キュレーターズノート

地元作家と展覧会をつくる──「今森光彦 里山 水の匂いのするところ」展

芦髙郁子(滋賀県立美術館)

2023年08月01日号

私が滋賀県立美術館で働くことになったのは、2022年8月からである。つまり、私が担当している現在開催中の「今森光彦 里山 水の匂いのするところ」展は一年にも満たない準備期間のなかで開催されたということになる。とはいえ、企画自体は数年前から立ち上がっていて、私はそれを引き継ぐかたちだった。滋賀県立美術館で、今森光彦展を開催するにあたり、今森の長年にわたる「里山」シリーズをまとめ、総覧できる展覧会にしようという方向性は既に今森と今回の展示の関係者のなかで共有されており、あとはどのような切り口で展覧会を開催するかを考える必要があった。


展示風景[撮影:三宅敦大]


今森光彦は、1954年、滋賀県大津市に生まれ、第20回木村伊兵衛写真賞、第28回土門拳賞をはじめ、数々の賞を受賞している写真家である。学生の頃から世界各地を訪問し、熱帯雨林から砂漠まで、その自然に生きる生物とそれらを取り巻く環境を撮影。『昆虫記』(福音館書店、1988)や『世界昆虫記』(福音館書店、1994)など昆虫の生態写真でも知られている。1992年、写真雑誌『マザー・ネイチャーズ』夏号に「里山物語」を発表。以後、滋賀・仰木地区の琵琶湖を望む田園風景の中にアトリエを構え、自然と人との関わりを「里山」という概念を通して撮影し続けている。

今森の仕事は、写真だけにとどまらない。写真と並行して行なわれる文筆活動、写真集、絵本の出版、切り絵、最近ではガーデナーや環境農家としてなど、今森の多岐にわたる活動は多くのメディアで紹介され続けている。また、個展としては、滋賀県立琵琶湖博物館で開催された「里山─生命の小宇宙─ 」(1996-1997)にはじまり、東京都写真美術館で企画された「昆虫4億年の旅─進化の森へようこそ」(2008)など、各地で展覧会が開催されてきた。近年では、同じ滋賀にある佐川美術館で「いのちめぐる水のふるさと─写真と切り絵の里山物語─」(2021)が開催されている。

自然(じねん)というテーマ

このようななかで、本拠地の公立美術館での初めての個展は、どのような展示にすべきだろうか。私の最初の思いはあまりにも多くのもの、考えが驚くべきスピードで消費されてしまう現代において、ゆっくりと今森の写真作品を鑑賞し、改めて自然と人の関係について考えてもらえるような場所にしたいというものだった。

展覧会のテーマを決めるにあたっては、今森の全面的な協力があった。何度も今森のアトリエに足を運び、インタビューを行なった(このインタビューの一部は図録に掲載されている)。さらに、これまでの今森の仕事である連載雑誌や記事など、段ボール数箱分に及ぶ資料を拝借した。

これらの資料とインタビュー、今森が出版している写真集や著書から、展示を構成するにあたり、核となる道筋が見えてきた。ひとつは、今森が非常に早い時期から「里山」を提唱し、自然写真という分野において、独自の概念をもって作品制作に取り組んできたことだ。今森はそれを自然(じねん)と呼んでいた。「自然(じねん)」とは、元々は仏教用語。今森はそれを動物も生き物も人間も同じ立場だという考え方として捉えている。今森の作品を見ていると、確かに一般的な自然写真とは大きく異なり、自然や生物と共に、人の営みがみえる。

そして、その撮影のすべてが滋賀の里山で行なわれてきたこと。滋賀には琵琶湖がある。今森の撮影地である滋賀の里山は必ずどこかで琵琶湖が見える地形に位置している。奥山に鎮座する大樹、雑木林の苔、棚田の水面、すべてに水の気配があり、どこを撮影していても、地中を流れる水とそれに繋がる琵琶湖の存在を意識する、滋賀の里山とはそういう場所であり、このことをテーマに展示を構成しようと考えた。山々から下った水の流れは、湖で終わるわけではない。琵琶湖では、冬から春にかけて、琵琶湖の深呼吸という現象が起こる。寒暖差によって、表面の水と底の水が入れ替わるのだ。つまり、琵琶湖という広大な水の器のなかでも、循環が起こっている。そして水は、湖の表面から時間をかけて、大気へと昇り、山々へ還ってゆく。今森は、そうした里山における立体的な水の循環を、生命の循環とともに写しとっている。

こうした水の循環を意識して、本展は以下の6章立ての構成とした。

第一章 はじまりの場所(奥山)
第二章 萌木の国(雑木林)
第三章 光の田園(棚田)
第四章 湖辺の暮らし(かばたや漁場)
第五章 くゆるヨシ原(ヨシ原)
第六章 還るところ(琵琶湖)



