トピックス
3Dデジタル技術で体感する地球儀・天球儀の世界
高橋裕行(キュレーター)
2016年03月15日号
対象美術館
「BnF × DNP ミュージアムラボ Globes in Motion フランス国立図書館 体感する地球儀・天球儀展」が、DNP五反田ビル(東京都品川区DNP五反田ビル1F)で開催されている。本展では、大日本印刷株式会社(DNP)とフランス国立図書館(BnF)が共同でBnFの地球儀・天球儀コレクションの3Dデジタル化に取り組んだプロジェクト(「地球儀・天球儀3Dデジタル化プロジェクト」)の成果を実物の地球儀、天球儀とともに体感できるものとなっている。
17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメール(1632-1675)の名作《地理学者》と《天文学者》に描かれた対作品《ホンディウスの地球儀・天球儀》を含む地球儀・天球儀10点と関連作品1点が前期と後期に分かれて展示され、3Dデジタルデータを活用した体感型鑑賞システムとともに楽しむことができる。
フランス国会図書館(BnF)は1368年、シャルル5世が創立した王立図書館を起源とする世界屈指の図書館で、法定納本制度により1537年以降にフランス国内で発行された書籍がすべて納本されている。現在のコレクション数は4000万点(書籍のみならず、地図、コイン、装飾品を含む)。そのコレクションのひとつに、地図部門が収蔵する地球儀、天球儀がある。一方、DNP ミュージアムラボは、2006年にスタートしたルーヴル美術館との共同プロジェクトなど、ITを活用した新しいかたちの鑑賞システムの開発と普及で知られている。
地球儀、天球儀は美術工芸品としてだけでなく、書籍と同じくさまざまな情報を読み解くことができ、資料的な価値も高い。しかし、これまで保存の観点から、鑑賞者が実際に触れる状態で展示することは難しかった。そこで今回、高精細3Dデジタル化を行なうことによって、文化財としての保存と継承を図りつつ、同時に、資料としての閲覧、コレクションの公開を行なうということが目指された。DNPが独自開発した地球儀・天球儀のデジタル撮影ツールと、世界最高性能のデジタルカメラによって、地球儀・天球儀1個あたり約400枚の写真がパリで撮影され、特に貴重な55点の地球儀、天球儀が3Dデジタル化された。
展覧会場は展示室、ホワイエ、シアターの3つに分かれている。展示室には、前期は5つの地球儀・天球儀が展示されている。展示ケースに収められた地球儀・天球儀の前には4K解像度のタッチパネルがあり、目の前にある地球儀・天球儀の3Dデジタルデータを鑑賞者が拡大、縮小、回転して見ることができる。
また、タッチパネルの画面には見どころのトピックが示され、作品に関する理解を深めることができる。3D作品鑑賞システムで特定の内容に関する知識が深まると、一見しただけでは気づかなかったような細部まで自然と目がいく。美術工芸品としてだけでなく、「読み解く」ことができる資料性の高い地球儀・天球儀の展示において、このような手法は理想的といえよう。
それでは、実際に前期に展示されている地球儀・天球儀を順に紹介しよう。
《バラデルの地球儀》
ジャック・バラデル
パリ、フランス
直径24cm、幅37cm、高さ50cm
紙・印刷
鎖国時代の日本が描かれている。北米には大きくルイジアナ(ルイ14世の名にちなんでいる)の文字があり、18世紀にフランスがアメリカで大きな力を持っていた痕跡を見ることができる(仏領ルイジアナ)。世界有数の漁場ニューファンドランドもはっきり確認できる。ビューワの解説文ではほかに南半球のオーストラリアとニュージーランドの探検や献辞の飾り窓(カルトゥーシュ)についても触れられている。
アラブの《天球儀》(1573年)
