コロナ禍が何とか収まり始めた頃に、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、訪問に困難が伴う状態が続いていた北京。だがこの春、いよいよ5年ぶりの訪問が実現した。そこで今回は新型コロナ対策の期間も含め、北京が経た変化と、進化を続けるそこでのメディア・アートについてレポートしたい。
キャンセルに次ぐキャンセル
以前ほどの賑わいはないものの、まだまだ健闘している。それが今回、筆者が5年ぶりに北京の現代アートの集積地、798芸術区を訪れたときの第一印象だ。
まず、入口には入場者をコントロールするための何重もの柵。これはデモ対策でもあるのだろう。敷地内に入ると、昔からあるギャラリーが残ってはいるが、いくつかの著名ギャラリーが姿を消し、展覧会の広告も減っていることに気づく。訪れている人々の数や国際性も以前には及ばない。外国人観光客の激減は798に限ったことではないが、北京の現代アートがその草創期から長らく民間のスペースと外国人コレクターに支えられてきたことを思えば、それらの減少は根本に関わる変化だといえる。
798芸術区の現在の様子[筆者撮影]
798芸術区の現在の様子[筆者撮影]
798芸術区の現在の様子[筆者撮影]
コロナ禍以前は見られなかった柵[筆者撮影]
だがその一方で、UCCA Center for Contemporary Artでは杉本博司の大型の個展や海外の作家を交えたグループ展が開かれ、イタリア系の常青画廊(Galleria Continua)やスペイン系のIberia Center for Contemporary Artなども健在で、少なくとも展示の場や内容に関しては、国際性は保たれていた。
2002年10月にBTAPによって開かれた展覧会、「北京“浮世絵”」は 798芸術区が世に知られる最初のきっかけとなった展覧会だが、当時、そのキュレーションを手掛けた馮博一(フォン・ボーイー)氏はここ数年の北京の情況について、こう語る。
「新型コロナが流行する前の正常な状態と比べると、企画した展覧会は次々とキャンセル、延期、調整を余儀なくされ、キュレーションの数も明らかに減った。しかも企画の具体的な過程においても、審査や新型コロナの流行を予防するための過剰な措置によって、企画しているプロジェクトが支離滅裂になったりした。インディペンデントなキュレーターとして最も難しかったのは、キュレーションしたプロジェクトを独立した形で実現し、実行に移すこと、そして絶え間なく変化する新型コロナの予防とコントロールについて把握することだった」
馮氏によれば、展覧会が妨碍されたり、数を減らされたりする兆候は前々から現われていたが、その後ドミノ倒しのように続いたという。あいだに立つキュレーターとしても、「少しずつ言説の土台と展覧の機会が失われていて、とても楽観はできない」と感じたそうだ。だが「キュレーションとは束縛されたエネルギーの抗い、表われ、そして解放であり、逃避と成り行き任せを拒絶すること」だと考える馮氏は「方向を変えず、妥協もせず、懸命に立ち向かった」。そもそも氏にとって中国の現代アートとは、「時期による差こそあれ、おおむね苦境に置かれたり、狭間に追いやられるなかで育まれた」もの。その迫力と魅力も「急速に変化する現実に基づき、それまで以上に困難な挑戦を受け入れ、適度に方向や策略や方法を調整し、力を蓄えたり転化させたりする必要があったからこそ」だからだ。
つまり、コロナ禍による苦境も、中国の現代アートの特質や歴史を考えれば、致命傷ではなく、むしろそれを乗り越えることで、自身の迫力と魅力を増すものではないか、というのだ。北京のアート界においてキュレーターが担わされる重荷を再認識し、展覧会の数々がいかに彼らの知恵とねばり強い努力に支えられてきたかに、改めて敬意を払わずにはいられない。
張文超が展開するデータアーカイブ型のアート
今回、馮氏から話を聞いたのは、彼が798芸術区のBTAPでキュレーションを手がけた張文超(ジャン・ウェンチャオ)の展覧会「Hidden in a Theater Path」に、中国のメディア・アートが新しい段階にあることを感じたからだ。
張文超は1985年に北京で生まれ、中央美術学院のデザイン学科でデジタルメディア・アートを専攻後、同大学院の版画学科で修士号を取得した。その後は同大学で教鞭をとっており、現在は同大学のテクノロジー・アート研究院の研究員でもある。
