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Mémoire et Lumière Photographie japonaise, 1950-2000

栗栖智美

2017年08月01日号

 2017年6月28日から8月27日まで、Maison Européenne de la Photographie ville de Paris(以下、MEP)にて開催されている、「Mémoire et Lumière Photographie japonaise, 1950-2000」と題された日本写真のコレクション展示を俯瞰しながら、フランスにおける日本写真の受容について考えてみたいと思う。



図1 入口を入ったところにある禅庭のような作品は田原桂一による常設展示


MEPで開催された背景

 まず、この展覧会開催の経緯について、開催地となったMEPの歴史から見ていこう。1980年代にパリで国際写真月間をオーガナイズしていたParis Audiovisuelleアソシエーションの設立メンバー、アンリ・シャピエ(Henry Chapier)氏とジャン=リュック・モンテロッソ(Jean-Luc Monterosso)氏が現在MEPの館長とディレクターを務めている。MEPはパリのセーヌ川沿岸のサン・ポール駅のそばにあるが、ここに移転したのは1996年。それ以前はレ・アール地区のForum des images内にあり、400m2のギャラリーでさまざまな写真の展覧会を行なっていた。ここは1985年にオープンしており、フランス、海外の写真家の作品を一般に公開する、当時はまだ珍しい写真専門の機関であったという。
 国内外の現代写真家の貴重な作品が体系的にコレクションされ、国際市場において正当な評価を得、そして写真史というものに彼らの作品が刻印されていくことに貢献したのは、フランスにおいてはほかならぬこのMEPなのである。



図2 MEPの展示としては珍しい5つの展示室を使った大規模な特別展


 芸術写真の教育普及に意欲的に取り組んできたMEPで、この夏、大日本印刷から寄贈された日本人写真家21名の約350点に及ぶ写真コレクションが一同に展示されている。この寄贈は1994年から2006年の足かけ13年にわたって、日本だけでなく国際的に見ても重要な位置を占める写真家の作品1〜2シリーズが毎年寄贈された。かねてからフランスにコネクションがあった倉持和江氏が作品の選出を担い、MEPにおいてはコレクションを増やしていく館の成長期と重なったこともあって、フランスにおける日本写真コレクションとしては、包括的で充実した戦後現代写真史の作品群が収蔵されたのである。
 2017年夏、この珠玉のコレクションが初めて一般公開された背景には、先に述べたMEPの設立と運営に重要な役割を担い、またこの日本写真収蔵プロジェクトの立役者でもあるジャン=リュック・モンテロッソ氏の退館記念というタイミングであったことが挙げられる。そして何より、フランスにおいて日本の現代美術および写真というものが受け入れられたいまこそ、このコレクションをお披露目し、日本の戦後写真史を俯瞰するのに機が熟したと判断したのだろう。

 フランスにおいて、日本という国は昔からミステリアスに映るようだ。印象派の画家たちによるジャポニスムを例にするまでもなく、フランス人は敬意と好奇心が入り交じる視線で日本の文化を眺めている。実際に、彼らは日本の研ぎすまされた意匠美と、驚くほどの高性能なプロダクトを賞賛すると同時に、日本の奇異なポップカルチャーや、理解不能な日本の社会的現象を婉曲し、おもしろおかしい部分をクローズアップした番組を見て楽しんでいる。日本の伝統と革新、勤勉と狂気、自然との共存と自然破壊という両極端なあり方に興味を抱くフランス人は多い。
 フランスの美術愛好家にとっても、彼らからすると斬新な視点を持ったアーティストや作品の動向は気になるのである。昨今では日本の作品が国際市場に出回り、海外を拠点にする日本人アーティストも多くなり、日本のアートはフランス人にとって身近になった。とはいえ、やはり本質的なところはヴェールに包まれていて、いまもなお彼らを魅了しているようだ。

