デジタルアーカイブスタディ
創造経済とデジタルアーカイブ
──文化が経済成長の源泉となる時代
河島伸子(同志社大学経済学部教授)
2017年01月15日号
文化経済学者が展望する文化と文化資源の風景、またデジタルアーカイブとはどのような世界なのだろう。文化と経済の関係、文化政策を研究し、「文化は経済発展の源泉」と語る『コンテンツ産業論』の著者でもある同志社大学経済学部教授の河島伸子氏に、文化と経済のプラットフォームとしてのデジタルアーカイブについてご執筆いただいた。2017年には、「デジタルアーカイブ推進コンソーシアム」が発足される。文化にも経済にも寄与するデジタルアーカイブを、どのように活用すればライフラインとして実社会へ役立つものとなるのだろうか。
文化が経済成長の源泉となる時代
文化、心の豊かさを大切にしなければならないということに正面切って反対する人はあまりいないが、従来、日本社会全体としては経済を優先してきたものである。すなわち、文化とは、「モノの豊かさ」が達成されて初めて得られる「心の豊かさ」だと考えられてきた。また、文化は、便利さや効率といった経済的物差しにはそぐわないものであり、私が専門とする「文化経済学」という領域の名称そのものも多くの人にとって違和感を持って受け止められてきた。
しかし、いまや時代は大きく変わり、文化は経済に欠かせない、文化こそが経済成長の源泉となる時代になってきている。このことは筆者ら文化経済学の研究者の間では強く認識されてきているが、文化財保護行政を主軸に創設され発展してきた文化庁においても、近年は「文化芸術資源を活用したまちづくりや地方創生」「芸術文化の力を活用した新産業の創出」といった言い回しを用いるようになっている。このような、いわば「経済にゆとりができたら力を入れる」対象、「滅びてしまってはいけない」と守りの対象であった文化を「経済を牽引する存在」と捉え直す考え方を「創造経済」と呼ぶ。この方向へパラダイム・シフトを起こすようになった背景にはどのような事情があるのだろうか。
欧米における文化資源を用いた地域再生
日本のこのような変化に先立つこと30年、欧米では1980年代よりポスト工業社会(ポスト・フォーディズム)、経済のサービス化・グローバル化などを経て、経済社会が大きく変化した。高付加価値を持ったサービス産業経済への転換に乗り遅れた街では、失業者があふれ、住宅事情や教育環境も悪化し、犯罪率も高くなるという悪循環に悩み、このような問題に対処する必要があった。
今日の日本で言うところの「地方創生」に通じるが、イギリスを含むヨーロッパ(およびアメリカ)では、都市・地域再活性化という課題に対して、文化の要素を取り入れる手法が大流行した。後述するように、近年の日本でも同様に数多くの事例が見られる。なかでも、特に美術館、アートセンター、アートフェスティバルなどが地域再生プロジェクトの中核に据えられた例が多い。デジタルアーカイブが単体で大きな役割を果たしてきたとまでは言えないかもしれない。しかし、情報のデジタル化が高度に進展した今日においては、アートはもちろんのこと、ダンスや演劇のようなパフォーマンスであっても、そこにデジタル映像が利用される複合的な表現活動もあり、また作品をデジタルに保存して後に研究調査あるいは社会への普及に利用することもあったりと、デジタルアーカイブも、いわばひとつの文化インフラとして重要な役割を果たしてきた。
文化資源を活用した地域再生を支える理論としては、次のようなものが挙げられる。まず、文化的豊かさに富む街には、高度付加価値性を持った経済活動に従事する人々が集まる。また文化的に豊かな街では、人々が自発的・創造的にさまざまな問題解決に取り組み、持続的なまちづくりが可能となる。文化的な産業は、生産性・国際競争力・成長率の高い高度に知的な活動という側面を持つから、グローバル化した今日の経済のなかで優位性を持つことができる。アメリカの経済地理学者リチャード・フロリダは、この現象に注目し、「クリエイティブ・クラス(創造的階級)」を惹きつけるような新たな文化経済戦略の必要性を世界各国の自治体に説いて回り、大きな影響を与えてきた。文化施設や文化イベントが、それ自体新たな雇用を生み、また訪問客が周辺地域において飲食、宿泊などをするため、外部経済効果を生むことは言うまでもない。
こうして、都市のアメニティを高め、そこに外部からの投資を呼び込み高付加価値経済への転換をはかる戦略、あるいは文化観光地としての力を増していく戦略が、地方レベルでとられるようになり、世界各地に広がっていったのである。かつて鉄鉱石の採掘と重工業で栄えたスペイン・バスク地方の都市ビルバオは、グッゲンハイム美術館の分館をニューヨークから誘致することを通じ街の活性化を図ってきた。アイコニックな美術館の建物自体が話題になり、年間100万人もの人々が訪れる重要な文化的拠点が生まれたのである。
日本における文化資源を用いた地域再生