「Hidden in a Theater Path」展は張文超の北京で初めての個展だった。メディア・アートを手掛けるようになったきっかけを、彼はこう語る。
「創作活動に携わるようになって以来、私の生活環境にはメディアテクノロジーが入ってきました。それらの体験は、スクリーン、メッセージ、画像、対話型インターフェイスによって構成されていました。だから私にとって、それらを使わずに自分の世界に対する理解や思考を表現することは難しかったのです」。
展覧会名に「Theater(劇場)」とあるのは、作品の配列に序幕と5つの演目という劇場の舞台の形式を取り入れているため。第1幕「神話誕生の地」の作品「河伯の記憶」は、壁に掛けられた油彩の山水画の上を投射された動画が動き、あたかも河が流れているように見える作品。河伯とは中国の古い伝説に登場する水神で、河やその流れを司る。張は創作にあたり、河伯をめぐるありとあらゆる情報を集めてアーカイブし、「河伯の記憶」と名付けた。
第1幕「神話誕生の地」《河伯の記憶》(2023-2024) 251×155㎝x3セット[画像提供:BTAP]
張は語る。「インターネットと大量の情報は、いまの時代を特徴づけるもので、いずれもある人間の感知可能な範囲を広げることができるが、無駄な消耗も大量に生み出し得ます。その『選別』と『利用』は今日の生活でとくに重要だと感じるのです。一人ひとりが自分で情報を処理する方法を確立する必要があり、その方法の差が、各自の認知の差異を形成します。さらにはそれが今日の世界の差異化の源となるのです。私は大量の情報と共存する生活に適応するのに、とても長い時間を費やしました。それは私に、断片化された情報のなかから以前はたどり着けなかった手がかりを掘り出すという、新しい観察の角度をもたらしたようです。私は『データセット』を手段として世界を観察するのに夢中になり、かつそのプロセスで新しい作品を数多く生み出しました」。
神話を通じて世界と繋がる
一方、第3幕「変化し続ける劇のモデル」の《90分の宇宙観》はデータセットとAIのアルゴリズムを利用して生成された動画だ。天井から吊り下げられたスクリーンを寝転びながら眺めるというスタイルで、仕掛けが面白いだけでなく、世界各地の神話や伝説を象徴する無数の画像がもたらす空想的な時空に圧倒される。しかも画像が切り替わる瞬間も細部まで作り込まれていて見ごたえがある。
第3幕「変化し続ける劇のモデル」《90分の宇宙観》の1場面[筆者撮影]
《90分の宇宙観》(動画)(2023)[筆者撮影]
作品を構成している画像について、張はこう語る。「データセットのテキストの整理を通じて、大量の作品画像を探したり生成させたりしました。そのなかの一部は本物の歴史資料であり、ほかの一部は今日の画像生成AI、例えばStable DiffusionやRunwayを用いて制作したものです。現在の技術は大量の情報や画像を生成したり保存したりすることを容易にしています。われわれが大量の画像を得るのはけっして難しくはありません。だが創造のかなめとなるのは、すでにある画像のなかから、どのように有効な芸術的ロジックを構築するかです」。
神話や歴史をテーマに選ぶ理由と、それらが現代生活に対して持つ意味については、こんな答えが返ってきた。「私はあらゆる物語の構造に関心があるのです。とりわけ大量の情報のなかから物語の手がかりを堀り出すことに。神話と歴史は本質的にいずれも物語で、ただ由来と語り方に差があるだけです。私にとって、神話と歴史はいかに今日を理解するか、そして今日の問題をいかに処理するかを意味しています。技術の角度からにせよ、社会的な面からにせよ、われわれの今日の生活は、融合というよりは、分裂の方向に向かっていて、各個人はより一層自我の世界に閉じこもるようになっています。中国の神話と歴史は、さまざまな時空にいる人が、同一の土地のうえでともに想像し、構成したものであり、それは私がこの世界と改めて繋がる方法を提供してくれるのです」。
コロナ禍がもたらしたもの
会場にはほかにも、彼が近年創作した10点/組の映像作品、インタラクティブ・メディア・インスタレーション、油彩画にアニメーションを投影した作品、プレイヤブルなゲーム、およびデジタル・プリンティングなどが並んだ。
