キュレーターズノート
青森EARTH 2015
工藤健志(青森県立美術館)
2016年04月01日号
対象美術館
2015年9月中旬から、国による「建築物における天井脱落対策に係る技術基準」の規定にともなう吊天井補強工事のため長期休館に入っていた青森県立美術館であるが、無事に工事も終わり、去る3月12日に再オープンした。
青森県立美術館のリニューアル
半年の休館を利用して、一部施設機能もリニューアル。青木淳の設計により、1階エントランスに案内、発券カウンターを新規に設け、館内外のサインも菊地敦己により一部を改修。他館ではなかなか味わうことのできない「ひとつの街を散策するような楽しさ」はそのままに、館内諸室へのディレクション・サインをより丁寧に表示した。「わかりにくい」「迷う」というネガティブな意見は他館との差別化という点においてポジティブな魅力へと転化させることができると僕は考えているが、現状のサインは準備室時に「人の動き」を想定して計画したものなので、さすがに開館して10年も経つと、なかなか当初の想定どおりに人は動いてくれないこともわかり、今回はそのあたりを中心にサインの修正を行なっている。もちろんまだ完全ではないので、これからも継続して施設機能やサインのアップデートは行なっていく予定である。
先日出版された『JUN AOKI COMPLETE WORKS 3』(LIXIL出版、2016)の巻頭エッセイで、青木は青森県美の設計思想とその後の思考的変遷について綴っているが、青木が追求した「決定ルール」と「そこからのオーバードライブ」という設計コンセプトの意味が自身で明確に理解できたのは竣工後であったという。規定のための強引な「暴走」と、逸脱の「伏線」が並列に、無数にはりめぐらされたこの建物は、そこに関わる人々によってもさまざまな意味生成を繰り返し、変容していく。さまざまな制約や問題がありこれまで建築としての機能をフルに使いこなせていないことに僕自身苛立ちを覚えたこともあったが、見方を変えれば、それは土地、人、環境と建築の関係がまだ発達段階の途中にあったことを示唆している。ほんらい人も街も、そしてひとつの建築も、ゆったりとした時間のなかで育まれるべきものであろう。その「余裕」は過多な情報に流されることのない「地方」ならではの特権と言える。このたびのリニューアルは10才になる青森県美のひとつの区切りとなり、これからの10年で建築のポテンシャルをさらに引き出していくきっかけにもなると思う。今回はとくにエントランス周りがよりシンプルに、そして美しくなった。その空間が喚起する想像/創造性は4月からはじまるさまざまな10周年プロジェクトにも良い影響を与えるだろう。周年事業=展覧会という発想にとどまらない、青森県美ならではのアプローチでこれまでの10年を検証し、これからの10年を模索する1年にしたいと考えている。
時間をかけ、丁寧に、他者や土地の声に耳を傾けながら
美術館は休館していたが、館外ではいくつかのプロジェクトが並行して行なわれていた。前回のレポートに記した「Fly me to the AOMORI──青い森へ連れてって」もそのひとつであるが、今回はもうひとつのプロジェクト「青森EARTH 2015」について記してみたいと思う。
創造の原点を縄文にたずね、青森の大地に根ざした新たなアートを発掘・発信するコンセプトで今年4回目の開催となった「青森EARTH」であるが、これまではごく一般的な「展覧会」の形をとってきた。もともとは常設展示の枠組みのなかで不定期に行なってきた「×A(バイエー)プロジェクト」(さまざまなものに青森を「掛ける」ことで青森を考察するという企画)を発展的に解消したもので、1回目(2012年)と2回目(2013年)の実験的な取り組みを経て、3回目(2014年)以降は大地をしっかりと踏みしめ、ゆっくりと根を張っていくような方向性に向かってきている。
今年度は「みちの奥へ」という副題のもと、美術館を拠点としつつも、プロジェクト・サイトはまさに「みちのく」の奥の奥へと分け入り、そこに鋭い杭を打ち込むかのような活動が展開された。参加アーティストは、「旅」を基点とし、独自の視点による世界像を構築する写真家の石川直樹、東日本大震災を大きな契機に「ものをつくること」の根源を問い続け、土地や風土と人間の営みを接続する試みを行なう鴻池朋子、アジア地域でそれぞれ土着の音を採集して作品化を行なうサウンドデザイナーの森永泰弘。表現手法のまったく異なる3名のアーティストが、まずそれぞれのアプローチから展示とワークショップを行なった。担当の奥脇嵩大学芸員によれば、これまでの青森という土地のイメージを、青森に集い、暮らす人々が、アーティストという媒介を通して一度客観化し、そこに自らの記憶や物語を「接木」することで新たなイメージを作り出し、それを未来に向けて「投げかける=プロジェクトする」ことを意図した企画だという。
