アート・アーカイブ探求

岡本神草《口紅》──乱調にある官能美「田中圭子」

影山幸一

2014年09月15日号

浮世絵とデカダンスと大正ロマン

 田中氏は《口紅》について「神草は西洋の絵画表現を日本画にどう取り入れていくか試行錯誤していた。西洋で《口紅》と似た絵画があるか、と考えたとき、ギュスターヴ・モロー(1826-1898)の《オイディプスとスフィンクス》(1864, メトロポリタン美術館蔵)やフェルナン・クノップフ(1858-1921)の《愛撫》(1896, ベルギー王立美術館蔵)など、象徴派の画家達が好んで描いた女面獅身の怪物、スフィンクスを意識して描いたのではないかと思った。それまでの男性に従属していた女性とは違う、自我を持った、男性を魅了し破滅させるファム・ファタル(宿命の女)のイメージがどちらの絵にも込められている。《口紅》は発表時、大正時代の文学で流行した耽美的、あるいは遊蕩文学の世界観を、初めて日本画で表現したと評された。頽廃主義の詩人ボードレール(1821-1867)や唯美主義文学の作家オスカー・ワイルド(1854-1900)などが翻訳されて広く読まれるようになった当時、神草の感性は戯曲「サロメ」の頽廃的官能、ギリシア神話に登場するスフィンクスの獣性、ウィーン世紀末の画家グスタフ・クリムト(1862-1918)にも似た絢爛な装飾性などを感受したのだろう。その一方で、幕末の浮世絵の表現にも強く惹かれていた。大正時代には近代化によって江戸の風俗が失われていく中で、浮世絵も再評価されるようになっていた。例えば、神草が学んだ京都市立絵画専門学校で美学美術史を講じた美学者の中井宗太郎(1879-1966)は、お歯黒をしている喜多川歌麿(1753?-1806)の浮世絵《婦人相学拾躰 かねつけ》について、鋭い観察眼で女性の内面をえぐり出しているとして評価している。女性の深層心理をえぐり出すような《口紅》の舞妓の表情は、こうした浮世絵の造形に学んでいる。当時の画家達は、頽廃的といわれる幕末の浮世絵と、19世紀末の西洋絵画にみられるデカダンスとに共通項を見出していた。その傾向は、西洋文化と江戸情緒への憧れを詩と絵で表現した大正ロマンを代表する竹久夢二(1884-1934)や、苦悩する人間をテーマにした秦テルヲ(はだ・てるお,1887-1945)らが試みていた女性表現にも現われている。大正の「新しい女」を描くために、浮世絵的な要素と西洋の象徴主義によるデカダンスな表現を融合させた作品が《口紅》である。たんに西洋絵画に傾倒したのではなく、神草が思いを馳せた浮世絵の造形美や円山四条派の写生観に立脚し、東洋絵画の伝統を主とし、西洋は従として、浮世絵の持つ情趣を西洋絵画の表現と刷り合わせて昇華させていった 」と語った。

「口紅ちゃん」

 2010年京都市美術館で開催された「京都市立芸術大学創立130年記念展 京都日本画の誕生──巨匠たちの挑戦」では、学生の企画でゆるキャラを製作して展覧会のPR活動を行なうことになった。その選ばれたキャラクターは《口紅》をもとにつくられた「口紅ちゃん」だった。京都市内を練り歩いたり、ツイッターでつぶやいて記念展は盛り上ったようだ。
 「《口紅》は単に表面的に美しい女性を描いたのではなく、口紅を塗るというしぐさのなかに見える自己陶酔して化粧をしている女性の内面を男性の視点から冷徹に見ている。美人画は基本的に男性に見られる存在としての理想化された女性美を描くが、《口紅》の舞妓は男性の視線をよそに自分の世界に耽っている女性像として新しい。女性の社会進出が始まった新しい時代の自由を得た女性観がここには託されているとも読み取れる」と田中氏は述べた。
 官能的、象徴的、耽美的、装飾的、相対的、変形的、詩的と、神草の美の領域は乱調とも見えるが、《口紅》は新たに美の領域を創造し、美人画の概念を覆し、いまに甦っている。

