岡大輔のアニメーションは層(レイヤー)を重ねることで動きを表現するのではなく、1枚の紙に「描く」と「消す」を繰り返すことで制作、その過程を録画、高速再生することでアニメーションとして成立させる。そこには作家の緻密な作業のプロセスまで写りこんでおり、いつもながらその「手業」にまず驚かされる。《最後の観測者》と題された本作の舞台は10万年後。現代社会が残す高レベル放射性廃棄物の危険性にひとつの区切りがつくとされる時代である(それでもプルトニウムの放射線量は1/16にしかならず、ウラン238の半減期は45億年という)。そこに残された最後の人間が見る光景を描いたもので、廃墟となった街をひとりさまよい、孤独と対峙する人間の姿は切なくもあり、また滑稽でもある。10万年先の未来の最後の人間は、ラストシーンでわれわれをじっと見つめ続ける。われわれが見つめ返した瞬間、時空を超えて現在と10万年後の未来がつながる。その途方もない時間の果ての世界に対してわれわれは責任を負う覚悟があるのだろうか。過去の痕跡を探し続けた末に現代のわれわれを見つけた彼は無表情でまばたきを繰り返すのみ。10億年先の人間が観測した過去はわれわれにとっての未来であり、そんな過去と現在と未来が重層的に連なる時間表現に、われわれは未来の物語を予測し、現在に対する自省を促されるのだ。
線を引き、その不完全な消去とさらなる上書きによって「動き」をつくっていく永岡の手法そのものにも時間の痕跡がしっかりと刻み込まれている。作家の身体性をともなった時間をめぐる考察。経験と忘却を繰り返しながら記憶の断片を積み重ねて、いま、われわれは存在する。1枚の紙の上に現われるイメージの重なりは、人間が体験する「時間」とそれがもたらす「記憶」の根拠を象徴的に示すもののようにも映る。
サンドラ・シントは大宇宙の摂理に寄り添うかのような静謐な壁画《生きている時間の風景》を、ギル・イェフマンは使用済みポリ袋を細かく編み込んだインスタレーション《湿った骨の谷》を制作。いずれも展覧会のテーマに対する実直な仕事ぶりがうかがえたが、2人の日本人作家の作品が頭ひとつ抜きん出ていたように思えたのはけっして身びいきばかりではなかろう。風間、永岡の作品と接すると「永遠の1日」という言葉が繰り返し頭の中をよぎる。「過去」とは情報として意識されたものであり、情報として意識されない限り、それは知らない「未来」と同義である。時間とは畢竟「現在」の意識によって捉えられた情報に過ぎず、ゆえに現在から見て過去と未来は同じ蓋然性を持つものと言える。時間は過去から現在そして未来へと流れていくものではない。そして速度を持つものでもない。時間という概念も本来はそれぞれの個の中にあるものだ。『永遠と一日』の主人公、老詩人アレクサンドレは、まるで時間という曖昧な概念を克服するかのように、その人生の終わりに亡き妻へ向けて「言葉で君をここに連れ戻す。全ては真実で、全てが真実を待っている。」と語ったが、2人の作家もまた作品をとおして過去を連れ戻し、未来の真実を探ろうとする。作品と出会ったわれわれもそこから「永遠の1日」を意識させられるのだ。歴史の変革期に、こうした「時」について考える展覧会が開かれることの意義は大きいと思う。
passage 永遠の一日
学芸員レポート
いま、この原稿を書いている2015年9月25日、青森県立美術館は建築物における天井脱落防止措置基準の改正にともなう施設の天井改修工事のための長期休館に入っている。「化け物展」と「常設展」、「PHASE 2015」が終了した9月13日の夜からすべての作品の撤去作業がはじまり、2006年の開館以来不動だったシャガールによるバレエ「アレコ」の背景画も取り外され、アレコホールの巨大な真っ白い壁面が姿を現わす。2006年の開館以来9年ぶりに見る「裸」の空間は、とても美しかった。同時に不安ばかりが大きかった開館前の記憶もよみがえってきたが、その場にじっと佇んでいると、改修工事によってフイに生じたとは言え、今回の「空白」は、これまでの10年を振り返り、これからの10年を考える良い機会のようにも思われた。
