キュレーターズノート

アーティスト・イン・レジデンス「この現実のむこうに―Here and Beyond」展

工藤健志(青森県立美術館)

2017年11月15日号

 今年は「ヴェネチア・ビエンナーレ」、「ドクメンタ」、「ミュンスター彫刻プロジェクト」と海外の大型芸術祭が重なり、さらに国内でも国際型から地域密着型まで数多くの芸術祭が開かれた、さながら「芸術祭の当たり年」であった。その多くをはしごした人も多かったろう。

 「展覧会」もまた年明け早々大きな話題となった「DAVID BOWIE is」(寺田倉庫G1ビル)をはじめ、「草間彌生 わが永遠の魂展」(国立新美術館)、「ミュシャ展」(国立新美術館)、「バベルの塔展」(東京都美術館)、「生誕300年記念 若冲展」(東京都美術館)などが数十万単位の観覧者を集めて話題となったが、その多くが大手マスコミの仕込みによるもので、破格の経費をかけ、さまざまな媒体を使ってあの手この手で手厚く広報するんだから、そりゃ人も集まるよねえ、と皮肉のひとつも言いたくなってしまう。

人混みのなかの大型展と閑散とした地方美術館の企画展と


 一方、地方の美術館の自主企画展の経費はよくてせいぜい数百万から(限りなく「1」に近い)数千万程度で、広報費も限られているから大型展と張り合ったところで、土台かないっこないのだ。とは言え、首都圏、大都市圏の美術館はまだメディアへの露出が多くなるから周知も割に行き届くけど、地方の美術館じゃそれも厳しい。さらにマスコミ用の取材費なんてのもそう出せるものじゃないから(+掲載料が加わるともうお手上げ)、地方の美術展はどんどん埋もれていくばかり。でも悪いことばかりじゃなく、そうした「危機意識」が地方美術館の活動に良い刺激を与えていることもまた確か。お金がない分、知恵を絞ったユニークな切り口の企画展や、いくつかの地方館の連携による共同企画展など興味深い試みが活発化してきている。一例を挙げると、みやざきアートセンターが継続的に顕彰してきた生賴範義展の集大成が上野の森美術館で開催(2018年1月6日〜)されるが、これなどは地方の逆襲の好例と言えるだろう。本来は全国にネットワークを持つ大手マスコミが地域の格差なく情報を伝えてくれるといいのだが、自社イベントの宣伝……(以下、略)。

 僕もいくつかの芸術祭、大型展覧会を見たけれど、そのレビューをあえてこのコーナーに書こうとは思わない。何より本コーナーの主旨は地域の活動のアーカイブにあるのだろうから。残念ながら海外の大型芸術祭には行けなかったが、仮に見に行ったとしても、欧米に比べて日本は「政治や社会に対する問題意識が低い」とか「表現としてのダイナミズムに欠ける」など、耳にタコができるようなことを言って優越感に浸るのが関の山だろうから、まあ行かなくて良かったかな、と心理的自己防衛を図っておきます(笑)。

 と、いささか筆がすべってしまったが、今回取り上げようとしている国際芸術センター青森の展覧会を見た時、ほとんど人気のない展示室で作品を独り占めできることの充足感を味わいつつも、行列のできる展覧会のことが頭をよぎり、ついこんなことを考えてしまった。本当に日本人は美術展が好きなんだろうか? 作品よりも人の存在ばかりが気になってしまう大型展と、観覧無料なのに人のまばらな国際芸術センター青森の展覧会は、いずれも何かが偏っているように思えてならない。分からないものに触れ、それを見つめ、考えることでさまざまな思考が引き出されていく「現代美術」展の場合、作品と空間への没入感がとても重要になることを今回の展示ではっきり自覚できたが、ふと我に帰り、静まり返った展示室を見渡した時に感じる虚しさの所以は、アートが「人の営為」によるものだからか? だからと言って見本市会場のような人混みの中で作品を見るのも僕はイヤ。すべてはバランスなのだ。本来公益性、公平性を保つべきマスコミが……(以下、略)。ゆえに微力だとはわかっているけど、ここには地域の活動をできるだけ記述しておきたいと僕は考えています。




 で、ようやく本題。今年度の国際芸術センター青森のアーティスト・イン・レジデンス成果展はまず夏に2本の個展(「アルバーノ・アフォンソ 浮遊する影と光」、「船井美佐展 楽園/境界〜いつかいた場所〜」、2017年7月25日〜9月10日)が開かれ、続いて現在、潘逸舟、本山ゆかり、アン・スークーン、クレマンス・ショケ&ミカエル・ガミオ、ラーキー・ペスワニの5組による「この現実のむこうに-Here and Beyond」展が開催中である(10月28日〜12月10日)。

