固定化してしまいやすいまちや人の関係性に揺さぶりをかけ、解きほぐす──「福祉」と聞くと、「困っている/限られた人々に対する支援」といった一方向的な構図を想像してしまいがちですが、そういったものに別視点を投げかける存在として、創作・表現活動のもつ力やそれらを担うアーティストへの期待が年々高まっています。
国や自治体、あるいは民間における福祉制度やサービスに誰もがどこかしらで関わっているにもかかわらず、個々人が具体的な困りごとに直面するまではその姿がイメージされづらく、同時に千差万別でもある福祉の現場。社会の少子高齢化がますます進むなか、それぞれの地域に根ざした福祉施設をはじめとする場作りと運営に日々取り組み奮闘している、久保田翠氏(認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ理事長)、上田假奈代氏(NPO法人こえとことばとこころの部屋[ココルーム]代表理事)、武田知也氏(一般社団法人ベンチ代表理事)のお三方をゲストに迎え、福祉という切り口においてアートとまち・地域が互いにもたらすものは何か、今後広く更新されていくべき“福祉観”とともに探っていきます。
前回の鼎談「津々浦々に広がる『地域アーツカウンシル』をめぐって」に続いて聞き手を務めるのは、地域芸術祭やまちづくりの領域で活動しながら著書『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社、2016)や『危機の時代を生き延びるアートプロジェクト』(千十一編集室、2021)など地域とアートに関わる出版物を手がける編集者の影山裕樹氏です。(artscape編集部)

企画・聞き手:影山裕樹(千十一編集室)
構成:佐藤恵美

地域にアートは必要か?」を始めるにあたって|影山裕樹

2000年代初頭から2010年代にかけて全国各地で林立した、「ハレの場」ともいえる地域芸術祭。これらの広がりがひと段落し、パンデミックも落ち着きを見せている2024年現在、「ケの場」として地域社会の日常のなかに芸術文化を定着させていくうえで、何が必要なのでしょうか。地域とアート。この異なる志向をもった二つの方向性のズレが、近年、芸術祭に対するある種の地域側の反発や、文化芸術施設の予算の削減というかたちで顕在化しているように感じます。

もちろん、税金はそこに暮らす人々が払っているわけですから、「地域の人はアートがわかっていない」という態度をしめせば、それは余計なお世話だと言われるのは当然です。とはいえ、現代は地元の人だけでは地域づくりが成り立たない時代です。よそ者や現代アートといった新しい風がある一定程度、つねに地域に入っている状態が維持されていくことこそが、これからの地域社会において重要だと思っています。

そこで、ここではまちづくりという視点から、地域の担い手と文化芸術活動の担い手、両者が互いに手に手をとる未来はどこにあるかを考えたいと思います。今回は地域共生社会の実現に際して、ますます重要になってくる地域における福祉施設の実践を参考に、地域とアートの接点について探ります。

 

※シリーズ「地域にアートは必要か?」、前回の鼎談「津々浦々に広がる『地域アーツカウンシル』をめぐって」はこちら

アーティストが滞在する介護施設

──都市や地域のなかで、福祉施設やサービスの存在はなかなか可視化されていないのが現状です。とはいえ、地域に開かれた福祉施設が増えつつあります。特に、アート的なアプローチで施設外から人を呼び込むような事例も増えています。最初に、みなさんの活動を紹介いただけたらと思います。


左上から時計回りに、久保田翠氏(クリエイティブサポートレッツ)、影山裕樹氏(千十一編集室)、武田知也氏(一般社団法人ベンチ)、上田假奈代氏(ココルーム)

まずは武田さんからお願いできますか。2022年にスタートしたデイサービスの施設と共同で行なわれているプロジェクト「クロスプレイ東松山」について、なぜ始められたのかも含めてお聞きしたいです。

武田知也(以下、武田)──私は演劇やダンスといった舞台芸術のプロデューサーという肩書きで活動しています。主なキャリアのスタートとしては、廃校施設をアートセンターにした「にしすがも創造舎」や「フェスティバル/トーキョー」という国際的な舞台芸術のイベントです。その後、2016年に開館した公立劇場、ロームシアター京都に立ち上げから3年間、企画事業スタッフとして働いていました。

