アートプロジェクト探訪

別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」の必然を呼び寄せるものとは──会期前にみる街の事情

久木元拓(首都大学東京システムデザイン学部准教授)2009年05月01日号

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観光温泉地とアートNPO、それぞれの事情

 3月初旬、会期前に訪れた別府の街は、ほどよく静けさを保つ昔ながらの温泉街の風情を漂わせていた。街をよく知る事務局の方の案内で別府の街を歩きながら、子どもたちがサッカーに興じる長閑な公園が、かつて栄華を極めた温泉街の中心であったことを知らされる。
 戦災を免れた街には、入り組んだ路地に民家や商店、温泉場が絡み合い存在する空間が戦前からそのままに時を刻んでいる。浴衣姿の観光客の行列が続き、角を曲がるといかがわしい劇場小屋や大道芸人がいてさまざまな露店が並ぶ賑わいは今は昔。そんな痕跡を残す小路がつながる中心市街地のアーケードの通りは、現在はご多分にもれずシャッターが下りる店並みが続く。
 別府と言えば温泉。別府が何県にあるのかわからなくても、いつのまにか別府は温泉の町として多くの日本人の記憶にインプットされている。実際、源泉数、湧出量ともに日本一の温泉地であり、年間宿泊観光客数も温泉観光地としては380万人と、熱海に100万人近く開けて首位をキープし続けている名実ともに日本を代表する温泉観光都市である。しかし、そんな別府でさえも、観光客数、特に宿泊客数3,834,605人で前年比97.4%、昭和51年の613万人をピークに微減が続いているのが現状である★1。

 

 
左:別府市中心市街地にある商店街の様子
右:通りから一歩角を曲がると路地へ迷い込む

 温泉の開発と共に発展し続けてきたこの場所に、2005年4月BEPPU PROJECTが立ち上がる。仕掛人の山出淳也氏は、大分の生まれで、アーティストとして96年アーカス・プログラムなど、国内で活動をしていたが、じつはその当時から別府の市街地、別荘などの遊休物件でアーティストのレジデンスの仕組みがつくれないかと考えていたという。しかしそのきっかけを得ることなく2000年からNY、PS1をはじめ海外での制作活動をはじめる。が、やはりどこか気になっていた。ある日別府のまちづくりの情報をインターネットで見つけ、あらめて別府でなにかを起こしたいと思ったという。そして2004年10月に帰国、2005年には別府の有志とともに前述のBEPPU PROJECTを立ち上げ、2006年にはNPO法人化している。BEPPU PROJECTは、設立ほどなくアーティストと別府の町をつなげていく“つなぎ手”として、アートやダンスイベント、セミナー、シンポジウムを実施。外部の団体や人と連携をはかりながらさまざまな形態でプロジェクトをかたちにしていった。山出氏によると、別府という街を構成するいまの旅館やホテルに従事する人々の多くは移住者であり、また、別府は元来港町としてさまざまな人々が行き交う場所として栄えてきた。人口12万ほどの小さな市内にもかかわらず、大学が3校もあり(隣の大分市まで入れると6校)、さまざまな人間が入ってくる場所でもある。そうした背景も踏まえ、ここで生まれ育った人たちだけでプロジェクトを形成するよりも、いろんな人たちが出たり入ったりする環境の中で物事を展開していくような運動体にしていきたいと考えてきた。
 そんな山出氏が温めてきたアートプロジェクト、別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」が2009年4月から別府で開催されている。芸術フェスティバルのタイトルとしてはやや異質な「混浴温泉世界」だが、はからずも、否、はかられたかのように、このタイトルにプロジェクトが持つ必然的な流れを重ねて読み解くことができるのではないかと考えている。今回まずは、会期前の取材を通しその重なりと構成について、考えていきたいと思う。


別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」総合プロデューサー山出淳也氏

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久木元拓

都市文化政策、アートマネジメント研究者

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アートプロジェクト探訪

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