散策型ゲーム《自律的迷宮》(2019-2020)[画像提供:BTAP]
ゲーム《想像への支配》の一場面(2019-2020)[画像提供:BTAP]
iPadアプリ《ショートカット風景》(2011-2016)[画像提供:BTAP]
作家が訪れた全地点のデータをプログラムで自動的にリンクさせ、個人の経歴を表わす地図にしたもの。画面にタッチすると新しい地図のルートを生成する
AIアルゴリズムによって生成される動画《ある伝説物語の変遷》(2021-2022)[画像提供:BTAP]
文学、演劇、建築など、幅広い分野に関心があるという張だが、彼の創作に一番影響を与えているのは、「構造化された叙事的特徴をもった芸術」なのだそうだ。彼は語る。「例を挙げるなら、蘇州の庭園『拙政園』、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』、クリストファー・ノーランの映画『インセプション』などです。それらは空間の体験による叙事の構築から、建築を構築する方法による小説の構築、さらには多次元的にはめ込まれた物語の構造に至るまで、私の創作に大きな啓発を与えてくれ、それらの作品から私は多くの考え方を吸収した」。
作品《90分の宇宙観》は、新型コロナが収束した2023年に完成している。新型コロナの流行が創作活動にもたらした影響について、張は「ある程度まで私の創作スタイルを変えた」と語る。「コロナ禍のあいだ、私は以前より多くのデジタル作品を作りました。アーティストが仕事を続けようと思えば、現実の空間から遠く離れ、オンライン上、またはVRで世界を感知したり考えたりするしかなかった。だから私はこの数年の間に、複雑なVR作品を2点制作しました。以前の情況であれば、完成にこぎつけるのが難しかったものです。いま思い起こしてみれば、それらは確実に、あの頃の生活体験と潜在的な関係があります」。
中央美術学院デザイン学部の教授で、メディア・アート作家としても最前線で活躍している中国のメディア・アートの専門家、費俊(フェイ・ジュン)氏★は、コロナ禍前後に中国のメディア・アートが経た変化について以下のように総括している。
「コロナ禍の後、メディア・アートは、以前よりヒューマニスティックな関心を体現するようになりました。アーティストたちは芸術が人々にもたらす情緒的価値を創造することに多くの注意を払うようになり、技術が媒介するビジュアル的な効果ばかりに縛られなくなったのです。新型コロナは多くの社会変革と心理的問題をもたらしました。アーティストは人と人、人と社会、人と生態の関係などのテーマをより強く探求し始め、作品にいまの社会をめぐる感情や思考を反映させるようになりました。理性によって技術をひけらかすスタイルから、温もりと人間的思いやりのある表現スタイルに変わったのです。ポストコロナ社会で不安神経症になる人なども激増しているなか、より多くのメディア・アートの作品が、心理的健康などの社会問題に関わるようになっています」
「ライトアップ社会」の映像コラージュ
一方、798の重鎮UCCA Center for Contemporary Artで開かれたグループ展、「Dream Time」でも、メディア・アートの作品が光っていた。とりわけ印象に残ったのは、王裕言(ワン・ユーイェン)の映像作品《熟睡した世界が寝返りを打つ》だ。洞窟型の入り口を入った奥に設置された映像インスタレーションで、LED工場の生産過程を下敷きに、さまざまな既存の映像の断片を組み合わせて編集したもの。断片には、水中の洞窟で作業をする場面、爆弾が爆発する場面、集合住宅にレーザー光線を当てる場面、カラフルなグリッドの連なり、無機質な近未来的オフィスで居眠りをする人々などの映像が含まれる。
映像作品《熟睡した世界が寝返りを打つ》のスチル画像[画像提供:UCCA Center for Contemporary Art]
《熟睡した世界が寝返りを打つ》のスチル画像[画像提供:UCCA Center for Contemporary Art]
《熟睡した世界が寝返りを打つ》のスチル画像[画像提供:UCCA Center for Contemporary Art]
