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呉春《白梅図屏風》変容にみる暗香の余情──「冷泉為人」

影山幸一

2013年05月15日号

【白梅図屏風の見方】

(1)モチーフ

梅。

(2)タイトル

白梅図屏風(はくばいずびょうぶ)。

(3)制作年

江戸時代寛政期。落款が、寛政3年作の《龍図》に近似しており、寛政2、3(1790-1791)年頃、呉春40歳前後の作。

(4)画材

絹本墨画著色。紬糸を浅葱(あさぎ)色に染め、平織した丈夫な絹織物を屏風に横段で貼っている。色むらが闇夜の景色を表現するのに適した。呉服の里の池田には絹があったのかもしれない。梅の幹や枝は墨、白い花々は胡粉。

(5)サイズ

六曲一双。各隻縦175.5×横373.5cm。

(6)構図

右隻の小高く盛り上がった地面の土坡(どは)に立つ一本の梅と、左隻の二つの土坡に一本ずつ配置された梅は、円山応挙の《雪松図》(三井記念美術館蔵)と同じ構成。

(7)色彩

青、白、黒、黄、えんじ色。地の緑がかった薄い藍色が深い透明度を表わして遠近感を出している。一見水墨画に見えるが、多数の小さな花は彩色が施されており、特に黄色の雄しべが目に新鮮。

(8)描法

背景は描かず、土坡はさっと一気に刷毛描きで描いている。墨の濃淡によって梅の幹や枝を表現する手法には、応挙の付立て★2描法による没骨(線描ではなく面によって対象を表わす技法)が認められる。密生する小枝の描写には、蕪村ゆずりの余情が見られる。

★2──輪郭を用いず、濃淡2種の墨または絵の具を同時に含ませた筆で一気に描き、陰影や立体感を表わすもの。

(9)落款

各隻とも「呉春写」の署名と二印を有するが、印文は判読不明。

(10)鑑賞のポイント

呉春の「白梅図」は、応挙の《雪松図》を変容させて描いている。応挙の《雪松図》も、大徳寺塔頭聚光院室中の間の狩野永徳《花鳥図襖絵》の木が基本になっており、これまで続いてきた狩野派の画技を応挙が写生によって一変させた。つまり、応挙の朝日に輝く装飾的な雪松表現に対して、呉春の仄かな月明かりに白梅の細枝がシルエットに浮かび、遠くの枝は淡く暗夜のうちに消えて行き、何処からともなく梅の香が漂ってくる“暗香(あんこう)”を表現している。応挙は、客観的で理知的な一面がある分、どこかに冷たい印象があるのに対して、呉春は、より情趣に富み、軽妙で気の利いた熱ったかさのある写生画を描いている。梅を描くことは、古来中国では文人の楽しみであったが、この絵を呉春は誰のために描いたのか、またその目的もわからない。師蕪村の辞世の句や、1788(天明8)年1月28日に応挙に誘われて伏見へ梅見物へ行った体験(皆川淇園『淇園文集』)と関連があるかもしれないが、蕪村作《夜色楼台図》、《闇夜漁舟図》などの夜景表現の影響が見られる。異質な二人の師を融合させ、蕪村の文人画風との決別を表象する作品であり、応挙の写生画風への変容宣言ともとれる作品。重要文化財。

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