ジェム・アルエディン・モハメッド・イブン・モハメッド・エル=ハシミ・エル=メキ
メッカ、サウジアラビア
直径12cm
銅・エッチング
蝋を用いたロストワックス法でひとかたまりに鋳造された銅の合金で、表面には900個の星が銀をはめ込んだ点で表現されている。古代ギリシャの天文学はアラビアに引き継がれて発展した。10世紀ペルシャ人の天文学者アブドゥル・ラフマーン・スーフィーのよる『星座の書』はよく知られているが、この天球儀は天文学者が論文を読むときの補助として使われたといわれている。
チェリーの《地球儀》(レリーフ加工)
チェリー
パリ、フランス
直径31cm、幅42cm、高さ60cm
厚紙・印刷とレリーフ加工
山脈を型押しの技術で隆起させ、レリーフ状に表現して地球の立体的な形状を再現した点が特色の地球儀。型押しの技術自体はそれまでも本の厚表紙の装飾に使われていて、1840〜50年代にはドイツのバウアーケラー兄弟がこの技術を用いて地図を製作していたが、フランス人教師チェリーはこれを地球儀に応用し特許を取得(「球面レリーフ」の特許)。1855年のパリ万博では賞を獲得した。アラスカがロシア領であったり、アメリカ大陸に先住民族の部族名が太文字で強調されていたりする点が興味深い。1895年ごろから探査が本格化する南極については、正確さを重んじたチェリーは、製作当時に判明していた部分だけを描き込んでいる。
ホンディウスの《地球儀》(1600年)
ヨドクス・ホンディウス(父)
1600年
アムステルダム・オランダ
直径42cm、幅47cm、高さ50cm
紙・印刷
フェルメールの《地理学者》に描かれた地球儀。オランダの地図製作の黄金時代(1590年代-1640年代)に作られた。アムステルダムでは、ファン・ラングレン、ブラウ、ホンディウスの三家が地球儀製作の市場でしのぎを削っていた。ホンディウスはブラウ家のウィレム・ブラウに対抗し、彼が版画装飾に起用していた画家ヤン・ピーテルスゾーン・サーンレダム(1565-1607)のバロック様式に倣って製作した。この地球儀は美術工芸品であると同時に実用的な道具でもあるという地球儀の特徴をよく表わしている。ここからさまざまなことを読み取ることができるが、ここでも3D作品鑑賞システムの解説が参考になる。この時代、オランダは1581年にスペインから独立を宣言、バルト海での中継貿易で富を蓄え、1602年にオランダ東インド会社を設立し、東南アジアにまで貿易網を広げ、スペイン、ポルトガルに代わり海の覇権を握っていく。地球儀には、オランダ独立戦争を勝利に導いたオラニエ公マウリッツ・ファン・ナッサウ(1567-1625)への献辞が掲げられ、海洋国家オランダにふさわしく、海の生き物や多様な船舶が随所に装飾として描かれている。クジラ、シュモクザメ、タツノオトシゴ、想像上の生物、戦艦、商船、探検のための船などである。船にはオランダを象徴する三色旗がなびいている。地球儀には、当時最新の知見が反映され、例えば、オランダ人航海士ウィレム・バレンツ(1550頃-1597)の北極海探検の成果としてノヴァヤゼムリャが記されている。その一方、18世紀まで「巨人の地」と信じられたパタゴニアには、スペイン人兵士と対峙するパタゴニアの巨人が描かれている。また、東アジアに目を向けると、中国国境には万里の長城がはっきりと描かれている。16世紀初頭までヨーロッパではマルコ・ポーロの『東方見聞録』の影響が強かったが、ポルトガル人がアジアに実際に航海するようになり、次第にその様子が知られるようになり、1560年代から地図に万里の長城が登場するようになったという。
ホンディウスの《天球儀》(1600年)
ヨドクス・ホンディウス(父)
1600年
アムステルダム・オランダ
直径42cm、幅47cm、高さ50cm
紙・印刷