展示風景[撮影:三宅敦大]


ニュープリントと撮影地である里山の映像

今回、今森の作品は一点を除き、新しくプリントされたものだ。過去にプリントされた作品のコンディションがあまりよくなかったというのが一番の理由だったが、今回の展示のために、作品を新しく制作できる機会が与えられたのは幸運だった。作品選びには、何度かミーティングを要した。今森がこれまで出版してきた里山の写真集『里山物語』(新潮社、1995)、『湖辺 生命の水系』(世界文化社、2004)、『里山の道』(新潮社、2001)、『里山 未来におくる美しい自然』(クレヴィス、2007)や『萌木の国』(世界文化社、1999)、『藍い宇宙 琵琶湖水系をめぐる』(世界文化社、2004)などを開きながら、ディスカッションを重ね、最終的に92点をセレクト。同時に展示プランを考え、作品のサイズを決めてゆく。これについても今回は、作家との共同作業で進められた。

また、本展覧会の最後のスペースでは、映像を上映している。この映像は、今森に撮影地を案内してもらいながら、映像作家の片山達貴に撮影と編集を依頼し、今回の展示のために制作したものだ。映像には、現在の里山が映し出され、今森が撮影してきた里山の一部が、既に失われていることがわかる。



『里山 水の匂いのするところ』展示風景[撮影:三宅敦大]


水と光と緑──デザインワークと空間設計への展開

最後に今回の展示のデザインについても記しておきたい。

展覧会を作るということは、上述してきたように展覧会の内容を決めてゆくのと同時並行で、展示空間やそのデザインを考え、多くのものを制作してゆくことでもある。本展示のチラシやポスター、チケット、図録、ハンドアウト、展示室内のグラフィックはすべてデザイナーの長岡綾子が手がけた。本展示のテーマである「水」を非常に美しいデザインでアウトプットしてくれた。



写真作品は今森のコメントと共に見てもらえるようにキャプションを制作。写真はサンプル。二つのサイズを検討した。[筆者撮影]



本展図録[筆者撮影]


展示空間としては、平面作品のみの展示になることから、少し空間に変化を付けたいと考え、展示壁を斜めに配置。作品をゆっくり鑑賞できるよう、作品と作品の間の余白に気を配った。

今回の特徴として、ガラスケースを間接照明のように使用している点があげられる。滋賀県立美術館の企画展示室には、日本美術などにも対応できるように、ほぼすべての面にガラスケースがついており、展示によっては、既存壁でガラスケースを隠し、展示壁とすることも多い。今回は、あえて、作品を展示している壁と壁の間に隙間をもうけ、ガラスケースが見えるようにし、里山における水の流れと同じように、ゆるく空間がガラスケースの光と共につながってゆくような展示空間を作った。



一部の作品はガラスケース内に展示している。[撮影:三宅敦大]


滋賀県立美術館はエントランスや内部の回廊がガラス張りであり、緑豊かな公園の中にあることもあって、今のような夏の時期になると、ガラスを通して見える景色は圧倒的な光量をもって爛々と輝く。夏の日の、そういう目の覚めるような体験と同じような感覚で、今森光彦の写真を鑑賞していただけたらと思う。

また、滋賀県立美術館の企画展示室には、途中で庭の見える休憩スペースがある。最近の展覧会では、この休憩スペースをいかに使うのか(使わないのか)が、ひとつの見どころになっている。今回は、今森からポジフィルムを借用し、ライトボックスで展示した。



休憩スペース[撮影:三宅敦大]




今森光彦のポジフィルム。昆虫の接写写真を中心に展示している。[撮影:三宅敦大]


切り絵のエデュケーションプログラム

さらに、本展覧会では、当館のエデュケーターが、切り絵作家でもある今森を講師に迎えて、子ども向けの切り絵ワークショップを企画している。そして、当館のラボでは「里山 切り絵の世界 ─オーレリアンの庭から」と題して、今森の切り絵作品も展示した。色鮮やかな作品はもちろん、こちらも楽しい展示空間になっているのでぜひ訪れていただきたい。



ラボ[筆者撮影]


美術館の展覧会を作るということはあらためて、多くの人が関わり、考え続けながら、アウトプットし続ける行為なのだということを思い知らされる。ほとんど息切れしながらたどり着いた展覧会開幕。作品の前でじっと佇む観客の姿を見て、最初の思いが蘇り、少しほっとした。

今森光彦 里山 水の匂いのするところ

会期:2023年7月8日(土)〜9月18日(月・祝)
会場:滋賀県立美術館
(滋賀県大津市瀬田南大萱町1740-1)

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