舞台芸術それ自体にはもちろん魅力と可能性を感じていますが、ただ、従来の作品のつくり方や発表方法に限界も感じていました。上演する演目には社会的な問題を扱っているものもあるけれど、本当に見てほしい人、必要な人に届けられているのだろうか、と。またこの業界では昨今ハラスメントの問題もニュースとなりました。改善や防止の動きはありますが、旧来のヒエラルキーを前提とした現場はまだ存在しています。作品では社会問題を扱っているにもかかわらず、内側にはそういった問題を生み出す構造や矛盾があるのではないか。作品自体の方法論や制作過程を更新しなくては芸術も育たないのでは、と思うようになっていました。

僕が参加する一般社団法人ベンチ(以下、bench)は2021年に設立しているのですが、同時期に「埼玉県東松山市にあるデイサービスが移転する話があり、移転先に新築する際にはアーティストが入る部屋をつくるのはどうだろう」という相談がありました。それが「クロスプレイ東松山」の始まりです。

クロスプレイ東松山は、埼玉県東松山市にある「デイサービス楽らく」にアーティストが一定期間宿泊・滞在し、デイサービスの利用者とスタッフがアーティストと交流することに重きを置いた、アーティスト・イン・レジデンスのプロジェクトです。

「クロスプレイ東松山」での活動の様子。アーティスト/文筆家のアサダワタル氏によるプロジェクト「また明日も 歌ったような」では、施設利用者やスタッフが歌い手となり、アサダ氏の書き下ろしの楽曲とそのミュージックビデオが生まれた[写真提供:クロスプレイ東松山]

2023年度が2年目で、全7組のアーティストに参加してもらいました。一般的に普段デイサービスのなかでもいろいろなレクリエーションをやると思うのですが、ここではアーティストはそのレクリエーションを提供しに来るのではなく、デイサービスに滞在し、交流を通じて、作品を作るもよし、作らずにじっくりただデイサービスの時間と空間と向き合うのもよし、というスタンスで、過ごしてもらうことを大事にしています。その先に、徐々に双方が関係しあい、影響し合うところから、作品と観客、社会の関係が生まれることを期待しています。

アサダ氏による架空のラジオ番組「楽らくラジオ」[写真提供:クロスプレイ東松山]

歌人の青木麦生氏も公募アーティストのひとりとして2024年に滞在。その期間中に作った「楽らく短歌」[写真提供:クロスプレイ東松山]

その他benchでは、「有楽町アートアーバニズム(YAU)」という、大手町・丸の内・有楽町というビジネス街にあるオフィスビルにアーティストが滞在してビジネスパーソン、ワーカーとパフォーマンス作品を制作をしたり交流する、プロジェクトも行なっています。両者ともアーティストが滞在することで、その場で生きる人たち=「他者」と新しい出会いやつながりが生まれる。その交流を通してお互いが影響し合うことに主眼を置いたプロジェクトになります。

変わっていく釜ヶ崎で、語り部になれるか

──次に上田さんにお伺いしていきます。上田さんは大阪市西成区の釜ヶ崎(かまがさき)という地域で15年以上、それ以前の活動も入れると20年以上、「ココルーム」というアートNPOを立ち上げ拠点を開いて活動を続けられています。長きにわたって喫茶店やゲストハウスの「ふり」をしながら人と人の出会いや表現の場を運営したり、2012年からは釜ヶ崎芸術大学という講座を展開したりして地域に関わられていますが、まずは近況から教えていただけますか。

上田假奈代(以下、上田)──釜ヶ崎は日雇い労働者のまちで、90年代のバブル崩壊を経て、路上生活者が多くなり、2000年に入り生活保護で暮らす人が増えました。さらに最近は観光客、訪日外国人向けの宿泊施設が増えるなどして変わってきています。高齢化が進み、ココルームに来ていたおじさんたちがどんどん亡くなって、お葬式をして弔いをすることが増えました。たいていは無縁墓に入るんですけれど、先月亡くなったおじさんは、生前に自分が死んだら亡くなった奥さんのいる京都に行きたいとつぶやいていたものですから、鹿児島にいる遺族に会いに行き、遺骨の委任状をもらってきました。最近はココルームでお葬式のプロデユースをいくつかしました。私たちはかつての釜ヶ崎のまちや、そこに住んでいた人たちのことを語り継ぐ、語り部になれるのだろうかと考えたりしています。