 夏の2本では「光と影」や「境界」といった現実と隣接する異世界の入口が提示されていたが、本展でも再び作品を「現実を越えた奥にある現実、もうひとつの現実」(展示概要より)として捉えていく。年間を通して共通テーマを設定し、各作家のさまざまなアプローチから多角的にじっくりとテーマを掘り下げていく手法は、何より展示の充実につながるだろうし、来館者にとってもまた足を運んでみようというリピートのきっかけにもなるだろう。特に今年のような間口を広くとったテーマであれば、当然出品される作品の幅も広がり、したがって見る者にとっても「感じること」、「考えること」の幅が広がる。ただ「現実のむこうに」というキーワードのみを心に留めて作品と接すると次々にいろんな考えが浮かんできて、これはかなり新鮮な体験であった。テーマ偏重で作品を引き立て役にしたり、あるいは力技で作品を強引に解釈したり、ゴタゴタと理屈をこね回さないと「現代美術」展は成立しないの? とつい思ってしまう展覧会が多いなか、このシンプルな問いかけは「現代美術」の本質的な形式と表現の問題へと立ち返らせてくれるような効力を有していた。展示概要には「目に見えて明瞭でありながらも曖昧な現実から生まれる作品は、見る者が他者と事物を共有し分かち合うための術(すべ)ともなるでしょう。今回はその現実と、作品によって生み出されるもうひとつの現実との関わりを考えていきます。私たちの目の前にある現実をもとにしながらも、地域の人々をはじめ、鑑賞者を作品世界に惹き込み新たな思考、発見など様々なメッセージを投げかける」とあり、主題やコンセプトのトレンドといった「現代美術」の評価軸をいったんリセットし、作家と鑑賞者という同じ時代を生きる人間同士の「共有」から生じる作用に期待を寄せていく。作家もまた青森の雲谷の自然に身を置いて「いま」と「ここ」を深く思考し、こけおどしや装飾を排した気負いのないストレートかつダイレクトな表現を行なっているように感じられた。

環境から得られたインスピレーション


 ギャラリーAの大空間に入ると、まずペスワニのファブリックに刺繍を施した連作《初まりの合図(私たちの体)》が目に入る。定型のフォントで「your(あなたの)」と刺繍されたキャラコットンに、「pain(痛み)」、「loss(喪失)」、「demons(悪魔)」、「soul(魂)」、「god(神)」、「thoughts(思考)」、「prayers(祈り)」、「answers(答え)」、「time(時間)」、「palus(鼓動)」、「anger(怒り)」、「gain(利益)」、「secret(秘密)」、「hope(希望)」、「needs(必要性)」、「silence(沈黙)」、「wars(戦争)」、「hunger(空腹)」、「voice(声)」、「?」など、雲谷の森からインスピレーションを得た単語がさまざまなフォント(時に絵文字)、バランスで縫い込まれていく。それは行為と感情が歪に結びつきがちな「わたし」と「あなた/社会」の関係性を、原初的な森の生態系から逆照射したものと解釈できよう。その言葉は断片として提示され、見る者は1点1点を行き来して言葉を取捨選択したり、自由に接続させながらそれぞれの物語を紡いでいく、ささやかな表現の中に力強いメッセージ性を有するインスタレーションであった。種子と発芽=茎、自然木と麻をねじったもの=麻袋で構成されたモビール作品《初まりの合図(あやふやなバランス)》も、繊細なバランスで成り立つ自然界の認知モデルと捉えられよう。これらは言葉にすれば陳腐になってしまう定型の価値観ではあるが、常に自らの周囲にあるものに触れ、感じ、繰り返し考えていけば固定化された教養や知性も更新されていくことをペスワニの作品は伝えてくれるかのようであった。


ラーキー・ペスワニ《初まりの合図(私たちの体)》(2017) 左:部分(壁面)、右:展示風景(奥) 


 その展示空間の突き当たりにプロジェクションされている潘の映像インスタレーションもまたテーマ的に近接する要素を持っていた。社会的存在としての「身体」をテーマにした作品を多く手がける潘は、自らが育った地である青森の針葉樹林と自らの身体を重ね合わせ、自らのアイデンティティを探るかのようなパフォーマンスを行ない、その様子を切り取ったシングルチャンネルの映像作品《揺れる垂直》を制作。風に揺れる木々の様と垂直に掲げた複数の腕を対比させた2チャンネルの映像と組み合わせてインストールし、人間と風景/社会、さらに個と種の相関関係を浮かび上がらせていく。そのスタティックな映像は驚くほど没入感に富み、ゆったりとその世界に身を置いていると、社会秩序の象徴としての森の木々の微妙な揺らぎに挙手した腕の動きがシンクロし、映像言語ならではの曖昧さを伴って社会的な物語が次々と想起させられていく(「腕」という部位にここまで個性があり、かつイメージとして魅力的──あるいはエロティックとさえ言ってよい──だという個人的にうれしい発見もあった)。自らの身体を思考のメディアと位置づけ、社会へと介入していくそのプロセスを詩的に表現した本作は、青森で育った(子供の頃、国際芸術センター青森のワークショップにも参加した経験があるという)潘のアイデンティティへの問いかけがダイレクトに「美」へと昇華したもののように感じられた。


