この数年間のうちに、日本の各地で次々と「アーツカウンシル」の設立が続いている──このことは実はあまり広く知られていません。アーティストや文化活動を行なう地域の人々と行政との間をつなぎ、ローカルのなかに文化のうねりを生み出す「中間支援組織」としての地域アーツカウンシル。この座談会では、『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社、2016)の著者で、震災以降、地域芸術祭やまちづくりの領域で活動しつつ『危機の時代を生き延びるアートプロジェクト』(千十一編集室、2021)など地域とアートに関わる出版物を手がける編集者の影山裕樹氏をホストに迎え、ローカルに根ざした芸術支援の前線で奮闘する上地里佳氏(沖縄アーツカウンシル チーフプログラムオフィサー)、野村政之氏(信州アーツカウンシル ゼネラルコーディネーター)のお二人と、北海道教育大学で地域の中間支援組織などについて研究する閔鎭京氏とともに、地域アーツカウンシルの可能性を考えます。前編に続き後編では、各地の地域アーツカウンシルの実情に加え、職員の専門性や雇用の問題についても話し合いました。(artscape編集部)

企画・聞き手:影山裕樹(千十一編集室)
構成:佐藤恵美

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アートはどんなテーマとも関わり合える

──野村さんと上地さんから、沖縄と信州の事業内容をお話しいただきましたが、実際、沖縄と信州のアーツカウンシルの取り組みが地域に何らかのインパクトを生み出した良い事例などがあればお聞きしたいです。

上地──面白い出来事やそこからの波及効果はたくさんあると思います。例えば、那覇市の映画館「桜坂劇場」の運営や音楽イベントの企画運営も行なう株式会社クランクは、アーツカウンシルの支援事業で構築したアジアとのネットワークが、現在の企画や取り組みにもつながっていると聞いています。

野村──きっかけとなった事業は、アジアの音楽関係者や、国内外のミュージシャンが集まる国際音楽会議「Trans Asia Music Meeting(トランス・アジア・ミュージック・ミーティング)」ですよね。株式会社クランクはそのあと沖縄市にある総合音楽施設、コザ・ミュージックタウン音市場の指定管理者にもなりました。

Trans Asia Music Meetingの様子[画像提供:株式会社クランク]

上地──アーツカウンシルやプログラムオフィサーのネットワークを活かして、事業者にはなかった人脈や思考回路ができることは伴走型支援ならではですし、そのなかでは事業者に教えてもらうこともたくさんあります。その地域の文化芸術を醸成していく関係性が生まれていくのが、地域アーツカウンシルの可能性のひとつだと思います。

野村──これも沖縄の例ですが、沖縄県立芸術大学の卒業生を中心に発足した「琉球交響楽団」があります。2001年に設立され、10年ほど前までは演奏者が中心でマネジメントのメンバーはいなかったのですが、沖縄アーツカウンシルのディレクターだった杉浦幹男さんからの助言で静岡文化芸術大学のアートマネジメント講座を受けた方が、その後演奏者からマネジメントの専任に転向しました。そうして運営基盤の強化を図ることで、2021年に初めてサントリーホールでの東京公演が実現するまでになりました。

琉球交響楽団の主催イベント「音楽マルシェ」の様子[画像提供:特定非営利活動法人琉球交響楽団]

一方、信州アーツカウンシルはまだ3年目なので、成果はまだこれからというところですが、ひとつ紹介すると、「まつもとフィルムコモンズ」という市民団体の事業があります。家庭に眠っている8ミリフィルムをデジタル化して、それに対する持ち主やその家族の反応などとともに地域の映画を創る活動をしているのですが、活動の過程で、映画『ゴジラ-1.0』(2023)の山崎貴監督(松本市出身)が中学生のときに初めて監督した8ミリ映画のフィルムが見つかったのです。貴重な作品が見つかったことは取り組みの成果といえると思います。

閔──文化芸術の視点から気候変動や地球環境の課題について考える「信州アーツ・クライメート・キャンプ」も、地域課題を試行錯誤しながら次に向けて社会をつくっていく画期的な例ですよね。行政の文化政策は中長期計画を立ててそのなかで動くので、将来何が起こるかを予測し、失敗を許容するトライアンドエラーがしにくいのですが、一方でアーツカウンシルはそうした行政の限界をいかに柔軟に越えていくかというところに存在意義があると思います。その点でアーツ・クライメート・キャンプは斬新な取り組みではないでしょうか。