喫茶店やゲストハウスの「ふり」から始まり、さまざまな人が集う場となった「ココルーム」と釜ヶ崎芸術大学[撮影:ココルーム]

それから、いろんな国籍の若い人が多く暮らすようになりました。ココルームの若いスタッフたちが多文化共生の事業を立ち上げ、ベトナムルーツの人たちを支援するNPOや、子どもの支援をするNPOなどと組んで、月に一度、子どもと地域のおじさんたちと外国人が交流する場をつくっています。味噌やドーナツをつくったり、身体を動かしたり、言葉を使わないプログラムを企画しています。

ココルームに訪れていた人を弔い、見送る[撮影:ココルーム]

──上田さんは、大阪市の南に位置する堺市にできた、堺アーツカウンシルのプログラム・ディレクターも務めていますよね。どのような流れで就任されたのですか。

上田──実はココルームの活動とアーツカウンシルはつながっています。2003年、ココルーム誕生のきっかけは大阪市による「新世界アーツパーク事業」でした。家賃と光熱費を行政が負担する公設民営という仕組みです。4つのNPOが入居しアートセンターのようでした。ただ、市からは10年と聞いていたのだけど、途中でそんな約束はしていないということで、5年で終わってしまった。市や市民から、アートの拠点事業はそれほど賛同が得られてなかったんですね。とてもくやしかったです。我々と行政の間に立つ通訳者、そしてその意義を伝えられる第三者機関があったら、この事態は避けられたのではないかと思いました。

そう考えていたとき、中間支援組織であるアーツカウンシルを知り「大阪でアーツカウンシルをつくる会」という勉強会を始めました。ただ、その会も3〜4年して自然消滅してしまったんです。ココルームを続けながら大阪市の文化政策がもっと良くなってほしいと口にしていたんです。そんなときにアートNPOリンクの樋口貞幸さんが「もう一度勉強会をしよう」と言ってくれて、会は復活。その頃、新しく市長が変わるタイミングに重なり、市長公約的に大阪アーツカウンシルができたんです。それで「大阪でアーツカウンシルを考える会」に名称変更して活動を続けています。

やがて2021年堺市も多分野と協働したアートの取り組みを推進する計画があったため、アーツカウンシルをつくることになり、ディレクターにならないかというお声掛けがあり、お引き受けしました。公募の補助金の相談や伴走、芸術活動全般の相談や、アート活動に関心のある市民の交流を促したり、堺市の文化振興財団と協働し、アウトリーチの研修を企画しています。ただ、ずっと現場にいた身としては、中間支援の難しさに悶えています。

まちづくりの「まち」とは?

──そして、久保田さんは静岡県浜松市で認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ(以下、レッツ)を2000年に立ち上げ、障害や国籍、性差、年齢などあらゆる違いを乗り越えて、ともに生きることができる社会づくりを目指す、をコンセプトに活動されています。2018年に浜松の中心市街地にオープンした「たけし文化センター連尺町」は、日々、行き交う人々との接点もありますが、最近は駅前で「オン・ライン・クロスロード」というイベントも始められ、本当に街の人たちをかき混ぜるようなことを意識されているなと思います。

久保田翠(以下、久保田)──もともと障害の重い人のいる施設ですので、人に出会えない場所でやることには抵抗がありました。それで2009年に「たけし文化センター」、2015年に「表現未満、」というプロジェクトをスタートして外に開く活動を続けてきましたが、郊外にあったアルス・ノヴァを浜松のまちなかに移したのが6年前です。


静岡県浜松市の市街地にある「たけし文化センター連尺町」。1、2階が福祉施設「アルス・ノヴァ」、3階ではシェアハウス、ゲストハウスを運営[写真提供:認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ]

