artscapeに「アーカイブ」というページがあるのをご存知でしょうか?
このページから、サイト開設当時からの記事が読めるという、実は隠れ自慢コンテンツなのです。

いままでは、「バックナンバー」として、年ごとに「2020年03月01日号」などがズラーーーと並んでいるだけでした。おまけのように「2008年以前のバックナンバーはこちら」というボタンがあり、それをクリックすると、「何年何月何日号」とだけ書いた背表紙がただただ積まれている前世紀の出版社の倉庫にでも入ったようなページがありました。そこからは先のクリックはまるでタイムトリップです。ウェブサイトのシステムの変化が年代の区切りになっていまして、さかのぼっていくと、「ああ、こういうウェブデザインの時代、確かにありましたね」という古式ゆかしい感じのページのうえに載った、日本のコンテンポラリーアート30年史のような記事が読めるのです。

しかし、この入口から過去の記事までたどってみようと思うのは、よほど探検隊の気概を持った方でないと難しそうなので、せめて、コーナー名や執筆してくださった方のお名前を掘り起こして、メニューにしてみました。(古書倉庫感も「バックナンバー/号数」というボタンをクリックしていただけると味わうことができます)


1996年のトップページ。サイト名は「artscape」ではなく「network museum & magazine project」です

その掘り起こしのなかから、「お! この方がこんなことを書かれていたとは!」と、思わず降り積もったエア埃を振り払い、手を止めて読んだ記事のタイトルをちょっとあげておきます(あえてダイレクトなリンクは貼りませんよ)。

・八角聡仁…トランスジェンダーとしての写真 現代女性作家展 《ジェンダー―記憶の淵から》にふれて(1996)
・八谷和彦のアルス・エレクトロニカ・レポート(1996)
・毛利嘉孝…《リヴィング・ブリッジ》なぜ、建築家はそれほどまでに橋をつくりたがるのか?(1996)
・柿沼敏江…アクティヴな場に立ち会う~秋山邦晴氏を悼む~(1996)
・建畠晢…《中国現代美術展》―ポスト天安門世代のラディカリズム(1997)
・多木浩二…『エヴィダンシア』 ビデオで楽しむシルヴィ・ギエム(1997)
・北小路隆志…『悪魔のいけにえ』(1997)
・四方幸子…オストラネニー97――旧東側で初のメディア・フェス開催(1997)
・槻橋修…東京アートフィールド「ヨコハマ・ポートサイドギャラリー」(1997)
・森司…「たくさんのものが呼び出されている」-内藤礼とのフランクフルトの5時間(1997)
・長谷川祐子…アート・ラボ特別展 “Lovers”古橋悌二/“frost frames”高谷史郎(1998)
・中ザワヒデキ…「私」のリアリズム《森村泰昌[空装美術館]絵画になった私》(1998)
・市原研太郎…アートのタイムギャップを際立たせるナン・ゴールディン展(1998)
・暮沢剛巳…記憶と反復の余白に――加害/被害展(1998)
・南條史生…「スパイラルTV」(1999)
・村田真…「1964-98 ありがとう、ときわ」展――貸画廊について思うこと……(1999)
・嘉藤笑子…アートにおけるセンサーシップ:芸術検閲と道徳意識(1999)
・野々村文宏…ドナルド・ジャッド1960-1991(1999)
・林卓行…美術1999-2000「公共性」の息苦しさ(2000)
・園田恵子…映画 1999-2000 デジタル・シネマの可能性(2000)
・田中純…ヴェネツィア・ビエンナーレ 第1回コンテンポラリー・ダンス 国際フェスティヴァル(2003)
・鈴木明…山口情報芸術センターに行ってきた 地域の文化施設はどこにいく──せんだいメディアテークから最近の美術、文化施設まで(2003)
・中村政人×森川嘉一郎…秋葉原へ/秋葉原から──現代美術とオタク的世界の交錯する場所(2004)
・八束はじめ…「国民建築家」の死(2005)

どうです? 沼がひろがっているのが見えてきましたでしょうか?
「トランスジェンダー」「公共性」「センサーシップ」などは、20〜30年前と現在では意味も対象も異なっていますよね。

ほかにも、ぜひ読んで、見ていただけたらと思うシリーズものも発見しました。
・連載 美術の基礎問題 ……村田真(2000-2002)
・Series ストリート・ウォッチ……島尾伸三(1998)
・Series 写真集批評……大島洋(1998)
「Series」の写真帳はUIの発想がいまと違っていて戸惑いますが、貴重です。

みなさま、どうぞ「アーカイブ」探検をお楽しみください。(f)