ここにはいくつかの重要な視座が含まれている。アーティストが一定期間土地に滞在し、リサーチや住民との対話、協働を踏まえて作品制作を行なうレジデンスプログラムは各地で盛んに行なわれているが、往々にしてアーティストが「主」で土地と地域の人々が「従」になりがちな点をうまく回避したこと。今回参加した3名のアーティストは土地や人に寄り添い、その潜在的な可能性を引き出す役割に徹していた。
で、ちょっと寄り道。SNSをとおした人と人のつながりは国境や人種の垣根を取り払う可能性を期待されていたが、そのバーチャルな関係性の「鏡」に自らを映し出すとき、まず羨望と嫉妬、妬みや嫉みの感情が生じ、果てしなき憎悪が連鎖する。少しでも意見のあわない人には敵意を剥き出しにし、他者の痛みすら想像することができずに誹謗中傷を繰り返す。結果的にSNSがもたらしたものは自らが安住できる小さなサークルの島が無数に存在するコミュニティの出現であった。国境や人種の垣根は確かに取り払われたかも知れない。しかし、別の垣根が次々に生じ、その島に引きこもるか、他の島へ攻撃を加えることで自己の承認欲求を満たす。「平和」をめぐる「憲法9条改正」の問題が議論というよりも感情的な対立になっている滑稽さや、資本主義の恩恵に浴しながらそれを批判することで利潤を得ていくという矛盾。個人的には例えば反原発デモやシンポジウムの後で、楽しそうに飲み食いしている画像をSNSで目にすると「なんだかな〜」と思ってしまうのだが、まあそれはそれとして、SNSにおけるサイバー・カスケードが21世紀型の新しい戦争の引き金とならないことだけは切に願いたい。
と、思い切り話がそれてしまったが、今回のプロジェクトは、こうした現代的な動向に対するわれわれ自身の反省を促すものでもあったように感じた。人と人の直接的なつながりという意味では、例えば「ハッカソン」のような取り組みが時流に乗って盛んに行なわれているが、もっと時間をかけ、丁寧に、他者や土地の声に耳を傾けながら思考を深め、それを表現へと昇華させていくことは、「短絡」的で「排他」的で「極端」な時代だからこそむしろ必要なのではなかろうか。今回の参加アーティストは、いずれもフィールドワーク〜採集〜思考をもとに作品を制作。またタブローや彫刻といった旧来的な美術の枠組みを越えつつも、確固たる強度を持った作品を提示するという点で共通しており、さらに「撮る」「縫う」「聞く」というそれぞれの手法も、時間をかけて土地を探り、その可能性を引き出すために有効に作用したように思う。
「学び」に軸足を置いたプロジェクト
プロジェクト・サイトは青森の市街地から遠く奥に分け入った、津軽半島付け根に位置する梵珠山の「県立自然ふれあいセンター」、そして津軽半島北部の「外ヶ浜町中央公民館」と「大山ふるさと資料館」。外ヶ浜町には縄文最古級の土器片が出土した大平山元遺跡があり、約16,000年前から人が住み始めたとされる地でありながらも、「外の浜」という中央由来の〈辺境〉を示唆する名称が与えられている。青森の市街地に住む人にとっては、ほとんど訪れたことのないであろう(しかも行きにくい!)この三つの施設をあえて選んだことにはもちろん意味がある。三方を海に開かれ、文化人類学的にも地政学的にも意味深い「半島」を多く持つ青森県において、津軽半島を舞台に選ぶことは、内(ローカル)と外(グローバル)の双方が織りなす歴史的層に、今ここに生きるわれわれの意識を投影するための絶好のサイトとなるからだ。
しかし、相当の覚悟がなければ展覧会を見ることも、ワークショップに参加することも難しい。観光客であればなおのこと。近年は地域の活性化のため、いかに観光客を誘致するかにそれぞれの自治体が智恵を絞っているが(それにしても全国中「ゆるキャラ」「聖地巡礼」「萌え」の観光戦略多すぎ!)、あえてそこから目を背けるような態度も、今回のように、ときには必要かも知れない。「観光」とは地域外からの消費をうながす行為であり、青森であれば「ねぶた」も「恐山」も「白神山地」も「十和田湖」、そして「縄文」も消費財として活用される。しかし、これらは本来、そのコミュニティにとっても重要な「学び」の資源なのだ。観光の視点はどうしても表層的にならざるを得ない。しかし、本来はそれらがどのような歴史的蓄積のもとに成立し、地域にどのように還元されているかを確認しなければ、やがて表層雪崩を起こすのではないかと僕は危惧する。
同様にアートもまた「まちづくり」や「ひとづくり」、「賑わい」を醸成するためだけに存在するのではない。ビエンナーレ、トリエンナーレ、国際芸術祭等が各地で加速する現状が、かつての「パブリック・アート」ブームと重なってみえてくるのは僕だけだろうか? もちろんその活動のすべてを否定するつもりはない。ただ、右へ倣えの行政的発想でこうした活動本来の意義が薄まっていくことには注意すべきだし、集客性や話題性、経済への寄与といった外的な要因がもたらす効果だけでなく、その活動が地域の「学び」に対し、どのような蓄積と還元をもたらすかという評価軸こそが重要ではないかと思うのだ。その「学び」に軸足を置いた今回のプロジェクトは、どこまでも地味である。むしろその地味さが周囲の雑音をかき消し、観賞、対話、制作に集中できる「場」の形成の支えとなっていたようにも感じた。
