キュレーターズノート
工芸2.0?──ソーシャルメディア時代の工芸
鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)
2010年05月01日号
対象美術館
昨年12月にゲントから金沢に戻って以降、5月8日に始まる第1回金沢・世界工芸トリエンナーレの準備にあたっている。トリエンナーレのディレクターは、金沢21世紀美術館館長の秋元雄史で、キュレーターは秋元を含む5人。金沢21世紀美術館の主催ではなく、金沢市と金沢市工芸協会による開催委員会が主催している。私は、その事務局で、キュレーションまわりのコーディネーターをしている。チームをつくって街中に仮のオフィスを借り、輸送、展示の手配やカタログの作成、広報を行なっている。
金沢に来て10年以上経つが、工芸はこれまで仕事としては直接関わってこなかった。トリエンナーレがきっかけとなって、工芸について勉強し始めたが、いろいろ新鮮で楽しい。なかでも一番楽しいのは、作家/職人の工房を訪ねることだ。もともと、アーティスト、デザイナー、建築家とジャンルに限らず、仕事をされている現場を見せていただくのが大好きで、「キュレーター」をしているのは、ほとんどそのための口実だといってよい。それが工芸の作家/職人だとなおさらだ。小学生のときに、パン工場に社会科見学に連れられたときの驚きそのままである。ここ3カ月ほど、なんにも知らないことをいいことに、作家のところに訪ねていっては、道具から材料から、なんでも聞いて、みせていただき、最高の幸せである。
先日は、金沢の二俣という地域で伝統的な紙漉きを続けている斎藤博さんを訪ねた。斎藤さんは、紙の原料となるコウゾを育てているが、そのコストは、タイから輸入する場合と比べ、10倍にもなるという。また工場で生産する紙は、コウゾやミツマタの皮を取らずにつくり、化学的に漂白するが、斎藤さんの場合は手で皮を剥ぎ、化学的な薬品を使わない。それにかかる手間は大きい。しかし、化学変化を使わずにつくった紙は経年変化に強いそうである。自家製のコウゾとタイで生産されたコウゾの品質の違いまでは私にはわからなかったが、農薬の使用に関する信頼性の問題かと思われる。どんなに手間暇をかけても、自分が信頼できるものだけを使って紙をつくるという姿勢には感銘を受けた。しかし、はたして誰がそこまでのハイスペックの紙を必要とするだろうか。コストがかかるため、生産者の数が減っている。いまは二俣で和紙を漉いているのは3人である。
いま、これからの工芸について、私が仮説的に考えていることは、工芸は作家性の高い単体の作品で勝負すべきではない、ということである。むしろ、匿名的に別の体系のなかにプラグインする方法をとるべきではないか。それには、二つの方向があると考えている。ひとつは、超高級な製品の一部に使われることを目指すという方向。もうひとつは、ライフスタイルの一部としての工芸品をプロモーションするという方向である。
前者の例として、斎藤さんの和紙を文化財の修復に使えないか、と考えてみた。斎藤さんの工房を伺ったきっかけは、ゲントの作家が金沢を訪ねていて、和紙に関心をもっていたことである。そのゲントの作家は、コンテンポラリーアートの作家であると同時に、修復家としての仕事もしていて、和紙がヨーロッパ中世の写本や地図の修復に使われていることを教えてくれた。これから何世紀も残さなければならない文化財のためならば、たとえ一枚何千円もの値段でも、いっさいの化学的な加工プロセスを排除した、変化の可能性が低いと信用できる、手漉きの和紙を使用する価値はあるだろう。この場合、修復された写本において、和紙の存在は見えない。つまり、鑑賞される工芸とは反対の方向性で、それが「プラグイン」という言葉で私が言おうとしたことの意味である。非常に狭い市場ではあるが、ロングテールのマッチングによるブランド化は、最高級の材料の生産と技術を残す道であると思われる。
後者の例としては、金沢のライフスタイルを地域ブランドとして発信し、その一部として工芸を位置づける方法である。これには、最高級の材料や技術である必要はない。むしろ、街の人たちの、丁寧な生活を大切にするという態度自体が重要となる。具体的には、お互いの身近なところに、ガラスの作家、陶器の作家、料理人、お茶を習っている人、建築家、造園家、パン屋、菓子職人、個性的なショップ店主などがいて、しばしば集まっては、おいしい食事を食べたり、お酒を飲んだり、お茶をしたりしながら、情報交換したり、教え合ったりする関係がつくられているという状況を、地域コミュニティの魅力の核として認識する。そして、友達の店で買い物をしてお酒を飲み、友達がデザインした服を着、友達が改修した家に住むというライフスタイルの一部として、工芸品を組み込むのである。このような工芸の位置づけが二つ目の「プラグイン」の方向性である。
ライフスタイルを地域ブランドの重要な柱として提起しているのは、加藤正明である(『成功する「地域ブランド」戦略』)。例えば京野菜がブランドを確立できた理由を加藤は、おばんざいという庶民の伝統的な習慣、そしてそこから連想される京都のライフスタイルとうまく結びつけられたからだという。金沢においては、岩本歩弓の編集によるガイドブック『乙女の金沢』や、新竪町商店街のコミュニティが、この「ライフスタイルのなかの工芸」という方向性を示している。
「プラグイン」による二つのブランド化の方向性は、片や最高級の素材と技術のプロフェッショナリズム、片や参加型アートに近いアマチュアイズムと、正反対の方向を示しているとも言える。だが、この両者に共通するのは、作家性の低い少数生産ということである。かつてならば、少数生産品は、作家性を高めることによってしか、市場で生き残ることができなかった。しかし、インターネットが引き起こしたメディアの転換、すなわち、大量生産品と少数生産品がフラットに併置される状況の出現によって、作家性を必要としない少数生産品が存続可能となるだろうと期待している。ソーシャルメディアが、ますます少数生産品に関する情報の流通を容易にするであろう。
今後、この仮説をさまざまなアクションを通じて検証してゆきたいと思っている。