フランスにおける日本写真の受容



図3 荒木経惟 センチメンタルな旅シリーズより


 フランスにおける日本写真の受容という点に話を移そう。昨年だけでも、戦後の日本現代写真史にとって重要な役割を担う森山大道(カルティエ財団美術館)と荒木経惟(ギメ美術館)の大規模な回顧展が開催され、好評を博した。若い世代の写真家をフューチャーした小さな展覧会もここ数年いたるところで行なわれている。フランスにおいては、日本写真はもはや珍しいものではなく、アートのひとつのジャンルとして知名度が高まり、一定数のファンと確固たる評価があると言ってもいい。
 ところが、MEPにおいて大日本印刷からの寄贈が始まった1990年代というのは、日本の写真はおろか、日本のアート自体もフランスではまだまだ知られていなかった時代である。公的機関で日本の写真が体系的にコレクションされたのは、フランスにおいてはMEPが初めてであった。その後、約30年を経て、日本の写真家が世界で注目され、国際的評価を得られるようになったのも、世界中で、日本写真のコレクションが充実し、多くの展覧会が開催され、作品の研究が進むなど、地道な普及活動があったおかげなのである。



図4 展示写真家の希少な写真集を展示するコーナー


 今回の展覧会には、MEPが収蔵する各アーティストの写真集も存分に展示されている。実は、写真作品を印刷、製本し、写真専門の良質なカタログとして販売するという伝統は、フランスにはなかったそうだ。写真を作品として鑑賞するのは、現像され額装されたものであり、印刷した写真を鑑賞するという概念は当時のフランス人には新鮮に映ったらしい。反対に、日本の写真家たちは、写真展と言っても1週間程度の短期間でしか展示されないことが多く、展覧会の外でも、きちんと「鑑賞」できる写真集という形が発達したのかもしれない。なかでも細江英公の豪華な装丁の写真集『薔薇刑』『鎌鼬』による成功が大きい。まだ日本人写真家が海外で注目されることなどなかった60年代にいち早くフランスやアメリカで写真展を開催し、高い海外評価を得たのは、写真集がもたらした栄光のエピソードひとつである。
 MEPは写真集も作品の一部として捉えて収集に励んできた。日本では絶版になってしまったものや、フランスでは翻訳されず決してお目にかかることができない貴重な写真集も展示されているのは、特筆すべきだろう。大日本印刷をはじめとする高い技術を誇る印刷会社や出版社の存在によって、日本における芸術写真集というスタイルがフランスにもたらされた、それも観客たちへの密かなメッセージになっているのではないだろうか。
 また、新聞や雑誌での日本の写真に対するフランス人の記事を散見していると、「ニコンやキヤノン、リコーなど高性能なカメラのブランドを持つ国である」「いまだにフィルムを使用し、モノクロ現像をしている写真家が多い」という記述を見かける。もちろんデジタル技術も日本は他の国に劣っていないのだろうが、古くから写真を支える機材の品質のよさに恵まれた国だからこそ、フランス人にはその芸術性に説得力が生まれるのかもしれない。今回展示された作品のほとんどがモノクロームの作品であることも、暗室でフィルムをモノクロ現像しているといったようなフランス人の想像をかき立てているのだろうか。日本にとって写真とは文化であるだけでなく、経済の一部でもある、というある記事での指摘が印象に残った。

4つのジェネレーションと4つのテーマ



図5 東松照明の原爆の爪痕をテーマにした作品群


 では次に、Mémoire et Lumièreと題されたこの展覧会の中身について触れたいと思う。DNPコレクションの写真史での位置づけや意義については、飯沢耕太郎氏の文章(2017年7月1日号)を参照していただくとして、私はジェネレーションとテーマについて述べたい。

 展示の順路は年代順に進んでいく。それは、2つの原子爆弾の投下と直後のアメリカ軍の占領、戦後の驚異的な復興と経済成長、阪神・淡路大震災や東日本大震災と福島第一原子力発電所事故といったように、戦後70年間で日本が味わった歴史的事件の数々を主題にした作品が多いということ。そして、日本特有の徒弟制度によって写真技術が伝承していき、それぞれの写真家が前時代の写真家から多大な影響を受けているため、「戦後の社会的リアリズムの時代」「VIVO設立の主観主義の時代」「VIVO解散後の森山大道や荒木経惟の時代」「戦後生まれの世代」といった、4つのジェネレーションに区切ることで日本戦後写真史をわかりやすく解説する意図がある。



