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多様な「日本写真」の水脈を一望する
──ヨーロッパ写真館「記憶と光 日本の写真1950-2000 大日本印刷寄贈コレクションより」

飯沢耕太郎(写真評論家)

2017年07月01日号

 大日本印刷は、1992年の「パリ写真月間」で開催された「両大戦間の日本写真」、「日本の広告写真」という2つの展覧会を支援したのをきっかけとして、当時開設のための準備を進めていたヨーロッパ写真館(Maison Européennne de la Photographie=MEP)に、日本の写真家たちの作品のコレクションを寄贈するというプロジェクトを開始した。寄贈は写真コーディネーターの倉持悟郎・和江夫妻の協力を得て、1994年から2006年にかけて進められ、21人の写真家たちの約540点の作品という大コレクションに発展する。今回の展覧会は、そのなかから代表作約330点を選んで展示し、「日本写真」の輪郭を浮かび上がらせようとする企画である。コレクションが生んだ、意欲的な展覧会だ。


植田正治《砂丘人物》(1950頃)
© Shoji Ueda Office パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈

 ヨーロッパ写真館のほぼ全館を使って行なわれる展示を見れば、1950年代から90年代までの「日本写真」の流れを一望にできるだろう。最初の展示室であるエノー・ドゥ・カントーブル室では、木村伊兵衛、石元泰博、植田正治という戦後写真の最初の時期を担った写真家たちの作品が紹介される。戦前から活動する木村と植田は、スナップショットやポートレートの領域で革新的な作風を打ち立て、アメリカで写真を学んだ石元は正統的なモダニズム写真の方法論を日本に持ち込んだ。

 3階の展示室には、1950年代後半から70年代にかけて活躍した写真家たちの写真が並ぶ。1959年に6人の写真家たちによって設立されたVIVOのメンバーであった東松照明、奈良原一高、細江英公は、より主観的、象徴的な映像表現で、戦後日本社会のさまざまな事象を写しとっていった。彼らはまた、展覧会の開催や写真集の刊行を通じて、はじめて国際的に高く評価された写真家たちでもあった。とりわけ写真集は、日本のグラフィックデザインと印刷技術の高さが果たした役割が大きい。


奈良原一高《消滅した時間 #7 アメリカン・インディアン村の二つのごみ箱、ミューメキシコ州》(1972)
© Ikko Narahara パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈


細江英公《男と女 #20》(1960)
© Eikoh Hosoe パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈


東松照明《片岡津代さんと母親》(1961)「長崎」シリーズより
© Shomei Tomatsu - INTERFACE パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈

 彼らより一世代若い深瀬昌久、森山大道、荒木経惟、土田ヒロミは、あくまでもプライヴェートな視点に徹した写真表現を、それぞれのやり方で追い求めていった。身近な日常的な光景や、親しい他者との関係のあり方を積極的に取り入れていった彼らの写真は「私写真」と称される。また、山崎博と杉本博司は、時代の動向からはやや距離を置いて、「写真とは何か?」という問いかけをまさに写真を通じて探求する、ユニークな営みを続けていった。


荒木経惟《センチメンタルな旅》(1971)
© Nobuyoshi Araki パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈


森山大道《下高井戸のタイツ》(1987)
© Daido Moriyama Photo Foundation パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈

 4階の展示室には、宮本隆司、柴田敏雄、畠山直哉、松江泰治、古屋誠一、石内都の作品が並ぶ。彼らは、写真が美術館やギャラリーで「アート」として展示され、コレクションされるものとして認知されたあとに本格的に活動し始めた世代である。風景、建築物、人間など多様な被写体を、緻密なコンセプトと洗練されたテクニックで写しとり、クオリティの高いプリントとして提示していった。1980〜90年代には、日本の写真家たちの表現力は格段に高まり、国際的にも大きな注目を集めるようになる。彼らの制作や発表の場が、日本だけでなく世界各地に広がっていったことにも注目すべきだろう。


宮本隆司《震災後の神戸》(1995)
© Ryuji Miyamoto パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈


柴田敏雄《群馬県小野上村》(1994)
© Toshio Shibata パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈


畠山直哉《ブラスト # 5707》(1998)
© Naoya Hatakeyama パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈


松江泰治《マレーシア# 23》(2002)
©Taiji Matsue パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈


石内都《マザーズ # 54》(2002)
© Miyako Ishiuchi, courtesy The Third Gallery Aya, Osaka パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈

 最後のパートに展示されるのは、HIRO(ヒロ若林)、田原桂一、森村泰昌という3人の「個性派」の写真家たちの作品である。アメリカでファッション写真家として活動したHIROや、美術史をテーマとしたセルフ・ポートレートで知られる森村泰昌の作品は、日本の写真表現の枠に組み込まれて展示されることで、新たな切り口が見えてくるだろう。今回の展示の最大の見所のひとつは、先頃逝去した田原桂一の、パリ時代のポートレートのシリーズ「顔貌」36点である。ヨーロッパ・アメリカの著名な文化人たち(ヨーゼフ・ボイス、ピエール・クロソウスキー、ウィリアム・バロウズらを含む)を、コントラストの強い光と闇のあわいに封じ込めたポートレートは、独特の存在感を発している。


森村泰昌《美術史の娘(劇場B)》(1990)
© Yasumasa Morimura パリ、ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈

 この展覧会のラインナップを見ると、日本の戦後写真が、一筋縄ではくくれない多様な領域に枝分かれして展開していったことがよくわかる。とはいえ、そこには「日本写真」に特有の共通性もあらわれてきている。それは例えば、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』(1933〜34)で指摘したような、ほの暗い薄闇の領域への強いこだわりであり、人と人、モノと人との「間」を細やかに意識して描き出していくような志向性である。それは、ここに展示された1950〜90年代の写真だけに限定できるものではなく、それ以前にも、以後にも、途絶えることなく続いている「日本写真」の水脈なのではないだろうか。

 ヨーロッパで「日本写真」の紹介が本格的に始まるのは、1980年代になってからである。そのことに、ヨーロッパ写真館の館長で、「パリ写真月間」の運営委員長を務めたジャン=リュック・モンテロッソ氏が果たした役割はとても大きかった。そのモンテロッソ氏も、来年同美術館の館長を退任することになったと聞く。彼の最後の展覧会企画のひとつでもある本展は、その意味である時代の区切りとなるものといえるだろう。

 荒木経惟、森山大道、植田正治、杉本博司など、大規模な展覧会がヨーロッパ各地で開催され、名前や仕事がよく知られている写真家たちも増えてきた。それでも、日本の写真をきちんと紹介する展覧会や写真集の数が充分足りているのかといえば、とてもそうは思えない。この展覧会をひとつのきっかけとして、パリだけでなく多くの国で意欲的な企画を実現してほしいものだ。また、ヨーロッパ写真館の540点のコレクションを、なんらかのかたちで日本でみる機会が実現すれば、と思う。



MÉMOIRE ET LUMIÈRE Photographies japonaises, 1950-2000 La donation Dai Nippon Printing Co., Ltd.
記憶と光 日本の写真1950-2000 大日本印刷寄贈コレクションより

会期:2017年6月28日〜8月27日
会場:ヨーロッパ写真館(Maison Européennne de la Photographie)
主催:パリ市ヨーロッパ写真館

参考サイト

日本語によるヨーロッパ写真館の紹介(MMMウェブサイト)
www.mmm-ginza.org/museum/serialize/backnumber/0611/museum.html