野村──これは信州大学人文学部と信州アーツカウンシルの連携企画です。すでにアートと関わりながら気候変動に対してアクションを起こしている人が長野県内にいますし、世界的にも美術館が運営を変えていく取り組みもあります。そうした事例を接続しながら、長野県内でアクションをどう広げていくかを考えていくプロジェクトです。

長野県立美術館で開催された、信州アーツクライメートキャンプ〈会議〉vol.3「地球の今、美術館の明日 ~持続可能な未来をめざして~」の様子[画像提供:信州アーツカウンシル]

実は気候変動の項目は、第二次長野県文化芸術振興計画(2023-27)にも盛り込まれています。この計画をつくるときの有識者会議で気候の話が出たことがきっかけです。もともと長野県は気候変動や環境変化についての県民の意識も高く、県も取り組みを政策的にやってきていますので、賛同してくれる人も多く、気候変動という課題と文化芸術が結びつくことを面白がってもらえました。始まったばかりで、まだ大きな成果になっているわけではないですが、多くの文化芸術の担い手が関心を寄せてくれています。

アートがさまざまなテーマ・課題と関わり合えるという一例だと思います。

閔──アーツカウンシルがあったからこそ実現できた企画ですよね。

野村──そうです。実践として見せていくことは行政だけではなかなかできません。アーツカウンシルだといつも助成の公募を出している特性上、発信すると仲間を集めやすいというのもあります。

──地域づくりの担い手は地域の人々だけでは不可能で、地域内外の人々が協働する機会をもっとつくらないといけない。アーツカウンシルは文化芸術をきっかけとして、地域内外のプレイヤーとプレイヤーをつなぐ「つなぎ手の連鎖」を生み出す可能性を秘めていると思います。

野村──ただ、地域内の人々にとって、どのように文化芸術との接点があるといいのかはまだまだ未知数です。だからそれは聞いて回らないといけなくて。昨年、ある企業の社長さんに「何か一緒にできることはありませんか」とアーツカウンシルの話をしに行ったことがありました。すると意外なことに、障害とアートに関わる事業に興味をもたれました。企業には障害者の法定雇用率の制度があります。障害のある人を雇うときに、人事担当者がどのような見識や経験をもっているかということが、定着率に関わるそうなのです。それで、例えば、障害者のアート事業を人事担当者の研修に応用できるかと相談されました。取り組みはまだこれからですが、そもそもこれは実際に企業から見た必要性を聞かないと想像できなかった、アートとの接点でした。

左上から時計回りに、影山裕樹氏(千十一編集室)、上地里佳氏(沖縄アーツカウンシル)、閔鎭京氏(北海道教育大学)、野村政之氏(信州アーツカウンシル)

アーツカウンシルで働くスタッフの専門性とキャリアパス

──アートの必要性を伝える伝道師みたいな感じですね。その際、地域内外の人々が自分のなかに染み込んだ「文化資本」に向き合うことも必要だと感じています。地域内には、美術館や劇場に通うことが当たり前の人たちと、そうでない人々がいるのが当然で、アートに親しみのない人たちにこそ積極的にアプローチする必要がある。商店街や企業などの地域団体の目的に寄り添う姿勢も必要かなと。アーティストや文化芸術事業の従事者がもつ文化資本と、そうでない人の文化資本の違いに改めて向き合うことで、より相互理解が育まれるように思います。

野村──前向きでやる気がある人が、アートにどんな期待をしているのかを聞いて、そこに合いそうな人をつなぐ。それだけでほぼ支援は終わりなんですよね。適切な人に適切な人を紹介するだけで、つなぎ手は消えていいのかなと。重要なのは、社会のなかでの文化がいかに異質で可能性があるかを相対的に知っていること。その理解をもっていることが専門性じゃないかなと最近思っています。

──最後に雇用についても伺っていきたいのですが、アーツカウンシルで働く人たちはプログラムオフィサーやプログラムディレクター、プログラムマネージャーなど呼称はさまざまですが、どのような形態で雇用されているのでしょうか。課題を感じていらっしゃることなどもあれば合わせて教えていただきたいです。