潘逸舟《揺れる垂直》(2017) 展示風景


 こうした「もうひとつの現実」は、さまざまなベクトルで展開される。デジタルで作画したものを物質へと置き換えることで「絵画」をつくる本山は、レジデンスというシステムにはあまり馴染まない作家ではないかと一瞬思ったが、とは言え、こうした意外性のある作家セレクトが展覧会に豊かな厚みを与えていたことも事実である。本山は「絵画」という制度と構造を批判的に捉えた「絵画論絵画」を一貫して追求してきた作家で、今回展示された《画用紙》の連作も、透明アクリル板の裏面から、まるでセル画のようにアクリル絵の具で白い下地と黒い線描を「同一面」上に描く、これまでの取り組みからの大きな変化は認められない。けれど、「画用紙」と称しながらも白い部分では絵画的なマチエールが強調されており、一方の黒い線描からは作家の主観や感情が注意深く省かれ、描かれるモチーフも極限まで要素が削り取られたイメージとなっている。まさに絵画の構造を反転させたかのような表現と言え、見る者に絵画の既成概念を越えたもうひとつの絵画世界を垣間見せてくれた。


左:本山ゆかり《画用紙》シリーズ (2017) 展示風景
右:アン・スークーン《No Future No Past》(手前)、《幻》(中央)、《月あかり》(奥)(2017) 展示風景


 対照的にスークーンによる映像と立体によるインスタレーションはレジデンスのツボと先端の表現動向を踏まえたもので、存在の危うさや時の移ろいといった普遍性を持つ現代的テーマが扱われており、展示としては見る者の姿を映し出す真鍮板のオブジェ作品《幻》が空間全体の良いアクセントとなっていた。施設的な特徴から大空間に複数の作家が入り混じった展示となることの多いレジデンス成果展であるが、各作家の作品相互が呼応して予期せぬ新しい意味を生じさせる点にも面白さがあり、今回のペスワニから本山、潘に至る表現、テーマの連続的変容はとても刺激的だったし、スークーンの作品が空間のトーンに緩急をつけるような役割を果たしており、トータルとして絶妙の作品配置となっていた(伊藤聡子学芸員による見事なコーディネート!次の企画も期待大である!)。


ギャラリーA会場風景


 別室のギャラリーBで展開されていたショケ&ガミオのアーティスト・デュオによるインスタレーションもレジデンスの成果披露のお手本のようで、水のテラスとガラス1枚で隔てられた展示室をひとつのサイトに見立て、ゴムマットを床に地殻のように敷き詰め、ガラスの外に写真を設置することで、「場における身体性、歴史、建築空間の相互作用を試みる」(展示概要より)作品であった。ゴムマットにはプレートを想起させるような隆起もあり、おそらく地震(震災)のイメージも重ねられているのだろう。やはり「もうひとつの現実」が示されている訳だが、場の特性を活かしたここでしか成立しないインスタレーションであり、空間の活用という点では新味があったものの、展示としてはやや解説(言葉)に頼る部分が多すぎかな、とちょっぴり感じたりもした。


左:クレマンス・ショケ&ミカエル・ガミオ《和室(不安定な場所)》(2017) 展示風景
クレマンス・ショケ&ミカエル・ガミオ《ここでもなく、そこでもない》(手前)、《足元にお気をつけください-千畳敷》(奥2点)(2017) 展示風景
*建物の外部と内部の連関性が読み取れる。


 以上、独断と偏見で展示をざっと振り返ってみたが、地域の表層をなぞったり、住民との安易な交流の成果を見せるのではなく、作家が滞在場所の環境とじっくり向き合い、そこで得られたインスピレーションを制作動機とした作品が多く見受けられたことは、2001年の開館からの活動の蓄積が、レジデンス・プログラムに成熟をもたらしていることの証でもあるだろう。
 そして最後にもう一言。見る者が今回の展示から「もうひとつの世界」を認識するためには、何よりも社会に登録された自らの存在を認め、同時にその存在を疑う思考の柔軟さが必要となってくる。感じて、考えて、変化していく思考のレッスンとしての展覧会。そこには混沌とした現代を生き抜くためのヒントが詰まっている。だからこそもっと多くの人に見てもらいたいのだ。さすれば話はまた冒頭に戻ってしまうんだけど……。

この現実のむこうに―Here and Beyond

会期:2017年10月28日(土)〜12月10日(日)
会場・主催:青森公立大学国際芸術センター青森
青森市合子沢字山崎152-6/Tel.017-764-5200

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