キュレーターズノート

わからない、からこそ──YCAMという場で教育普及担当ができること

今野恵菜(山口情報芸術センター[YCAM])

2023年08月01日号

今年開館20年を迎える山口情報芸術センター[YCAM]では、2003年の開館当初から教育普及に関する専従のスタッフが複数在籍しており、2023年の現在に至るまで、ギャラリーツアーのような作品鑑賞をサポートするプログラムや、アートやメディアについて考えるためのオリジナルワークショップなどの制作を続けている。いずれの取り組みも、突き詰めた先には「アートをどうつくるか」につながっている。

鑑賞する側のクリエイティビティ

ここで使う「つくる」とは作品制作だけでなく、発表された作品が鑑賞者によって鑑賞されることも含めた、作品の意味や価値が醸成される過程も指す。作品を展示するだけでなく、1からつくり上げるための設備や、さまざまな専門性をもつスタッフを擁するYCAMにとって「よりよい作品をつくるために鑑賞者の眼差しが必要」というスタンスは開館から現在まで一貫している。そのため、クリエイターや技術者のクリエイティビティだけでなく、鑑賞者のクリエイティビティに着目して考え続けることが、YCAMにおける教育普及担当の役割である。


ホー・ツーニェン「ヴォイス・オブ・ヴォイド─虚無の声」の際に関連イベントとして開催した「サンカクトーク」(2021)[撮影:谷康弘/写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


この役割をまっとうするため、教育普及に関する専従のスタッフは、日々鑑賞者(参加者、来場者)や、自分自身の「わからない」という状態に向き合っている。それは不鮮明で不明瞭な、そしてだからこそ興味の尽きない不思議な仕事である。この「わからなさ」を考えるために、YCAMで筆者が関わっているいくつかのイベントやプロジェクトを例に取ってみたい。


受け渡されていく「ぐるぐる」とした問い

まず「YCAMぐるぐるラジオ」である。これは2022年から試験的に放送が始まったYCAMのインターネットラジオ番組で、現在は月に一度、YCAMの館内で公開収録を行ない、その後Spotifyで収録した番組を公開している。ナビゲーターを務めるのは、教育普及担当のスタッフで、さまざまなクリエイターらをゲストに迎え、創作や山口の地域性にまつわるさまざまなトピックについて話を深めていく。この番組で重要な役割を果たすのは、リスナーから寄せられるいわゆる「お便り」、そのなかでも特に「お悩み」と呼ばれるあてどない疑問や相談ごとである。2022年の開始当初は、NHKラジオ第1放送で放送されている「子ども科学電話相談」などを参考に、クリエイターが現在進行形で取り組んでいること、思考していることに、ナビゲーターが着目し、通訳することで、リスナーとのクリエイター、そしてYCAMとの間に新しいコミュニケーションの回路を生み出すことを目的としていた。


「YCAMぐるぐるラジオ Season2」の公開収録の様子(2023)[撮影:塩見浩介/写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


2022年5月、打楽器奏者の石若駿をゲストに迎えた第1回において、リスナーから寄せられたお便りに「ドラムが上手いってどんな人? どんな状態?」という旨の質問が記されていた。そこから石若と話を進めていくなかで「テクニック的なこと以上に、相手(例えば一緒に演奏する人)を思いやることができる人を【ドラムがうまい】と評したい」という、その場での一旦の結論が導き出されたのである。



素朴で、時に突飛な質問やお悩みといった「問いかけ」が、「クリエイターのまだ言語化したことのない領域」を刺激し、クリエイターが悩みながらも初めてその領域を言語化する様子に立ち会うことができた。リスナーの「わからない」が、クリエイターに新たな「わからない」を提供した、とも言えるだろう。ナビゲーターを務めた立場からは、そうした様子は先述の「作品が鑑賞者によって鑑賞され、作品の意味や、価値が醸成される過程」と似ているようにも思えた。

以降、ナビゲーターとゲストのそれぞれが、リスナーの問いかけを自身の得意分野に引き付けながらも、そのなかでもまだ明瞭ではない領域を必死に「ぐるぐる」するさまが、「YCAMぐるぐるラジオ」の肝となっている。現在では、回を跨いだ「問いかけ合い」も起こり、今後ますますの「ぐるぐる」が予見されている。