田中圭子(たなか・けいこ)

京都造形芸術大学芸術学部アートプロデュース学科専任講師。1977年東京生まれ。2000年明治学院大学文学部芸術学科卒業、2003年英国ロンドン大学アジア・アフリカ学美術史・考古学科修士課程修了、2008年立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程満期退学。その後、米国カリフォルニアのクラーク日本美術文化研究センター学芸員補、2009年東京藝術大学大学美術館学芸研究員、2013年より現職。学術博士。専門:日本近代美術史。所属学会:美学会、大正イマジュリィ学会、日本人形玩具学会。主な論文・著書:「松本亦太郎と京都画壇」『京の美学者たち』(晃洋書房, 2006)、「岡本神草とその周辺─初期作品を中心に」『芸術はどこから来て、どこへ行くのか』(晃洋書房, 2009)、『Japanese Beauties: Glamorous, Decadent, Sensuous, and Bizarre』(the Clark Center for Japanese Art and Culture, 2009)など。

岡本神草(おかもと・しんそう)

日本画家。1894〜1933(明治27〜昭和8)年。兵庫県神戸市生まれ。本名は敏郎、別号静村(せいそん)。1915(大正4)年京都市立美術工芸学校卒業後、京都市立絵画専門学校に進む。前衛的日本画研究集団「密栗会」の結成に参加。1918(大正7)年絵専を卒業し、第1回国画創作協会展(国展)に絵専の卒業制作作品《口紅》が入選し話題となる。1920(大正9)年第3回国展に《拳を打てる三人の舞妓の習作》を出品後、菊池契月に師事し帝展に移る。1921(大正10)年第3回帝展で《拳を打てる三人の舞妓》が入選。1922(大正11)年福村祥雲堂の主宰する九名会展に参加。1924(大正13)年大石糸と結婚。1928(昭和3)年第9回帝展に《美女遊戯》が入選。1931(昭和6)年若松緑と再婚。1932(昭和7)年第8回菊池塾展に《舞妓》を出品、第13回帝展では《婦女遊戯》が入選。1933(昭和8)年38歳没。主な作品:《口紅》《拳を打てる三人の舞妓》《骨牌を持てる半裸女》《婦女遊戯》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:口紅。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:岡本神草, 大正時代・1918年, 絹本着色, 二曲一隻, 縦135.9×横137.4cm, 京都市立芸術大学芸術資料館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:京都市立芸術大学芸術資料館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 35.8MB(1,000dpi, 8bit, RGB)。資源識別子:岡本神草《口紅》203080001000, TIFF, 52.1MB(1,000dpi, 8bit, RGB, カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:京都市立芸術大学芸術資料館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:京都市立芸術大学芸術資料館






【画像製作レポート】

 《口紅》は、京都市立芸術大学芸術資料館が所蔵。電話で作品画像の貸出し方法を伺った。資料館のホームページから「所蔵品原板借用及び使用許可願」をダウンロードし、必要事項を記入して、企画書とともに資料館へ郵送。メールによって指定されたURLから作品画像をダウンロード。TIFF 52.1MB(カラーガイド・グレースケールなし)の画像ファイルを入手。無料。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の調整作業に入る。画集などの印刷物を参照しながら、目視により色を調整後、画面を1度時計周りに回転させて縁に合わせて切り取った。Photoshop形式:35.8MB(1,000dpi, 8bit, RGB)に保存。セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
 《口紅》の画像はポジフィルムをスキャニングしてデジタル化したようであった。フィルムの劣化のためなのか彩度と明度が低下しており、画面には糸のような影が付着していた。デジタルカメラ撮影による作品画像を準備してもらいたい。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

