2019年01月15日号
次回2月1日更新予定

キュレーターズノート

二藤建人「ヘルニア」(第1部「労働のエステティクス」、第2部「自由な落下のために」)/あいちトリエンナーレ2019

能勢陽子(豊田市美術館)

2018年12月15日号

一般企業で働き、家族を養いながらアーティスト活動を続け、今年脱サラした二藤建人(1986年生まれ)。彼の個展「ヘルニア」の第1部が東京で開催されたのち、第2部は名古屋に場所を移して開催されている。豊田市美術館の学芸員であり、あいちトリエンナーレ2019のキュレーターも務める能勢陽子が、本展を通し、生活における芸術と労働の関わりと、作家の抱える逡巡について考察する。(編集部)

二藤建人 「ヘルニア」

労働は、私たちの自由な時間を拘束し生から遠ざける、食べていくために避けられないものである。しかし実のところ余暇の方が、労力がかかって疲れるということだってありえる。労働は、生の大半の時間を占めながら、多種多様な職種があり、かつあまりに当たり前のこととして受け止められているため、システムのなかで見えにくく、なかなかその姿を把握しがたい。

アーティストにとって、生きていくことと労働との関係は、さらに複雑である。「制作」は「労働」なのだろうか。アーティストは「公共」の労働者なのだろうか、それとも「個」のモチベーションにのみ従うべきなのだろうか。またアーティストは、資本やシステムに与しすぎることなく、その批判者たるべきなのだろうか。そうは言っても、自らもそこに組み込まれているし、家族を養わなければいけないし。「ヘルニア」は、ラテン語で「脱出」を意味するという。そのゼラチン状の髄核は、社会の構造たる骨や器官からはみ出して、身体に痛みを与える。ちょうど、作家と労働の関係そのもののように。

「ヘルニア」は二部構成からなっており、第1部は《労働のエステティクス》である。東京のgallery N 神田社宅で開催された第1部では、都心の住居ビルの窓からヘルニアらしきものがはみ出している。

《welcome》(2018)

赤く膨らんだそれは、都会の異物として意外に綺麗な光を発している。部屋に入ると、雑巾でできたネクタイや、骨のような形態に圧迫された赤黒く光る絵画が壁に掛かっている。

《ヘルニア1-1》(2018)

それらは、労働に対するプロテストというよりも生そのものとして、労働と制作の軋轢が生むグロテスクさとある種の美しさも孕んでいる。

第2部は、名古屋のgallery Nで始まったばかりの《自由な落下のために》である。回転する丸板に取り付けられたモニターには、スーツ姿で吊り下げられた作家が、落下しながら徐々に衣服を脱いでいく。

《自由な落下のために》(2018)

道路や墓地を背景に、下降しながらどんどん裸体に近づいていくのだが、しかし最後まで腰のコルセットは外さない。近くに置かれた娘の産着は、メッセージに導かれて紐を解いていくと、全開にしたところで「人類史上未だに裸になれた者なし」という言葉が現われる。

《前人未到の帰り道》(2018)

最後まで腰を保護するコルセットを身につけた作家の裸体は、自身の娘にも重なってくる。いや、すべての人が生まれた瞬間からそうである。プカプカと羊水に浮かんでいた状態からどしんと生まれ落ちた瞬間に、その身体には負荷が加わる。仰向けに寝転がっていた状態から自らの力でうつ伏せになり、はいはいをしてやがて二本の足で立つようになる。二足歩行という動物のなかでも珍しい進化を遂げた人間は、重力に逆らい立ち上がってからというもの、重い頭を支えるその腰に負担がかかっている。しかし負荷があるからこそ、そこから自由になりたいという願望もまた生まれる。そもそも「自由な落下」というタイトルは、語義矛盾である。もし人が落下するとしたら、重力の法則に従うほかなく、角度やスピードなどを自由にコントロールすることはできない。しかしその重力のおかげで、私たちは散り散りに宇宙に放り出されることなく、この地上につなぎとめられている。労働や家族、社会システムといった、生きるうえで避けられない負荷。地上に生を受けるということは、負荷を受けるということでもある。その負荷から抜け出そうとすることこそ、ヘルニアであり芸術なのだろう。臨月の妻の腹部が、重力に従わず、上を向いた綺麗なお椀状の形態を見せるのは、まさにこの願望そのものである。

《my life hanged down the sky》(2018)

一人目の子が誕生した年に働き始め、今年脱サラして二人の子を抱きかかえることになった作家の精神的・肉体的負荷は、きっと腰に来ているだろう。そして芸術は、資本から、それを稼働するシステムから逃れよとそそのかす。しかしそのとき芸術は、自由と同時に痛みも与える。芸術と労働の、そして生と労働の、この抜き差しならない関係を、自らの身体に重ねて逡巡と希望のうちに現わした、稀有な展覧会である。

二藤建人 「ヘルニア」
第1部《労働のエステティクス

会期:2018年11月17日(土) ~ 2018年12月1日(土)
会場:gallery N 神田社宅(東京都千代田区神田紺屋町46 アルタビル6F)

第2部《自由な落下のために

会期:2018年12月8日(土)~12月26日(水)
会場:gallery N(名古屋市千種区鏡池通3-5-1)
ゲストトーク:2018年12月16日(日)19:00〜
[ゲスト:能勢陽子(豊田市美術館学芸員/あいちトリエンナーレ2019キュレーター)]

公式サイト:http://www.f-g-n.jp/

学芸員レポート

あいちトリエンナーレ2019

キュレーターのひとりを務めているあいちトリエンナーレの作家第1弾が、10月18日に発表された。32組の作家は以下の通り(アルファベット順)。モニラ・アルカディリ、キャンディス・ブレイツ、ジェームズ・ブライドル、ミリアム・カーン、CIR(調査報道センター)、アイシェ・エルクメン、ジーナ・ホセ・ガリンド、ドラ・ガルシア、イム・ミヌク 、モニカ・メイヤー、レニエール・レイバ・ノボ、パンクロック・スゥラップ、パク・チャンキョン、パスカレハンドロ(アレハンドロ・ホドロフスキー&パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー)、スチュアート・リングホルト、ハビエル・テジェス、袁廣鳴(ユェン・グァンミン)、市原佐都子(Q)、今村洋平、加藤翼、キュンチョメ、小泉明郎、サエボーグ、高嶺格、高山明(Port B)、田中功起、永田康祐、藤井光、村山悟郎、碓井ゆい、弓指寛治、dividual inc.。来年の3月には全作家を発表する予定。

来年のあいちトリエンナーレでは、豊田市美術館および豊田市の街中も会場になる(「クリムト展:ウィーンと日本1900」との同時開催)。津田大介芸術監督のもと、キュレーター・チームと詳細な打ち合わせを重ねて準備を進めている。来年は、ぜひ愛知そして豊田へ。

あいちトリエンナーレ2019 情の時代

会期:2019年8月1日(木)〜10月14日(月祝)[75日間]
主な会場:愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、名古屋市内のまちなか(四間道・円頓寺地区など)、豊田市(豊田市美術館及びまちなか)
公式サイト:http://aichitriennale.jp/index.html

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