キュレーターズノート

自然と共生する人間の営み──
久門剛史「らせんの練習」/廣瀬智央「地球はレモンのように青い」

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2020年07月15日号

これまで、1〜2カ月に一度は展示を観に県外に出るのが長年の習慣だったが、展覧会の準備とコロナ禍による自粛のため、この半年はずっと熊本にいた。緊急事態宣言の解除後、初めてとなる越境は、美専車でコレクターや作家アトリエ、他館をまわる作品返却。必要な用務とはいえ、作品を移動させると同時にウイルスも運んでいないかと、躊躇しながらの作業だった。その合間に見ることのできた展示について書いてみたい。

微妙なバランスと緊張感──久門剛史「らせんの練習」

豊田市美術館の久門剛史展は、3月20日にオープンしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止にともなう休館を経て、当初の会期を延長し、9月22日までの開催となった(ただし、6月22日〜7月17日は休館)。外部からの作品借用などの手続きの少ない、新作インスタレーションを中心とする形式だと、会期の延長などにも柔軟に対応できるという点は、発見のひとつだ。

「あいちトリエンナーレ2016」(豊橋会場/2016)やチェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』(2016初演)の舞台美術、また第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展「May You Live in Interesting Times」では、アピチャッポン・ウィーラセタクンとの共作が話題を呼んだ。筆者はちょうど昨年、文化庁主催の「グローバル化する美術界と『日本』:現状と未来への展望」に登壇した久門の話を聞く機会があったが、国内のキュレーターとのチームで展示を行なう日本館と異なる、約80作家が参加する企画部門で、ほぼ単独でアピチャッポンとの展示をハンドリングした体験の強烈さを淡々と、かつ真摯に語っており、その地道なキャリアの積み重ねが今回の大規模個展につながったことがわかる。

展覧会場では冒頭から、新作インスタレーション《Force》(2020)に迎えられる。天井高9.6メートルの大空間の壁面に取り付けられた、金属製の28台の給紙装置から、その気配が感じられないほどのスピードで、白い紙が落下し、床に積層していく。床には、不安定に接地した円形のガラステーブル状のオブジェと、無数の裸電球が置かれ、鑑賞者の背後に置かれた大きなスピーカーから聞こえる音と重なるようにして、呼吸するように静かに明滅している。しばらく見つめてみるが、何らかの規則性のようなものは感じられない。その瞬間は、あくまで、“ふいに”訪れるのだ。

久門剛史《Force》2020

同展カタログによると本作は、「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭2019」で発表された舞台作品『らせんの練習』で客席の天井から無数の紙片を落下させたラストシーンの演出との共通性があり、2018年の夏に訪れたアイスランドで見た氷河と火山が織りなす雄大な自然の美しさと恐ろしさから着想を得たものだという。

氷河の落下は、何の前触れもなしに訪れる。筆者はまさにいま、熊本・鹿児島大雨の只中にいるが、近年、頻発する地震や大雨といった自然災害は、予知や予報、防災や減災といった人間の考えや備えを、いつもやすやすと超えて猛威を奮う。そして、無数の被害や死をもたらすにもかかわらず、私たちは、自然のなかに多くの美や崇高さを見出し、それらと何らかの方法でもって、共生し続けてきたことに、人間の歴史や営みがあることを思い出させる。

その壮大な空間を見ながら階段を上ると、その後、展示は円形の鏡でできた時計をミラーボール状に反射させる《after that.》、切断されてずらされ、また内部で電球が振り子のように揺れるなど、それぞれが微妙なバランスと緊張感を持ったガラスケース型の作品が並ぶ「丁寧に生きる」と名づけられたインスタレーション、《crossfades#1》《Quontize》《crossfades-Torch-》の三つのインスタレーションを経て、階段を降りると、最後のアトリウムへと戻る。そのとき、私たちは初めて、身体と思考が立体的に渦を巻きながら循環していき、同展タイトル「らせんの練習」を改めて実感することになる。