「たけし文化センター」施設内の様子[写真提供:認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ]

その数年後に新型コロナウイルスが流行し、飲食店の多い浜松のまちは壊滅的な状況でした。私たちもできることを探しながら、1400坪の空き地を借りてアートイベントを開いたり、「浜松ちまた会議」という地域のビジネス系の人たちと一緒に会議を実施したりしました。そのときに生まれた交流は続いています。また、中心市街地にもうひとつ、誰でも利用できる「ちまた公民館」も2022年から運営しています。

コロナ禍のなか、たけし文化センターの玄関で開催されたライブの様子[写真提供:認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ]

ただ、コロナが落ち着いたいまでも産業は以前の状態に戻っていません。それなのに中心市街地の地価が上がり、土地を買うのは市外の人といった状況。まちに元気がなかったときは、クリエイターや若者がわーっと入ってきて面白くなるけれど、まちが元気を取り戻すとそういう人たちが追い出されるのですよね。地価が上がったり、行政がやり方を変えたりして。我々も含めて周縁化されるのを感じます。今日のテーマである「福祉」を全面に出せば助けてくれる人もいますが、私たちはそれが得意ではなくて。アートをよりどころにしているから「障害者だから助けて」といった言い方はしたくないなと。そうすると「面白い」と言ってくれる人はひと握り。ほとんどの人が、わけのわからない団体だと遠巻きに見ているような感じですが、そこを突破してくれるのがうちのメンバー(利用者)です。積極的に外に出て、やらかすことで、少しずつまちに溶けていっている感じはします。

──久保田さんは一貫して、地域における福祉施設の役割や可能性を考え続けていらっしゃいますよね。10年以上前、浜松の市街地にあるユニークな活動で知られる立体駐車場「万年橋パークビル」に関わり、アーティストやクリエーター、何かやりたい人を街に呼び込み、応援する事業を行っていました。やはり多くの地域で郊外や周縁に置かれてしまうのが現状である福祉施設が、浜松という都市のど真ん中にあることが重要とおっしゃっていたのも印象的でした。「タイムトラベル100時間ツアー」も、徒歩圏内に普段触れることのできない世界がある、それをツアーと見立てているわけで、都市の中のさまざまな人々が交流する場として、レッツを開いている意識があるな、と。

数日間にわたり野外劇や音楽ライブ、ワークショップなどが開催される浜松の中心市街地でのイベント「オン・ライン・クロスロード」[写真提供:認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ]

久保田──私はまちづくりに興味があるというよりも、自分たちが生き延びるために自分の住むまちを良くしていきたいという思いが強くあります。これからの時代、ますます血縁や地縁といった単位は解体されていくものだと感じています。それは仕方のないことだから、じゃあ、そうなったときに個人としていかに生き延びるかを考えなくてはならない。障害のある人の活動場所をつくってきましたが、その人たちやその家族がこのまちに暮らすなかで、どうやったら生き延びていけるのか、そのためにはどうしたらいいのかと考えるようになったのです。そうなると自然にコミュニティというか、つながりを求め始めるのですよね。それが先ほど紹介した「浜松ちまた会議」への思いでもあります。これは「『福祉』を軸とした新しいネイバーフッドシティ構想」と呼んでいて、人と出会う実験の場でもありました。だから私のイメージするまちづくりの「まち」は、建物や道路が整備されたまちではなく、どんな人でも生きていけるまちなのです。

──地域生活において、いわゆる社会関係資本、人とのつながりやコミュニティは限られているのが現状です。家族、同僚、商店会など。そこを越えたさまざまなつながりがあった方がたとえば災害などの危機に直面した際、レジリエンスを発揮する。神戸の「FMわぃわぃ」が阪神淡路の震災のときに多言語放送を始めたように。社会関係資本の編み直し、という観点は、上田さんの活動にも通じるものがあります。