「繪専卒業製作 口紅 吉川觀方」『京都日出新聞』朝刊二面, 1918, 3.28, 日出新聞社
図録『国画創作協会第一回展覧会図録』1918.11.2, 画報社
栗田勇「美人画の美学」『三彩』増刊216号, pp.2131, 1967.6.15, 三彩社
『原色現代日本の美術 第3巻 京都画壇』1978.1.10, 小学館
馬場京子『現代日本美人画全集 第10巻 名作選II 日本画編』1978.12.20, 集英社
田中日佐夫『日本画 繚乱の季節』1983.6.17, 美術公論社
田中日佐夫・大岡信「甦れ大正デカダンスII 対談「大正デカダンス」とは何か」『芸術新潮』pp.34-39, 1984.2.1, 新潮社
川口直宜「近代京都画壇の精華─日本画の伝統と革新」『三彩』通巻454号, pp.8, 25-26, 1985.7.1, 三彩新社
図録『京都の日本画 1910-1930』1986.10.23, 京都国立近代美術館
図録『「京の異色日本画家たち」展』1986, 星野画廊
河北倫明 監修『近代日本美術事典』1989.9.28, 講談社
北川久「特集 岡本神草と甲斐荘楠音の登場」『三彩』通巻544号, pp.31-33, 1993.1.1, 三彩社
図録『国画創作協会回顧展』1993, 京都国立近代美術館
原田平作ほか編著『国画創作協会の全貌』1996.9.16, 光村推古書院
「ドキュメント かつてこんな展覧会があった「京都の日本画1910-1930」展がもたらしたもの」『日経アート』通巻116号, pp.18-25, 1998.6.1, 日経BP社
図録『甲斐庄楠音と大正期の画家たち』1999, 日本経済新聞社
図録「京都の日本画─京都画壇の俊英たち」2001, 徳島県立近代美術館
安村敏信 監修『日本美人画一千年史』2002.7.25, 人類文化社
図録『「国画創作協会の画家たち─新樹社創立会員を中心にして」展』2005, 星野画廊
Webサイト:石飛幸子「岡本神草《口紅》における女性表現─官能性と怪奇性」『(京都造形芸術大学通信教育部サイバーキャンパス』2005)京都造形芸術大学, 2014.9.3
図録『三都の女─東京・京都・大阪における近代女性表現の諸相』2007, 笠岡市竹喬美術館・稲沢市荻須記念美術館・高崎市タワー美術館
田中圭子「岡本神草の画風形成に関する一考察」『美学』第231号, p.151, 2007.12.31, 美学会
田中圭子『大正期における京都日本画の女性表現─官能美とリアリズム』(博士論文)2007年度, 立命館大学大学院
『岡本神草日記』星野桂三:文責, 2008, 星野画廊
図録『没後75年 夭折の日本画家「岡本神草〈拳の舞妓〉への軌跡展」』2008, 星野画廊
Webサイト:星野万美子「岡本神草もうひとつの異才─方久斗との競作〈海十題・山十題〉とその後─」
『星野画廊』2008.5(http://www10.ocn.ne.jp/〜hoshinog/zuroku/z_73_1/index.html)星野画廊, 2014.9.3
Webサイト:池田洋一郎「岡本神草の未完成作発見 89年経て修復・公開」『朝日新聞DIGITAL』2008.7.9(http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200807090194.html)朝日新聞社, 2014.9.12
Webサイト:sekisindho「徒然に大正デカダンスの画家『岡本神草』」『賢者の石ころ』2008.7.12(http://sekisindho2.seesaa.net/article/388522477.html)sekisindho, 2014.9.3
田中圭子「岡本神草とその周辺─初期作品を中心に」『芸術はどこから来てどこへ行くのか』大森淳史・岡林洋・仲間裕子 編著, pp.146-160, 2009.5.20, 晃洋書房
小川敦生「〈美の美〉 大正100年 京都日本画の浪漫(上)〜華やか、歴史薫る舞妓世界「身近な存在」色とりどり」『日本経済新聞』(朝刊)2012.4.22, 日本経済新聞社
図録『京都・日本画の青春 京都市立芸術大学所蔵名品展』2013, 秋田市立千秋美術館・岡田謙三記念館


主な日本の画家年表
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2014年9月

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