図6 木村伊兵衛の秋田の農村と東京の街の風景を捉えた作品


 またこの展覧会では4つの大きなテーマで日本写真が語られている。
 写真家独自の目線で日常の風景を客観的に切り取った木村伊兵衛や石元泰博、フランスとりわけMEPと関わりが深くパリ在住で芸術家たちのポートレートを数多く残し、展覧会準備中に亡くなられた田原桂一、家族の親密な情景を描く荒木経惟や深瀬昌久や古屋誠一、石内都など、彼らに共通するのは「アンティミスム(親密性)」というテーマである。時と場所を選ばずにいつでも感情をオープンにしているフランス人からは、気持ちを押し殺して笑顔をつくる日本人はミステリアスに映るらしい。大人しく佇む姿とは裏腹に、被写体の俗っぽい情動が時折画面から垣間見えるように感じるのは思い過ごしだろうか。
 次は、広島、長崎の原爆の惨状を淡々と訴える東松照明や土田ヒロミ、オウム真理教の事件や阪神・淡路大震災の記憶を呼び起こす宮本隆司の作品などの「ドキュメンタリー」的テーマ。これらの歴史的事件はフランスでも当然報道されているが、日本人が味わった心の痛みを、この静かな画面から彼らはどう汲み取るのか、他の展示室に比べて観客の足が時折止まるのがとても印象的であった。
 そして、砂漠という特殊な風景を舞台に視覚のトリックで演劇的空間をつくり出す植田正治、太陽の運行を長時間露出で海辺の景色に定着させた山崎博、同じく劇場を舞台に映像が流れる時間を焼きつけた杉本博司、風景、街並みをテーマに人間と自然の関係性を収めた柴田敏雄、畠山直哉、松江泰治のような、「環境、自然との対峙」をテーマにしたもの。ヨーロッパ人に比べて自然と共存し、自然を崇めると言われる日本人による自然美の捉え方。その視点もまた、彼らにとっては特別なものとして映るのかもしれない。
 最後は、アメリカの雑誌のフォトグラファーとして長年経験を積み、オリジナリティ溢れるHiroと、アート作品の手法として写真やポートレートを用い、美術史の作品のなかに自らを滑り込ませる森村泰昌に通じる日本的なようでいて日本の文脈から超越した「脱日本」的テーマ。この2人の作品はカラー写真であることも特徴的だ。ことに、今回、写真というカテゴリーのなかで、森村泰昌の作品で展示を締めくくっているのは興味深い。マルセル・デュシャンとマネの作品に入り込んだセルフポートレートに、日本人のユーモアや狂気を感じるのだとしたら、日頃、フランスのメディアで紹介されるポップな日本のイメージに重ね合わせ、やはり日本は勤勉さと狂気を持って、伝統と革新を同時に実現できる民族なんだと納得するのかもしれない。



図7 森村泰昌の作品は道路からも見える展示室で注目を浴びていた


 それぞれの写真家に主義主張があり、それぞれのシリーズ作品にテーマがあり、それを日本戦後写真という限られたスペースの年表上に刻んでいくことは難しい。けれども、戦後50年間に活躍した数多くの写真家の星の数ほどの作品のなかから、MEPに集められた21作家約350点の作品を眺めていくだけでも、戦後の日本史の流れとリンクして、彼らが考え、伝えようとしたテーマが戦後写真史という線上にうまく並んでいるように見えるのは興味深い。それだけ、ここにあるのが、日本写真史に欠かせない素晴らしい作品のコレクションだということを裏づけている。
 日本ではもうずいぶん昔から、日本を代表する多くの写真家の展覧会はいたるところで行なわれており、研究も進んでいるだろうが、フランスにおいてはまだまだ日本の戦後写真史を語る史料は少ない。あるひとりの作家の回顧展ではなく、このようにまとまった写真展示によってひとつの国の写真史が俯瞰できる機会は、これまでもあまりなかったはずである。この豊かなコレクションによって、今後のフランスにおける日本戦後写真史の包括的な研究が進んでいくことを願うばかりである。

Mémoire et Lumière
Photographie japonaise, 1950-2000
La Donation Dai Nippon Printing Co., Ltd.

会期:2017年6月28日(水)〜2017年8月17日(木)
   11:00〜20:00
   (月曜日・火曜日・祝日は休館、チケットの販売は閉館の30分前まで)
会場:Maison Européenne de la Photographie ville de Paris
   5/7 Rue de Fourcy - 75004 Paris
概要:https://www.mep-fr.org/event/memoire-et-lumiere/

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