日本も例外ではなく、例えば、横浜、金沢、札幌、大阪、福岡など、地方の核となる都市において、非営利文化、伝統的文化産業、ポピュラー文化産業など文化力の育成を目指す文化戦略を実行している。そして、これこそが、地方都市間での生き残り競争において、重要な戦略であるという認識が広まっている。
あるいは、新潟県の山間豪雪地帯で開かれてきた「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」、瀬戸内海の島嶼群で開かれてきた「瀬戸内国際芸術祭」など、都市型の新産業誘致を目指すものとは違う、アートを使った地域再生プロジェクトも今日では盛んになっている。村や島の人々の暮らし、歴史、風土・文化をアーティストの目でみつめて、地域の豊かさとアイデンティティを再構築する試みである。ビルバオにしても、これら日本の事例にしても、現代アートという、従来は難解であり多くの人にとって近寄りがたいと思われてきた文化の分野に、多くの一般観光客がハードルを乗り越えすっと溶け込んでいることは興味深い。
もっとも、こうした文化を使ったまちづくり、地域再生に対しては、研究者のなかには慎重な姿勢も見られる。まず、文化施設建設型のプロジェクトについては、文化資源を生産する過程への投資が伴わないと、消費の好循環は生まれないことが指摘されてきた。いわゆる「ハコもの」への投資だけではなく、ソフトへの投資がなければ文化資源は生まれえないという話である。また、文化観光政策が行き過ぎると、外部からの視線を意識して、本来の地域のアイデンティティとは必ずしも一致せずとも、商業的に受け入れられやすい「地域文化イメージ」の演出に走る危険がある、という問題がある。最も根本的な問題として、このような経済的貢献など、「文化のための文化」ではない理由を持ち出すことによって、文化政策は拠って立つ本来の基盤を失うことになる。すなわち、文化政策は、自分で自分の首を絞めることになるのではないか、という懸念もある。
しかし、福祉行政的なアプローチをとる従来型の文化政策、あるいは国民の一部が享受するタイプの「芸術」に偏った文化政策が行き詰まっていることも確かである。福祉行政としての文化政策は、「市場の失敗」があるときに初めて発動され、経済発展にとってのお荷物ではあるが高邁な理想、人類普遍の価値に照らしてそこにある程度補助金を出すこともやむをえない、という消極的姿勢を持つ。
創造経済──文化をひらくことで見えてくる未来
創造経済の考え方は、文化の手段化に伴う危険に留意しつつ、創造性を育みそれを広く発揮させる仕組みづくり、その成果を市民社会に還元することの重要性を説くものである。デジタルでなくてもかまわないが、アーカイブは、〈創造〉→〈上演/展示〉→〈鑑賞〉のサイクルを支える基盤として機能する。アーカイブがデジタル情報化されていれば、物理的距離とそれを縮小するための費用負担力の差、障がい、言語の違いを乗り越えて多くの人に文化的資源に対するアクセスを拡げ、個々の‘資料’とのエンゲージメントを深めることも可能となる。このような文化との出会い、向き合う時間の深化を経験してこそ、私たちは感性と創造力にあふれた人間となり、新たなイノベーションを起こして社会を豊かにしていくことができるのである。
こうしてみると、文化は「経済的に豊かになったから許される贅沢物」ではなく、「経済発展の源泉そのもの」であると捉えることができるとわかる。すなわち、文化は経済のお荷物ではなく、むしろ、経済は文化に助けてもらわなければならない時代になっているとも言える。もう一歩進めて、文化を、経済と切り離した存在と捉えるのではなく、経済社会、すべての公共政策、市民社会生活に深く組み込まれた要素として考えるべきだと言いたい。
この論理は、環境問題に由来する「持続的発展」という言い方、考え方を参照するとわかりやすい。以前には、環境への配慮は経済発展と対立する、経済効率を阻害するものであり、「環境に優しい製品」は、経済的成長を遂げた段階で初めて所有できる贅沢品と考えられてきた。しかし、環境へ配慮する製品、例えば電気自動車の開発はいまや経済発展のカギを握るひとつである。今日では「持続的発展が可能なかたちで」という視点は、製造業などの産業に限らず、農林水産業、都市デザイン、まちづくり、教育、そして文化の現場など公共社会、市民生活の多方面を貫く軸となっている。「創造経済」の考え方を発展させることは、同様に、「文化的な」視点、文化の尊重をあらゆる公共政策、市民社会形成に向けた議論のベースに位置づけていくことを指す。
文化が地域再生、経済活性化の手段として利用されることで起こりうる弊害に対して私たちは留意し続ける必要はあるが、文化を文化の世界だけで閉じてしまうことはもはや大きな損失である。創造経済の考え方で、文化をすべての政策を貫く視点として位置づけることにより、文化のもつ可能性を最大限生かすことこそが、今日求められている。