フェルメールの《天文学者》(1668)で学者が手に取って眺めている天球儀である。星座の図像が大胆に美しい色彩で描かれている。天球儀は中世のイスラム世界から作られるようになったが、ホンディウスはここに最新の科学的知見を反映させている。例えば、1572年にデンマークの天文学者ティコ・ブラーエ(1546-1601)がカシオペア座に発見した超新星。これは「宇宙は一定で変わらない」とされたかつての宇宙観を一新する発見だった。また、1595年から1597年にかけて行なわれた東インド諸島への航海でオランダの航海士ピーテル・ディルクスゾーン・ケイセル(1540-1596)と同じくオランダの探検家フレデリック・デ・ハウトマン(1571-1627)が観測した南天の135の新しい星々の観測結果をもとに天文学者のペトルス・プランシウス(1552-1622)がまとめた南天12星座も描かれている。これらは伝統的に知られたプトレマイオスの48星座には無かった新しい星座で、この天球儀でも孔雀や鳳凰の美しい姿を見ることができる。
なお、今回のプロジェクトで3Dデジタル化された地球儀・天球儀は、展覧会の公開にあわせ、BnFのインターネット上のオンライン図書館ガリカ(Gallica)でも閲覧できるようになった。ただし、現在はフランス語のみの対応となっている。とはいえ、展覧会会場で見たのと同じ高精細な3Dデータを世界中どこでもいつでも参照できることの意義は大きい。
AR、VRで体験する地球儀・天球儀の世界
展示室に続くホワイエ入口近くにはAR(オーギュメンテッド・リアリティ)を使った展示物がある。パンフレットを机の上に置くと、映像がその上に投影される。ここでは、地球儀・天球儀の製作技法を学ぶことができる。
「コレクションを知る」のコーナーでは大型のタッチパネルのインターフェイスで、プロジェクトで3Dデジタル化された55点の地球儀・天球儀の基本情報を閲覧できるほか、それらに関連付けて「アメリカ大陸への到達」「オランダ黄金時代」「アラビア天文学」といった10のトピックについて知ることができる。
ホワイエの後半にはVR(ヴァーチャル・リアリティ)を使った鑑賞システム「天球儀の中へ」がある。天球儀は「地球は宇宙の中心で静止し、星たちがその周辺を等距離で回っている」というかつての西洋の世界観を形にしたものだが、ここでは、鑑賞者が立体視のヘッドマウントディスプレイを装着し、3Dデータの天球儀を内部から鑑賞することで、《バラデルの天球儀》の中心に入り込み、足元から天井まで、天球儀に包まれるというヴァーチャルな3D体験ができる。本展の目玉のひとつといえるだろう。
続く「べハイムの地球儀を体感」のコーナーでは、大型の画面の前で、両腕と手の平のジェスチャーで、現存する最古の地球儀《べハイムの地球儀》(複製)(1492年)の3Dデジタルデータを拡大・縮小、回転させながら閲覧することができる。《べハイムの地球儀》には、クリストファー・コロンブスの航海以前の世界観が表現されており、位置も形も不正確ながら日本が描かれていることでも知られている。
シアターでは「地球儀に見る日本 西洋の地図に描かれた伝説の島」という12分間の映像作品が上映されている。豊富な地図の映像を参照することで、伝説の島であった日本がどのようにヨーロッパ世界に知られていったかが理解できる。
このように、本展では、日本でこれまで見ることが出来なかったBnFの貴重なコレクションが無料公開されているだけでなく、メディアテクノロジーを使った新しい作品鑑賞のシステムを実際に体験できる。地球儀・天球儀には膨大な情報(歴史、文化、科学や世界観)が埋め込まれているが、鑑賞者にとって、それらをケースに入れられた実物とテキストの解説のみで短時間に読み取ることは容易ではない。3Dデジタルデータを活用した鑑賞システムとそのインターネット上での公開は、一般の鑑賞者だけでなく、研究者などにとっても今後大きな助けとなるだろう。