過去へと遡るようでも、未来を予言するようでもある映像は、いずれも暗示的に無意識の領域に訴えかけてくる。断片の一つひとつにメッセージ性を感じるので、先を見ずにはいられない。配布された解説によると、人工の光や照明の数々に焦点が当てられた作品は「虚構の世界の人工ライトアッププロジェクトの描写」であり、それは「歴史上のみならずフィクションの世界でも行なわれてきた」「テクノロジーで地球の環境を変えるプロジェクト」の系統のなかにあるという。
王によれば、「SF的な隠喩は現代の生活のなかにも存在」しており、「あらゆる場所を埋め尽くすデジタル製品の明かりとライトアップされた都市の景観は表裏をなしている」。
デジタル機器が身体の延長のように使われるようになったことは、「見るという行為」も変容させてしまった。作家自身も述べているように、現代の都市社会は監視カメラ、防犯カメラ、ライブカメラ、モバイルなどのデジタル設備で埋めつくされている。展示作品が洞窟のような入口を入った先にあり、中が鏡に覆われているのも、「参観」者である観衆がつねに「観られる側」となり得、「景観の構成者」でもあるという相対性、つまり環境と「見るという行為」への再認識を促すためだ。
《熟睡した世界が寝返りを打つ》のスチル画像[画像提供:UCCA Center for Contemporary Art]
《熟睡した世界が寝返りを打つ》のスチル画像[画像提供:UCCA Center for Contemporary Art]
展示会場の風景[画像提供:UCCA Center for Contemporary Art]
展示会場の風景[画像提供:UCCA Center for Contemporary Art]
一方、王自身の視点はそのさらにずっと外側にある。「生活がいかにデジタル化、無線化し、クラウドの解析可能なデータに依存するようになっても、人類の果てしなき未来主義の構想は、これまで以上に地球の深い場所にある地質的時間と、有限である鉱物やエネルギーによって制約を受けている」とし、作品の制作過程においては、この「可視性と効率性に夢中になっている時代の断片、およびわれわれの『無限に光を求め、視覚的欲望を追い求める症状』を記録したい」と考えたという。
1989年山東省青島生まれの王裕言は、中国美術学院のクロスメディア学科で学んだ後、フランスに留学して研鑽を積んだ。映画監督としても活躍しており、その作品はベルリン国際映画祭やロッテルダムの国際映画祭で何度かノミネートされている。作品《熟睡した世界が寝返りを打つ》が、動画の断片の連なりでありながらストーリー性を帯びているように感じられるのは、彼女の映画監督としての技量が発揮されているからだろう。
そんな王裕言が作品のテーマに中国を選び続ける理由は、中国が抜きんでた「画像大国」であるため。つまり、バラエティと変化に富むコラージュ映像が体現する「自由自在さ」は、さまざまな権利をめぐる常識が異なり、「強制的に見られる」という「不自由さ」が極度に偏在化した監視社会であればこそ得られやすいというパラドックスを背後に秘めている。
楽観的に見方を広げれば、そんな次元の異なる「素材の豊富さ」にも、中国のメディア・アートが秘める可能性や起爆力が潜んでいるのかもしれない。
中国のメディア・アートの特徴と歴史
最後に、先述の費俊教授が語ってくれた、中国のメディア・アートの特徴と歴史について、以下に引用したい。
中国のメディア・アートは「海外と同じく、主には社会のコンテクスト、芸術的コンセプト、および新興の技術に導かれるかたちで始まり、中国社会の現場と緊密に絡まりあうことで、独特の発展を遂げました」と費教授は説明する。「とくに1980年代から2020年代までの40年間における急速な経済発展は、メディア・アートの中国における発展に深い影響を与えました。それは高等教育機関が主導し、技術に導かれ、商業利用され、境界が拡張されるといった形で段階的に発展したのです。総体的に言えば、メディア・アートの概念は、産業面での需要と消費社会の間に挟まれ、無限に汎化されている。そして関連する実践も、相対的に精鋭化しているコンテンポラリー・アートの分野から、パブリック・カルチャーと深く交わった社会空間へと迅速に拡大しつつあります」
費教授によれば、その発展の段階は以下の4つに分かれる。
