会期:2024/04/13~2024/05/12
会場:京都芸術センター[京都府]
公式サイト:https://www.kyotographie.jp/programs/2024/james-mollison/

親の経済格差、DVや虐待、一人親家庭など「生まれてくる子どもは親を選べず、家庭環境の当たり/ハズレによって、その後の人生が決定されてしまう」という流行語「親ガチャ」。「貧困の連鎖」「格差の固定化」という構造的問題を、コインを入れてハンドルを回すと、カプセルトイがランダムに出てくる自販機(ガチャガチャ)に例えた言葉だ。

この「親ガチャ」を、「子どもたちがどのような場所で眠っているのか」に着目し、世界規模で視覚化・カタログ化したといえるのが、ジェームス・モリソンの写真シリーズ「Where Children Sleep(子どもたちの眠る場所)」である。これまで5大陸40カ国の子どもたちを撮影。本展では、27カ国35名のポートレートと「眠る場所」の写真が、紹介文を添えて展示された。

James Mollison “Where Children Sleep”, KYOTO ART CENTER, Supported by Fujifilm[© Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2024]

タイトルが「ベッドルーム」ではない理由は、すべての子どもが「専用の個室」はおろか、「兄弟姉妹と一緒の寝室」さえ持っていないからだ。先進国でも、薬物依存症の父親の死亡、自給自足のベジタリアンといった親の思想のため、乱雑に散らかった部屋で家族一緒に寝ているケースもある。発展途上国では、ワンルームの小屋の中で革の裁断作業に従事し、積み上がった革の山の横で寝ている子がいる一方、豪邸や高級マンションに住み、玩具でいっぱいの子ども部屋がある子もいる。貧困/富裕層の著しい落差、ジェンダー、宗教、国家体制、親の思想や価値観、児童労働、季候変動、難民……。世界の縮図がここにある。

政治的に対立する国・地域どうしの子どもを、対面や隣接して配置する展示構成も戦略的だ。イスラエル入植地で厳格なユダヤ教徒のコミュニティに住む少年の、テレビも禁止され、ほとんどモノのない禁欲的な寝室。対面するのは、パレスチナ難民キャンプに住む少年の、やはりモノがないがらんとした部屋だ。ロシア空軍付属学校に通い、パレード用の軍服で写真に収まる少年の隣には、一家でウクライナから隣国に避難した少女が並ぶ。

また、経済的に安定した家庭の子ども部屋の多くは、モノの飽くなき所有欲という消費資本主義とジェンダー規範にすでに侵食されている。スパイダーマンのフィギュアやグッズで溢れる部屋と、コスプレに身を包む少年。父親とともに狩猟に行く少年は、銃や迷彩柄のモノだらけの子ども部屋に住み、迷彩服に銃を持ってポーズする。一方、ピンク一色のプリンセス風のベッドに「アナ雪」の人形が並ぶ少女や、4歳で既に子ども版ミスコンに何度も出場し、勝ち取ったティアラやタスキで埋め尽くされた部屋に住む少女もいる。「玩具、洋服、文房具などの持ち物で子どもを取り囲んで撮影し、色で分けられたジェンダー規範と物質的な所有欲を可視化する」試みとして、ユン・ジョンミの「The Pink & Blue Project」シリーズが想起される。ユンの写真作品では、女の子はピンク、男の子はブルーというカラー・コードとともに、圧倒的な物量が子どもたちを飲み込む。一方、モリソンの本作では、ヴォーギングのレッスンを受けてドラァグのステージに立つ少年など、既存のジェンダー規範とは異なるアイデンティティを表明する子どもも登場する。

Nemis, Montreal, Canada, from the series Where Children Sleep[© James Mollison]

また、子どもたちのポートレートで強い印象を残すのが、(恵まれた環境の子どもであっても)「笑顔」がなく、虚ろで硬質なガラス球のような瞳をしていることだ。「笑わず、ガラスのように澄んだ瞳の子どものポートレート」として、ロレッタ・ラックスの写真作品が想起される。ラックスは、デジタル画像の加工・合成により、陶磁器のように滑らかな肌や恐ろしいほど透き通った瞳をもつ子どものポートレートを作り上げる。それは、「天使のように純粋無垢な子ども像」を究極化した、人形のような人工的な美と不気味さが共存する世界だ。背景も、淡い色調の青空や田園風景が合成で作り出され、既視感を覚えるが、「どこ」と特定できない理想化された風景である。ラックスの作品は、大人が期待する「純粋無垢な理想の子ども像」を、現実の社会問題や脅威が一切排除された「人工的で理想化された世界」の中に閉じ込めてみせる。モリソンが写す子どもたちにも同様に「笑顔がない」が、甘く儚い砂糖細工のようなラックスとは対極的な意味を差し出す。「無邪気な笑顔」という「子どもらしさ」などというものは、大人が抱く幻想に過ぎず、子どもたちは既に大人社会の価値観や社会構造に染め上げられているのだ、と。

Joshi, Rajkot, India, from the series Where Children Sleep[© James Mollison]

最後に、「どの子どもにも、個人的スペースとして区切られた均等な展示空間を割り振る」という展示構成の両義性について考えたい。それは一方で、「個室」「安心できる空間」がない子どもがいる現実を捨象してしまう。だがここには同時に、「せめて展示空間だけでも、格差のない等しいスペースを与えたい」という思いも汲み取れるだろう。

James Mollison “Where Children Sleep”, KYOTO ART CENTER, Supported by Fujifilm[© Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2024]

鑑賞日:2024/05/11(土)