ゆえに夏に開催された参加アーティストの展覧会も、不特定多数に向けてというより、ワークショップ参加者がアーティストと作品への理解を深める機会として機能していた。石川は大山ふるさと資料館において、世界各地の人の営みを写した自身の写真と考古遺物、民俗資料を等価に配置することで世界に通底する人間の営みを提示した。森永は外ヶ浜町中央公民館において津軽弁のラップを能物語「善知鳥」内の読経に重ねあわせ、音によって過去と現代を接続させる試みのサウンド・インスタレーションを展開。鴻池は県立自然ふれあいセンターの展示物である動物の剥製に自らの《12人のホイト》(2015)を介入させ、さらに牛皮を縫い合わせて支持体にした絵画を山中の「六角堂休憩所」に展示し、自然という異界に対する人間の恐怖や畏怖の念を喚起させていく。この鑑賞体験がワークショップへと連なっていくのだが、もちろん純粋に「展示」として見てもしっかりとその土地に「スム」もので、いずれも土俗の力や人間の重層的な意識が浮かび上がる興味深いものであった。空間的にもテーマ的にも「現代美術」の洗練とは対極にあるが、逆にそれが心地よさと不思議な安堵感を抱かせてくれたことをここに付記しておく。
そして、続くワークショップ。石川チーム(という言い方がもっともしっくりくる)は太宰治の短編「魚服記」をモチーフにした写真展示をつくる。鴻池チームは参加者がそれぞれの記憶をもとに語った物語を鴻池が下絵におこし、それを参加者が縫い物という作業をとおして再び確認する「物語るテーブルランナー/青森編」を行なう。森永チームは参加者が採集した善知鳥の民話にまつわる音を素材とし、参加者相互で対話を続けながら音の物語を構成した「善知鳥の伝説」を制作する。筆者はワークショップには立ち会っていないので、ここで奥脇学芸員の言葉を借りるなら、いずれもアーティストの介添えによって「写真、縫い物、音というそれぞれの切り口をもとに、参加者が回を追うごとに、どんどん自身の記憶や感性を研ぎ澄まし、作品という一つのイメージとして結実させることに突き進んでいった」という。アーティストの仕事に帰結されがちなワークショップの成果も、ここでは「主」と「従」の関係が解体されることで、ありがちな地域型アートイベントとは一線を画す、土地と参加者の意識が分かちがたく結び着いた、ここでしか成立し得ない、まさに「アートを支える概念を拡張」(奥脇)する作品が生み出された。
以上のことは、3月12日から美術館の展示室ではじまった「成果発表展示」で多くの人に向けて発信された。アーティストとワークショップ参加者の思考と営みの成果としての作品、そしてその3つのワークショップが交差することで生じる、さまざまな「青森」のイメージ。もちろん、これが「答え」ではない。むしろ安易に「答え」を要求しがちな現代において、アートは旧来の文脈を解体し、思考を飛躍させることにその大きな役割がある。青森という土地に暮らす人々の意識化された何気ない想いや日常の出来事。それを幾重にも織り込んで、青森のイメージを拡張させていく。これまでも、そしてこれからも、土地とはその地に暮らす人の必然と偶然の縫い合わせによってつくられていく。「青森の大地に根ざした新しいアート」を探る「青森EARTH」は、地方の美術館と展覧会のあり方を問い直し、地域に真に根をはる活動へと深化してきたように思う。
震災後を生きるヒント
早いものであれから5年。マスメディアでは相も変わらず「がんばろう」「大好き」「忘れない」「絆」などの安易で軽い言葉が連呼されているが(そもそも誰が誰に向かって言ってるのだろう?)、これがもし多くの人の感情を刺激しているとすれば、残念ながらSNSに蔓延する「感情の劣化」をそこにも認めざるを得ない。事の本質はそうした表層に洗い流されていく。被災地という「鏡」は相対化のために存在するものではない。また政治的に用いたり、ある主張や欲望のために利用するものでもない。いまを生きる一人ひとりが自らの暮らしを見つめるための「鏡」とし、問題を自身に引き寄せて考えながら「同感能力」を高めていくことこそが肝要なのではなかろうか。今回の「青森EARTH 2015」の活動と成果には震災後の日本に生きるわれわれのこれからを考えるヒントもたっぷりと詰まっている。なぜなら、その活動の先には無限の「“未知”の奥」が開かれているから。
青森県立美術館は今年開館10周年を迎えるが、これまで企画展においてもコレクション展(常設展)においても、青森の個性の探求を一義においてきた。そのひとつの集大成的試みとしての「青森EARTH 2016」がこの夏に再び開催予定である。