「化け物展」は予算の少ない単館開催の自主企画展としては、1カ月半の会期で約3万3千人と予想以上の観覧者に恵まれた。この展覧会、担当した板倉容子学芸員の言葉を借りれば「コンセプトがないのがコンセプト」。出品作をつらつら挙げてみると、国立民俗学博物館が所蔵する、世界各地の祭りや年中行事で用いられた「仮面」の数々。そしてシャルル・フレジェが撮った世界の「獣人」たち。歌川国芳や月岡芳年、河鍋暁斎らが描いた浮世を騒がせたお化けたち。武井武雄や佐々木マキ、長新太の描く絵本の中の化け物。地獄の裁きや地獄道を表わした絵画、彫刻。後期ルネサンス期の中部イタリアにつくられた通称「怪物公園」を撮影した川田喜久治の作品。そして、これら作品の間をつなぐのが土橋とし子、岡本光博、森口裕二、谷澤紗和子、島本了多、荒川朋子らの現代作家たち。展覧会はジャンルや内容によって計五つのセクションが設けられていたが、現代作家のインスタレーションによってセクションが無効化され、古今東西の多様な「化け物」イメージが並ぶ展覧会でありながら、展示のスムーズな流れを作り出していた。それにいっそう貢献していたのが会場の造作。青木淳建築計画事務所在籍時に美術館の現場担当であった村山徹が主宰するムトカ建築事務所が、外壁のレンガ、ホワイトキューブ、トレンチという美術館の建築的特徴を想起させる白と茶色で塗られた特注段ボール1,800個(レンガの3倍の大きさに設定!)をさまざまに積み上げて空間を間仕切ったり、展示台や結界にして、本来の空間の白と茶色の壁、床の関係性をさらに複雑に「化かし」つつ、迷路と称されることの多い展示室に一定の動線を与えた。そのより混沌とした展示空間の中に「化け物」たちがひそむというイメージがまるで「お化け屋敷」を歩くような空間体験をもたらしてくれた。
確たるコンセプトを持たない本展は、むしろ「化け物」という曖昧な概念を自由に考えることができる機会となったのではなかろうか。「化け物」は単に奇怪なものであったり恐怖を与える存在ではなく、国境や人種を越えた人間の想像力の豊かさを示すものであり、人間の普遍的かつ根源的な欲求を造形化したものではないかということ。
「人間にあらざる者ということは、人間を相対化できる存在であるということです。それと対峙したときに呼び覚まされる感情とその根拠を考えることで、自分や世界に対する認識が深まっていく。自分という存在の依り代にもなるし、社会を問い直す力にもなる。“化け物”そのものも時代や社会性、個々の意識によって永遠に化け続けていくのでしょう。」
(カタログの板倉テキストより抜粋)
コンセプトがない分、作品の担う役割は大きくなってくる。紙幅もあまりないので、現代作家の作品をとりあえず見てみよう。
中央に24時間時計《たいようとつきのいちにち》を配し、左右の壁面に夜と昼の世界を、カラー(蝋の削りだしによる深いマチエールがひときわ目を引く)とモノクロの計50点を超える不可思議な化け物たちのイラストで構築した土橋とし子(なんと全点新作! 余談だが、「ちびまる子ちゃん」に登場する「とし子ちゃん」は氏がモデル。さくらももこの土橋に対するリスペクトが今回の展示からもよく理解できた)。谷澤紗和子の巨大な切り絵作品《おやまさま》は作品が作り出す影の効果も含めて、人間の根源的な意識に「得体の知れないもの」の存在を訴えかけてきた。浮世絵、漫画、日本画のモチーフや技法、物語性を柔軟に組み合わせながら独自の緻密な画面を作り出す森口裕二は化け物と女子高生の戦いをカラフルにグロテスクにユーモラスに描いた大作《かいじゅうと21人の乙女》をギリギリまで描き続け、会期半ばに投入。字面だけで意味が推測できない横文字を多用する現代文化を皮肉るかのように、その音の印象から形象化を行う島本了多の《しらない言葉の百鬼夜行》。木と毛を主な素材とし緻密な手仕事によって不可思議でフェティッシュな造形物を手がける荒川朋子など、それぞれの作品が「多様な化け物イメージ」という言葉だけでくくれない、「表現」としての高い魅力を有していた。