改めて考える、アートセンターの使い方

先述の「YCAMぐるぐるラジオ」の例からも、私たちの周囲には、すでに素晴らしい「わからない」、つまり、唯一の正解がないなかでのクリエイティビティ溢れる挑戦、問題解決のための議論や取り組み、次につながる問いかけが、数多く存在していることがわかる。その一方で、YCAMのような公立のアートセンターが、そうした取り組みを丁寧にサポートしきれていないことはおろか、時にその権威的な存在が、こうしたすでに発生している「わからない」の営みの邪魔をしかねない、というリスクを認識する必要がある。

次に取り上げるのは、YCAMが2015年から開催してきた「未来の山口の運動会」というイベントである。これまでスポーツとの関わり方は、大まかに「する」「見る」「支える」の三つに限定されてきたが、ここに新たに「つくる」を加えようとする「スポーツ共創」という考え方がある。これをメディアテクノロジーと芸術表現の視点から実践しようというのがこのイベントだ。事前にメディア・テクノロジーを駆使して新しい運動会種目を開発するイベント「YCAMスポーツハッカソン」を実施し、その開発した種目を「未来の山口の運動会」で実施する。これまでコロナ禍を挟んでイベントの形式を変えながら、7回にわたって開催してきた。その過程で、山口市内においてYCAMとは異なる目的意識、例えば観光や教育などの分野にスポーツ共創を応用する取り組みが現われるようになった。

スポーツ共創を自身の通う学校で広めたい、地域の魅力をスポーツゲームによって伝えたい、といったモチベーションやその取り組みは、すでに外部からの再評価を必要としないほど強固なものである。それをアートセンターが見出すこと、評価することは、それぞれのよりダイナミックな取り組みへの可能性に通じると同時に、扱い方を誤ればこれまで培ってきた純粋な文脈や純粋なコミュニティ自体を崩しかねない。


「第7回 未来の山口の運動会」の様子(2023)[撮影:ヨシガカズマ/写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


このような状況のなかで改めて、YCAMというアートセンターが、そしてその教育普及の担当ができることを考えると、それは、共にその「わからない」を見つめ、問いかけ合う環境をつくること、だと考えている。無論、環境は必ずしも施設や場所のみを指さず、それこそゆっくり、ぐるぐるとした歩みであったり、そこに立ち止まって考えるための時間や、「わからない」の輪郭を丁寧になぞるようなコミュニケーションの相手(としての人間)も含んでいる。

2023年10月28日からは、YCAMで2021年から継続的に取り組んでいるプロジェクト「オルタナティブ・エデュケーション」の一環として、アートセンターの社会的な役割を再考するための展覧会「スペキュラティブ・ライブラリー(仮題)」の実施を予定している。展覧会場は図書館を模した設えを検討しており、本の代わりに来館者の「知識」「思い出」「アイデア」を集め、情報を交換し、知恵を生み出し、普段の生活に何らかの気づきや変化をもたらす場としての図書館を目指すものである。「オルタナティブ・エデュケーション」は、YCAMと地元の人々との関係性を見直し、新しい「YCAMの使い方」を模索・提案するためのプロジェクトでもある。「スペキュラティブ・ライブラリー(仮題)」は、これまでの取り組みのなかで見えてきた、こうした課題や仮説を展覧会というかたちに落とし込む挑戦でもある。


セラムの展覧会「クリクラボ─移動する教室」の一環として開催した「知識のマーケット」の様子(2021)。プロジェクト「オルタナティブ・エデュケーション」の初年度に実施した[撮影:谷康弘/写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


わからないからこそ、出会いと機会に恵まれた山口情報芸術センター[YCAM]、そしてその教育普及の仕事は、20周年という節目を、静かに、しかし着実に変化しながら進もうとしている。



スペキュラティブ・ライブラリー

会期:2023年10月28日(土)〜2024年1月28日(日)
会場:山口情報芸術センター[YCAM](山口県山口市中園町7-7)
公式サイト:https://www.ycam.jp/events/2023/speculative-library/