アート・アーカイブ探求

伝藤原隆信《伝源頼朝像》秘めた感情と威厳の美しさ──「宮島新一」

影山幸一

2010年10月15日号


伝藤原隆信《伝源頼朝像》鎌倉時代, 絹本著色, 143.0 x 112.8cm, 国宝, 神護寺蔵
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わからないから、おもしろい

 いい絵は動いている感じがする。しかし絵の中に動きがなく、形式的な冷たさを感じるのが肖像画である。頭部以外は個性がない。あえて鑑賞するほどのものではないだろうと、感性のずっと奥の方で静かに鎮座していた絵だったはずなのだが、最近どうもこの絵が黙ってこちらを見ている感じがして落ち着かない。古い絵だが保存状態がいいのだろうか、それとも見慣れているためなのか、《伝源頼朝像》の色白の顔に生気が宿ってきているようで気になる。何やら難しそうな歴史画と思ったが、このすべてを見通したような目に引き寄せられ、エイッと《伝源頼朝像》を選び、絵の見方を探求してみることにした。
 《伝源頼朝像》は、神護寺三像と呼ばれる国宝三幅のうちの一幅であり、この頼朝像に加え、《伝平重盛像》《伝藤原光能(みつよし)像》が、楓(かえで)の美しい京都の山寺・神護寺(じんごじ)に残されてきた。肖像画の世界は、立ち入ろうとすると、来るなと言われているようでもあり、またわからないから、おもしろいという領域でもありそうだ。鎌倉時代(1180年代〜1333)の貴族・藤原隆信(1142〜1205)による制作と伝えられているそれらの肖像画。なかでも《伝源頼朝像》は、鎌倉幕府の初代将軍として歴史の教科書などで誰でもよく知っている絵画である。

《足利直義像》の存在

 しかし、《伝源頼朝像》について調べてみると、(1)描かれている像主の目、耳、口が南北朝時代(1336〜1392)に確立したという様式であり、(2)足利直義(ただよし)が神護寺に足利尊氏像と足利直義像を奉納したという文書「京都御所東山御文庫記録」の存在、(3)足利尊氏像が《伝平重盛像》に類似しているなど、この《伝源頼朝像》は頼朝ではなく、南北朝時代の武将足利尊氏の弟である足利直義(1306〜1352)とする説や、制作年が120年降るという1345年説など、通説とは異なる新説が投げかけられ、すでに15年ほど論争が続いているというものだった。
 この“伝”と付けられながらも絵画史を生き続けている絵の史実はどうあれ、日本の肖像画を代表する作品には変わりないのだろう。この作者も制作年も断定されることを拒んでいるような《伝源頼朝像》を、日本美術史の専門家はどのように見ているのだろうか。現代美術好きな筆者としては新説に関心を示すところだが、そうではなく『肖像画』や『肖像画の視線──源頼朝像から浮世絵まで──』の著書があり、日本絵画を広く見、伝承されてきた肖像画を長年研究している宮島新一氏(以下、宮島氏)にこの絵の魅力を伺ってみたいと思った。雪舟の時代より古くからある肖像画の未知の世界へ分け入るために、宮島氏が勤めている山形大学へ車を走らせた。


宮島新一氏

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