アート・アーカイブ探求
狩野永徳《上杉本洛中洛外図屏風》 金雲に輝く名画の謎を読む──「黒田日出男」
影山幸一
2009年07月15日号
雲の絵
ずっと気になっていた、あの屏風に描かれている雲。金ピカの雲である。画面の半分以上が雲の絵という屏風もある。人や建物を雲の隙間から見せる構図なのだから、今なら飛行機から眼下に見下ろす風景かもしれない。しかし、もっと身近に人々の日常が生き生きと描かれている。観光案内図のようでありながら、なぜ快晴ではいけないのだろうか。曇天の雲ではなく、もくもくとした綿雲、雲を金色に輝かせてまで、なぜ雲が必要なのだろうか。この金雲に隠された絵には何か謎があるはずだ。金雲の代表格として洛中洛外図屏風にたどり着いた。
京都の市中やその郊外の名所や生活、風俗を描いた絵画である洛中洛外図は、同名の作品が日本に100作品以上あるといわれている。初期(戦国時代から安土桃山時代)の洛中洛外図4作品「町田本」「東京国立博物館保管洛中洛外図屏風模本」「上杉本」「高橋本」に着目した。なかでも作品の状態が良いとされる米沢市上杉博物館所蔵の国宝《上杉本洛中洛外図屏風》(以下、上杉本。六曲一双)を選び、デジタル画像によって金雲に秘められた名画の謎に迫りたい。『謎解き 洛中洛外図』の著者であり、日本史家の黒田日出男氏(以下、黒田氏)に伺いたいと思った。
黒田氏は、デジタルアーカイブの前史ともいえる「絵画史料論」を提唱してきた人であり、東京大学史料編纂所附属画像史料解析センターが設立されたときの所長で、第2代センター長となった。現在は立正大学教授、東京大学名誉教授、群馬県立歴史博物館館長を務めている。日本史家がとらえる名画の見方とは、どのようなものなのだろうか。美術史家とはどのように視点が異なるのか。一味違う絵の見方を聞けるかもしれない。東京・五反田の立正大学にいる黒田氏を訪ねた。
絵は読むもの
一つの絵を多元的に見ると黒田氏は述べる。耳学問ではなく、文献を読み、歴史と地理を調査、絵図と絵画を読むといった研究体験を積み重ね、例えば知識を基に、絵と言葉の関係を結ぶために絵に名前を付ける“名付け”をして名札を作る。絵画史料論として独自の名付け用語があるわけではない。なるべく専門分野に習った名前や用語を用いて、正確な“名付け”を心掛ける。“名付け”に見合う用語が見当たらない場合は、“~のようなもの”として独自の名札を付ける場合もある。絵の人物が頭に何か被っていれば「帽子のようなもの」とするなど。「知識の総量、あるいは調べる術をもっている人間が絵を読める。もの知りが必ず絵を読めるわけではないが、もの知りでなければ絵は読めない」と実感のこもった黒田氏の言葉に、感性が優位にある絵画好きの弱点を戒められ身の引き締まる思いがした。
黒田氏は、少年の頃より絵画鑑賞が大好きだったそうだ。「東京国立博物館のゴッホ展を一人で見に行って、観衆のなかで深い感動にふるえたことを今でも思い出します。歴史研究者になってから、そのような絵画への愛にふたたび火が点いたのです」。歴史的な読み方と美術的な見方は一致する場合もあるようだが、大きく異なっていると語る。美術史家が、作家を中心にテクニカルな表現の技法、様式、画派に注視して、描線や色彩や形に視線を注ぐのに比べ、日本史家の黒田氏は、史料を調べた結果積み上げてきた独自の基準で、時代とその調査対象に向かい絵を解読していく。それは絵の意味を理解するためである。絵そのものを感じるためや、絵から何かを想像するのとは異なっている。
黒田氏は日本史家として、美術史家とは違う観点から絵画と向き合い美術の世界を新たに活性化している。そのことは黒田氏が2001年に東京国立博物館で、歴史と美術を融合させた展覧会「時を超えて語るもの 史料と美術の名宝」を開催するために尽力したことからも明らかだ。