閔──アーツカウンシルを取材するなかで、雇用に関する話を聞く機会も多いですが、問題の本質はそれぞれかなと感じています。例えば、任期付きの雇用が終身雇用になると良いかというと、それは一概に正解とは言えないでしょう。業界の発展のためには他地域のアーツカウンシルへの転職もメリットだと思います。ただ転職先で給与が上がりステップアップできるかというと、必ずしもそうではありません。アーツカウンシル間での人材流動では、十分なキャリアパスが描けないのが課題かもしれません。転職先として他地域のアーツカウンシルに限らず、自治体行政組織に入ることでアーツカウンシルや文化芸術の現場と行政の間をつなぐ人材になる可能性も考えられます。培ってきた経験や人脈を活かして違う仕事に発展させることなども含めて、キャリアが積める働き口と功績に見合った報酬設定になっていくといいなと思います。

上地── 沖縄アーツカウンシルのプログラムオフィサーは、私を含めて6人が在籍しています。財団所属で、月16日勤務の非常勤です。舞台制作や芸能の実演家など、兼業しながら働いている人が多く、多様なスキルや知識をもつ人が集うチームとしては面白いです。ただ、財団は常勤職員も非常勤職員もほとんどが最大5年の任期付きとなっています。これまで在籍していた先輩方をたどると、例えば野村さんは信州アーツカウンシルへ、林立騎さんはドイツの仕事を経て沖縄に戻り、いまは那覇文化芸術劇場なはーとに勤めています。私の場合は、アーツカウンシル東京で働いてから地元である沖縄に戻ってきて4年目になりました。この先を考えると、やはり地元の沖縄の文化芸術に関わり続けたいと思っていますが、現状はまったく未定です。

最大5年という任期に縛られることで、長期的な視野での計画が描きづらく、文化政策に携わる人が育ちづらい環境になってしまっていることが課題だと思います。人材の流動性があることで広がりが生まれることは実感しますが、アーツカウンシルそのものについて議論を積み上げていくことが難しい。全国を見渡すと自治体職員には防災や建築、福祉などの専門職が配置されつつありますが、文化芸術の事例はごく一部です。その地域に合わせた文化政策を積み上げていくためにも、文化芸術の専門職の配置も必要ではないかという議論も聞こえてきます。

野村──閔さんがおっしゃったように、どんなかたちがいいのかはわからないですよね。先ほども話しましたが、沖縄アーツカウンシルは流動性があっても、例えばアドバイザリーボードに元プログラムオフィサーの林さんが入っていたりしてカルチャーを保つことができていると思います。

自分の場合は沖縄アーツカウンシルのあと、長野県庁で文化振興コーディネーターとして3年半勤めました。それからアーツカウンシルを立ち上げて、財団の任期付常勤職員で3年目です。来年度からは非常勤のかたちにする予定で、長野県だけでなく、幅広く地域での中間支援機能の整備に関わっていきたいと考えています。私のキャリアのつなぎ方は特殊かもしれません。自分のキャリアパスが作品だというくらいのつもりでやっています。

信州アーツカウンシルは、財団のプロパー(正職員)が2人、県職員の派遣が2人、それからアーツカウンシルの事業費のなかで雇われている任期付きの常勤職員や非常勤職員が5人います。財団のプロパーには可能性があると思っています。財団内で異動があっても、アーツカウンシルで身につけたカルチャーを県内の文化施設や文化事業で発揮してもらえたら、地域のためになります。アーツカウンシルはひとつの入り口で、出口は中間支援やつなぎ役みたいなイメージですね。アーツカウンシルという機関にとらわれなくても、つなぎ役として専門性のある職員を増やしていくことが重要で、財団職員の人材育成や研修に力を入れることも必要だと思います。

──雇用形態を聞いていると「地域おこし協力隊」と少し似ていて、公務員と地域おこし協力隊の間みたいな感じですね。地域おこし協力隊は近年各地で増えてきましたが、文化芸術の専門人材の必要性も、これをきっかけに理解を広めていきたいです。その際求められるのはやはり、「対話型専門知」という言葉もありますが、文化芸術の専門家の専門性とは何か、という議論かと思います。

これまで地域におけるアートの可能性についての議論において、アートに親しみのない市民の顔が見えない、あるいは彼らと共有できる課題感や価値についての議論がまだまだ進んでいないと感じています。文化芸術の専門家とは、相対的に文化芸術の外側に立てる感性も備えている必要があるのではないでしょうか。例えば行政の課題や市民の要望と、アーティストや文化芸術活動の担い手の価値観を擦り合わせていく職能のようなものですね。

まだまだ発展途上の分野ですが、持続可能な地域社会の実現にアートが寄与することを示すために、アーツカウンシルのような機関や中間支援人材の可能性を議論していく必要が改めてあると思いました。


(2024年5月9日取材)