第1の段階は、1980年代の末に始まったビデオ・アートの実践。この時期の作品の多くは、ビデオ録画とコンセプチュアルなビデオを主な創作手段とし、アーティストは社会の現実や個人のアイデンティティなどをめぐるテーマへの答えをそこに反映させていた。欧米と異なっていたのは、中国のメディア・アートの発展を推し進めたのは主に中国美術学院、中央美術学院などの専門の美術大学であったこと。これらの大学はアーティストの育成、展覧会のキュレーション、およびメディア・アートの理論研究の分野で主な役割を果たした。
第2の段階とは、技術に導かれた段階だ。21世紀に入ると、中国のメディア・アートは新興のデジタルテクノロジーと強く融合し始め、インターネット、デジタル映像技術、パソコンの普及に伴って多元的な実践を行なうようになった。芸術とデザインの学部をもつ中国のほぼあらゆる高等教育機関がデジタルメディアの学科を設立したため、多くの若い人がメディア・アートという芸術分野に足を踏み入れ始めた。この段階のメディア・アートは、新たな技術をどうアートに応用するかが主な探求の道筋になり、インタラクティブ・アート、ゲーム・アート、インターネット・アート、ロボット・アートなどの多元的なスタイルが出現した。メディア・アートは現代アートの展覧会において、欠かすことのできない表現スタイルになった。
第3の段階は、商業化の段階。2017年に798芸術区のペースギャラリーが開いたチームラボの展覧会は、中国のメディア・アートが急速に商業化の段階に入った象徴的な事件だった。またメディア・アートがパブリックな文化消費の段階に入った典型的なケースだった。多くの美術館や制作チームが商業的に消費される作品や展覧会を生み出し始め、展覧会の情報の伝播もインターネットに大きく依存するようになった。メディア・アートは流行文化のイメージを帯び、メジャーな文化としての内省的、批評的価値は相対的に軽視された。
第4段階は境界の拡張の段階だ。デジタル文化産業の勃興とソーシャルメディアの急速な発展、都市のリニューアルのスタイルの変化、および大衆文化の消費面での需要などがもたらす急速な変化が絶えずメディア・アートの概念と実践の領域に影響した。それは社会の現場と深く融合したニューメディアの発展経路を形成しており、公共空間とインタラクティビティに導かれた芸術の実践が現在、行なわれつつある。ニューメディア・パブリックアートは、ホワイトボックスの芸術空間の外で展開される新たな分野となった。この趨勢はメディア・アートの実践の範囲を絶えず拡張している。
では、今後の中国で、メディア・アートはどのような方向に発展していくのだろうか。費教授の答えはこのようなものだ。「私個人としては、こう考えています。中国のメディア・アートは絶え間なく変化する社会の現場とより緊密な関係を築いていくでしょう。科学技術、産業、商業などの分野の社会的エネルギーがメディア・アートの発展の主な推進力となるに違いありません。人工知能などの技術の普及と参加型文化の台頭により、より多くのニューメディアの創作が一般の参加者を巻き込んだかたちで行なわれ、未来のクリエイターはアーティストに限らず、むしろ技術の助けを借りた一般の参加者となります。学際的な理念に基づいたメディア・アートの実践が、アートのパブリックな分野への関与をより一層推し進めるでしょう。問題提起を核心とするメディア・アートの脱構築的な価値は、問題の解決を核心とする建設的な価値と併存し、メディア・アートの中国社会での発展論理を形成することでしょう」。
★──費俊氏の代表作品は次のURLで見ることができる。https://www.moujiti.com/zh/artworks/全部作品 All Works/。
張文超「Hidden in a Theater Path展」展
会場:BTAP(中国北京市朝陽区酒仙路4号798芸術区陶磁三街E02)
会期:2024年3月16日(土)~2024年4月30日(火)
公式サイト:https://www.tokyo-gallery.com/en/exhibitions/5879.html
「Dream Time」展
会期:2024年1月27日(土)~2024年4月28日(土)
会場:UCCA Center for Contemporary Art(中国北京市朝陽区酒仙路4号798芸術区)
公式サイト:https://ucca.org.cn/en/exhibition/dream-time/