そして岡本光博。美術館の前庭に設置した《UFO-unidentified falling object(未確認墜落物体)》を美術館の公式ツイッターで「UFO墜落!?」とつぶやいたところ、なんと9,000を超えるリツイートがあり、果てに全国放送3局の情報番組で取り上げられるなど、美術以外のメディアで大きく取り上げられ、会期中は記念撮影スポットとして常に多くの人で賑わっていた。さらに本作以外にも展示室内では展示室の監視員を映像で置き換え、その「不在の存在」を問う《フザソン/不存在》(さらには一定時間で監視員が巨大化し、その存在がより強調される《フザソン・ザ・ジャイアント》も別室に展示)や、美術館の開館年に開催した「縄文と現代」展で展示された《虎縄文》の再展示(前回はお母さんだったが今回はお父さんなので作品としては異なる)などを行なった。《UFO》をはじめ、いずれの作品も「なぜ化け物展でこの作品?」という異質さと意外性とバカバカしさ(褒め言葉)があり、ある意味本展の「放棄されたコンセプト」を象徴するような存在であった。恐るべし、岡本光博! ちなみに展示の最後を締めるのも岡本作品。カップ麺そのものがクルクルとまわり続ける作品で、《UFO-unidentified five r/min object(未確認1分間に5回転物体)》というオチ。しかし、これだけたくさんの「化け物」たちが会期中悪さをすることもなく、じっと鑑賞されることに耐え続けていたのも、始まりと終わりの2つの《UFO》で岡本が結界を張ったのかもしれないな、などと思ったりもして。
以上、当たり前のことだが、キュレーションの拠り所が「教科書」ではなく学芸員自らの「目」にあること。そして選んだ作品を信じ、それに寄り添うこと。そんな展覧会づくりの「基本」を思い知らされた企画であった。
「化け物展」と同時に八角堂で開催されたPHASE 2015「カンパニー:ニッポン・北のヒミツ」も好評のうちに幕を閉じた。フィンランドのデザインデュオ、カンパニーによる北日本の伝統工芸品をモチーフにしたインスタレーションで、奈良美智のディレクションによるプロジェクトである。伝統工芸品に着想を得て新たなプロダクトをデザインし、その制作過程を追体験することで、もとの工芸品にひそむ精神性を探っていく。そして完成したプロダクトは、そこで「発見」された精霊たちの映像とともにひとつの作品として提示される。まさに「よき製品にはよき精霊が宿る」というカンパニーの信念が具現化された展示であった。これまでフィンランドをはじめ、ベルギーや韓国、ロシアでこうした「ヒミツ」シリーズは行なわれてきており、今回は常設展示の一角で「フィンランドのヒミツ」と「ロシアのヒミツ」のための作品もあわせて展示された。それらを眺めていると、確かに工法や表現などにフィンランド〜ロシア〜北日本の伝統文化の隠された共通性が認められ、見る者は国の枠組みを超えた「北の文化圏」に想いを馳せることになる。
そのほほえましく、愛らしい作品はどれも共通して人間の生の営みとしてのしなやかさと温かさを持っていた。伝統を踏まえ、いかにしてそれを現代のものとしていくか。それを他地域の文化とどう接合させていくか。今回の作品は日本の職人によって作られたものもあればフィンランドで制作されたものもあるという。カンパニーはデザインという手法を用いて「伝統」の根拠を探求し、文化や環境や風土にしっかりと根ざすプロダクト、言い換えればモダニズムを超克し、現代という時代に求められるプロダクトの最適解を探し求める。このプロジェクトには地元の多くの職人が参加したが、カンパニーの理念は多くの職人に受け継がれていくことだろう。展覧会は終わったが、プロジェクトのはじまりはこれから、なのかも知れない。
ということで、来年の3月まで美術館は休館となるが、その間もアウトリーチプログラムは進行中。青森に根ざした新たなアートを探求していくプロジェクト「青森EARTH2015 みちの奥へ」がそれで、現在も津軽地区を主なフィールドとして展覧会とワークショップが開催されている。そして、その成果は3月の再オープン時に美術館の展示室で公開される予定となっている。石川直樹、鴻池朋子、森永泰弘が参加する本プロジェクトの概要はこちらのURLを参照いただきたい。
また休館中であるがシアターを使った演劇やドラマリーティング等のパフォーミングアーツ系のイベントは引き続き行なわれるし、12月には名古屋市内で青森県美プロデュースの青森展「FLY ME TO THE AOM──青い森へ連れてって」(仮称)も開かれる予定。お近くの方はぜひ。