久門剛史「丁寧に生きる」インスタレーション風景 2020


自然と人工、視覚と嗅覚──廣瀬智央「地球はレモンのように青い」

続いて訪れたアーツ前橋では、廣瀬智央「地球はレモンのように青い」が開催中だった。同展は4月10日のオープンが延期となり、幾度かの会期の変更を経て、最終的に6月1日に開館、7月26日まで実施されるという。

1991年以降、主たる拠点をイタリアに移したという廣瀬は、国内では展観の機会が限られてきたが、1997年に資生堂のザ・ギンザアートスペースで発表された、1万個のレモンを用いた《レモンプロジェクト03》は半ば伝説的に語られてきた。筆者がこれまで見ることができた作品は、BEPPU PROJECTが運営する宿泊施設「浜脇の長屋」内に設えられた《天空の庭》(2012)のみだったこともあり、90年代初頭の作品から、最新作まで約80点に及ぶ展示内容との対峙はまたとない機会となった。

廣瀬智央《レモンプロジェクト03》1997/2020

 

ギャラリーのある地下に向かって、足を進めていくと、マスク越しにほのかに柑橘類の香りが漂ってくる。今回、資生堂時の3倍の規模、およそ3万個のレモンを使い《レモンプロジェクト03》が再制作された。一つひとつのレモンを改めて見つめると、予想以上に個体差が大きい。出荷という選別を超えてもなお、造形の違いが際立つ。かつて廣瀬が訪れたソレント半島で、畑から立ちのぼるレモンの香りが町中に漂っていた経験をもとにつくられたというが、レモンそのものの香りだけでなく、抽出されたレモンの精油を定期的に散布しているという。その自然と人工、視覚と嗅覚のズレや対比が私たちを新たな体験へと導く。

会場を歩くと、いくつもの球体の作品が設置されている。球体=玉(タマ)は、“魂”と同義であり、生命や世界を象徴するという。繰り返し用いられるモチーフとしての豆や、それらを封入したアクリルのキューブ。両手で丸められた世界地図。そして、土と種をおにぎりのように丸めた《種団子》(2020)があちらこちらに置かれ、人工の植物で覆われた巨大な苔玉のような、直径2.5メートルの《フォレストボール》(2020)が鎮座する。いつか芽吹き、成長を始める小さな種の団子と、成長することのない大きな植物の球体は、対比的でありかつ私たちの世界に同時的に存在する。

廣瀬智央《フォレストボール》2020

そして、もうひとつ重要なモチーフは空だ。《ヴィアッジョ》(2001-16)は、イタリアの空の美しさに魅了されて以来、廣瀬が続けてきたプロジェクトである。場所と撮影年だけが示される以外、画面の中には場所を特定する建物などの要素はなく、純粋な“空”だけがそこにある。これまで、3500点以上も撮られてきたという空は、インスタレーションやポストカードなど、さまざまな展開を見せている。

そのひとつが、2016年に始まり、19年間の継続を目指す《タイムカプセルプロジェクト》(2016-35)である。前橋市の母子生活支援施設「のぞみの家」の子どもたちとお互いが見ている空の写真を郵便でやりとりする、「空の交換日記」だという。イタリアと日本、しかも前橋の、境遇も生き方も、まるで異なる人たちが、ミュージアムを通じて出会う。そして、それぞれが見ていた空が、実はつながっていたのだと実感するまでに必要とされる時間は、誰にもわからない。しかし、ミュージアムがずっとその場に寄り添っていくことだけは、間違いないだろう。



★──都筑正敏「うつむかず、顔を上げて踏み出していくために──久門剛史《らせんの練習》を巡って」(豊田市美術館監修『久門剛史 らせんの練習』展カタログ、torch press、2020、p.141)より引用



久門剛史「らせんの練習」

会期:2020年3月20日(金)〜9月22日(火)
※6月22日(月)〜7月17日(金)は全館休館
会場:豊田市美術館(愛知県豊田市小坂本町8-5-1)
公式サイト:https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/hisakado/

廣瀬智央「地球はレモンのように青い」

会期:2020年6月1日(月)〜7月26日(日)
会場:アーツ前橋(群馬県前橋市千代田町5-1-16)
公式サイト:https://www.artsmaebashi.jp/?p=14546

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