上田──私も、いまのお話は釜ヶ崎でこれまでやってきたことに通じると思いました。時代が変わって釜ヶ崎も最近は地価が上がってきました。それで私は思うことが二つ。ひとつは、よるべない人たちの苦労に対しての支援的なアプローチはこれまでも多くありましたが、いわゆる福祉的な振る舞いは関係を固定化してしまいがちです。支援される側がずっとお礼を言い続けなくちゃならず、支援側はがんばって正しい支援をしなくては、とカチコチになる。そんなふうに硬くなったものを柔らかくできるのが、表現やアートではないか、ココルームの役割もそこにあると思っています。もうひとつは、先ほども少し話しましたが、無名の人たちの人生を語り継ぐこと。ふるさとから金の卵となってまちに来た人たち、高度経済成長を支えるべく働いてきた人たち、近代から現代へと日本社会や世界の動きのなかで生きてきた多くの人たちの人生が、時間を重ね歴史を帯びている。その歴史を知ること、伝えることで、これからの社会をどうつくっていくかを考えるきっかけになると思うのです。

アーティストが起こす「さざ波」

──以前、上田さんが(ご自身のことを指して)「素人のプロ」とおっしゃっていたことがあり、自分がやっている編集の仕事にも近いなと思って共感したんです。素人のプロとして、まちに散らばった可能性の、どれとどれを結びつけたらいいかを考えている。

久保田さんも以前地域の人に、「アートと福祉、両者ともに伝えるのが難しい」とおっしゃっていましたが、地域─福祉で真面目に向かい合うのではなく、地域─福祉─アートのトライアングルを描くことによって、普段はつながらない人たちをつなげる可能性の回路が生まれるのではないかと考えています。

久保田──私は、福祉は意外にも絶望的な部分があると感じています。これはきっと武田さんも実感しているのではないでしょうか。制度的に、同じ困りごとを抱えている人を集めて何事も起こらないようにする側面があるのです。「安定」が重視されているからです。でも、それは社会のなかからその人たちを消す作業になっていて、それに対していつも疑問を抱いています。

私が施設を始めたのは、息子のたけしが一般的な社会のなかで生きていけないから。だけど、施設に人を集めているうちに「これじゃ、おかしい」と思って、活動を外に開き始めました。安定を重視するなら閉じた施設の方がよいかもしれませんが、そこに集まった人たちは本当に幸せでしょうか。別の可能性もあるんじゃないかと思ってしまう。上田さんがおっしゃっていた、おじさんたちの人生を未来につなぐことにも通じますが、別の可能性を可視化することがアートの役割だとも思っています。

上田──場を閉じてしまう福祉に悔しい思いを抱かれている久保田さんの気持ちがよくわかります。開いている場ってめちゃくちゃ面白いし、それこそがアート。「社会的包摂」とわざわざ言わなくても、表現されることで応答が起こり、生きていく技術が磨かれるのですよね。本当は福祉とアートも地続きだし、社会と私たちも地続きのところにいるのです。だから閉じる必要はない。閉じ込めて、束ねて、収まってもらいましょう、という考え方自体に風穴をあけていきたい。武田さんはいかがでしょうか。

武田──クロスプレイ東松山は、今のところ日常的にいろんな人が出入りできる開いたプロジェクトではありません。そこにいるのは高齢者、介護スタッフ、アーティストの三者が基本です。そのなかで、外から来たアーティストが起こすさざ波が、スタッフや利用者さんにとってはストレスになる瞬間があります。例えば「アーティストさんは全員に声をかけてくれるわけではない」といった利用者さんへの平等性や、そのことで起こる利用者さんの心のさざ波が気になってつらいなど。スタッフとしては、デイサービスという制度のなかで最大限良い仕事をしようとしています。でもその軸をずらしてくるアーティストの存在がある。敵対するのではなくポジティブに捉え、その場を共にどう作っていくかを話す余地がまだまだありそうです。

福祉は良くも悪くも一定の制度が出来上がっているからこそ、そこに膠着するものもあるのかもしれません。でも、誰しも生きていくうえで市場や制度から漏れてしまうことはありますよね。福祉も芸術も、そこに触ろうとしている部分があるのかなと思います。

まちを大学に見立て、年間80〜100ほどの講座を開く「釜ヶ崎芸術大学」の講座のひとつ「けんきゅうのつくりかた」(写真左が上田氏)[撮影:ココルーム]

 

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