会期:2024/05/30〜2024/06/02
会場:インストールの途中だビル 4階インストジオ[東京都]
公式サイト:https://baobao-akachan.amebaownd.com/

あなたは自分のセクシュアリティとどのように折り合いをつけ、どのように受け入れてきただろうか。自分のセクシュアリティと折り合いをつけ、それを受け入れるためには何が必要なのだろうか。あるいはそんなことは考えたこともないとあなたは答えるかもしれない。だとしても、それはこの問題があなたと無関係であることを意味はしない。自らのセクシュアリティを受け入れることができるかどうかは、個人の問題である以上に、この社会のあり方の問題だからだ。

例えば、フィクションの登場人物たちのなかに自分の似姿を見出せないとき。そこに自分の居場所はないのだという感覚は、この世界に自分の居場所はないのだという感覚へと容易に結びついてしまう。だからこそ、マイノリティの物語は紡がれなければならない。それもマジョリティが悲劇として消費するための物語ではなく、マイノリティの存在を肯定してくれる物語が。

[撮影:中嶋千歩]

宝宝『おい!サイコーに愛なんだが涙』(脚本・出演:長井健一、脚本・演出:藤田恭輔)の主人公・唯野祐介(長井)は、姉の本棚で羽海野チカのマンガ『ハチミツとクローバー』を見つけ、そこに描かれた「美大生の男女5人片思いのセツナ連鎖恋物語」に夢中になる。「僕もこの中に入りたい」と願う唯野だったが、高校で仲良くなった同じクラスの浅田と幸恵ちゃんが両想いだと知ったとき、幸恵ちゃんに嫉妬している自分に気づき、「僕はこの中にはいないのではないだろうか」と疑いを抱く。それは物語や世界ではなく、自分自身に対する疑いだ。おそるおそる「ほも」という単語を検索してみるものの「いやいやいや。そんなわけない。ぼくは、そんなんじゃない」とその結果から目を逸らしてしまう唯野はその後、「自分でもわからない気持ちのまとめ方を、伝え方を、学びたいな」と、『ハチクロ』に描かれた恋愛、ではなく「彼らが志す芸術というもの」に関心を寄せるようになっていくのだった。

[撮影:中嶋千歩]

順番が前後するが、本作は美大に進学した唯野の卒業制作であるインスタレーション作品『クローゼットハイム中延』の展示に付随したパフォーマンスとして(そのていで)上演されたものだ。前説によれば、会場は唯野が上京してからの4年間を過ごした品川区中延のアパートの一室を模しており、パフォーマンスは唯野とその同居人との話をモチーフにしたものなのだという。実際に中延にある空きビルを活用したシェアアトリエ/イベントスペース「インストールの途中だビル」を公演会場とする本作において、フィクションと現実とはゆるやかに接続されている。そもそも『おい!サイコーに愛なんだが涙』というこの一人芝居自体、長井が自身と同性パートナーとのことを「フィクションに包んで紹介したい」と思って創作されたものだというのだからなおさらだ。

話は戻り、同居人との出会いは新宿。路上でお笑いライブの客引きをしている男に捕まった唯野は、タイミング悪く通り雨が降ってきたこともあり、半ば無理矢理に地下のライブハウスへと連れ込まれる。それは恐ろしくつまらないライブで、客引きの男こと元祖しばっちゃんはなかでも一番つまらなかったのだが、唯野はそれでもしばっちゃんのことが気になってしまう。舞台に立ったしばっちゃんが自分がゲイであることを堂々と公言していたからだ。同時に唯野は、それでも飄々としていられるしばっちゃんの態度に腹立たしさに近いものを覚えもするのだった。しかしそれはもちろん、そうはなれない自分自身へと向けられた腹立ちでもある。

[撮影:中嶋千歩]

物語はその後、偶然(?)の再会からしばっちゃんが唯野の部屋に転がり込み、居候として居つき、すれ違いを経てパートナーとなるまでを、過去の出来事や家族との関係も交えながら描いていく。中学のときに委員会が同じだった女子に告白され、しかししっくりこなくて断ってしまったこと。浅田と幸恵ちゃんとの高校の思い出。家族に対して架空の彼女をでっちあげていたこと。姉の結婚と出産。父の態度から感じる期待。家族に自分のことをちゃんと話そうと思いながらも言えないままできたこと。

唯野はしばっちゃんとの出会いを経て、しばっちゃんの態度に感化されるようにして少しずつ自分自身と向き合いはじめる。そうして大学生活の集大成でもある卒業制作と一人芝居は、自分を語る言葉を持たなかった唯野が生まれてはじめて自分のことを語る場となり、観客はその場に立ち会うことになる。観客の前で自分について語ることは、唯野が自身を改めて肯定していくことでもあるだろう。紡がれた物語は、唯野に似たまた別の誰かの存在を肯定するものにもなり得るはずだ。

ゲイであることを周囲に打ち明けられず、それどころか自分でもそのことに向き合えずにきた唯野の語る出来事や心情は切実だが、それを演じる長井はどこまでも軽やかでチャーミングだ。過保護気味の父、厳しく指導しつつも唯野を気にかける指導教授、高校の同級生の浅田と幸恵ちゃん、そして世話焼きな姉。長井は唯野としばっちゃんに加えてこれだけの登場人物をコミカルかつ巧みに演じ分け、さなざまな小道具や趣向を駆使して観客を飽きさせない。笑いあり涙あり、加えてサービスも満点である。終演後には唯野=長井が愛すべき存在としてたしかにそこにいたことを示して余りある温かい拍手が会場を満たしていた。

[撮影:中嶋千歩]

しかし、である。惜しみない拍手をしながら、私は少しの物足りなさと苛立ちを感じてもいた。本作が素晴らしい作品であることも、唯野=長井が愛すべき存在であることも間違いない。唯野が自分を肯定できるようになったのは喜ぶべきことだ。だが、周囲の人々は、唯野を取り巻いているはずの「社会」はどのように変わったのか。「問題」は唯野個人のそれへと収斂され、周囲の変化は描かれていない。同じように、この作品を通してマジョリティの価値観や存在が揺るがされることはおそらくないだろう。皆に愛される作品であるということは、安全で安心な、言ってしまえば無害な作品だということでもあるからだ。私の苛立ちは唯野がしばっちゃんに感じていたような嫉妬の類だろうか。そうかもしれない。それくらいキュートな作品だった。だがだからこそ、その先を見たいのだと言いたくもなるのだった。

[撮影:中嶋千歩]

鑑賞日:2024/06/02(日)