固定化してしまいやすいまちや人の関係性に揺さぶりをかけ、解きほぐす──「福祉」と聞くと、「困っている/限られた人々に対する支援」といった一方向的な構図を想像してしまいがちですが、そういったものに別視点を投げかける存在として、創作・表現活動のもつ力やそれらを担うアーティストへの期待が年々高まっています。
国や自治体、あるいは民間における福祉制度やサービスに誰もがどこかしらで関わっているにもかかわらず、個々人が具体的な困りごとに直面するまではその姿がイメージされづらく、同時に千差万別でもある福祉の現場。社会の少子高齢化がますます進むなか、それぞれの地域に根ざした福祉施設をはじめとする場作りと運営に日々取り組み奮闘している、久保田翠氏(認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ理事長)、上田假奈代氏(NPO法人こえとことばとこころの部屋[ココルーム]代表理事)、武田知也氏(一般社団法人ベンチ代表理事)のお三方をゲストに迎え、福祉という切り口においてアートとまち・地域が互いにもたらすものは何か、今後広く更新されていくべき“福祉観”とともに探っていきます。
前回の鼎談「津々浦々に広がる『地域アーツカウンシル』をめぐって」に続いて聞き手を務めるのは、地域芸術祭やまちづくりの領域で活動しながら著書『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社、2016)や『危機の時代を生き延びるアートプロジェクト』(千十一編集室、2021)など地域とアートに関わる出版物を手がける編集者の影山裕樹氏です。(artscape編集部)

企画・聞き手:影山裕樹(千十一編集室)
構成:佐藤恵美

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ぐじゃぐじゃで何が悪いの?

──みなさんの活動は異なる立場の人々の間を折衝する力を鍛える場でもあると感じます。自分たちの理解できる他者を想定した範囲で生きている人にとっては、まったく理解できない人やものに免疫がありません。ですので、間に立つことはストレスの多い仕事だとは思いますが、そういう力を鍛える場の必要性を感じます。

上田──間に立つ人にも必要なのが、表現だと思っています。傷つくこともありますし、ストレスもあります。でも、それを外部化するというか、表現することで見え方がずれていくことは確かにある。例えば、ココルームでちょっとした事件があったときは深刻な顔をせずに、「演劇みたいだね」と笑ってます。自分の責任が取れる範囲はここまでだなと線引きしながら粛々と運営する。この練習をしていると、自分の生活や暮らしも同じ姿勢や態度でできるようになります。道端で子どもと目があったら「こんにちは」と言ってみるとか、困っていそうな人がいたら「道に迷っているんですか?」と声を掛けてみるとか。そうやっていると逆に知らない人に助けてもらうこともある。外部化して、いろんな人と関わる瞬間が増えることで日々が幸せになっていくと思うんです。

詩人である上田氏が自ら講師となって展開される、釜ヶ崎芸術大学の講座のひとつ「詩(Method for creating poems through interviews)」[撮影:ココルーム]

久保田──私の場合は、自分が若かったのがバブルの頃。そこから日本の経済が低調になっていく姿を見続けていますが、いまはほとんどの人が不安なんだと思います。どんなに収入が多くても、逆に生活保護でギリギリの生活をしていても、幸せを感じている人ってそこまでたくさんいない感じがするのです。だからみんな自分の理解できる範囲で生きたいと思うのかもしれません。

不安を感じる社会では、「ぐじゃぐじゃとした理解できないものは見たくない」と、きれいなものやわかりやすいものに寄っていく。実は自分のなかにぐじゃぐじゃなものがあるからこそ、それを露呈されるのがつらい、というのもあるんじゃないかと思っています。だからお金持ちになって、美しい生活やきれいなものを享受できる生活をしたいと。でもそこにたどり着ける人は少ないですよね。ほとんどの人はぐじゃぐじゃな世界のなかで、もがきながら生きている。それを強く感じます。

だから私たちは「ぐじゃぐじゃで何が悪いの? 整理されたきれいな世界を目指すのはやめようよ」と言い続ければいいし、それを確認してもらうために活動しているように思います。

──どうやって生きたらいいかわからないから、社会を自分にとって都合のいいかたちに押し込めて、違和感や不快なものに対して防衛的になる人も多い。変わることの怖さがあって、他責的になり対立が引き起こされる。アートは異なる他者と出会い自分が変わるためのトレーニングをする場でもあることが、もう少し伝わっていくといいなと思います。

遠出できなくなる未来を見据えて、徒歩圏内を豊かにする

[写真提供:クロスプレイ東松山]

武田──ここ数年の世の中を振り返ると、新型コロナウイルスの感染拡大はやっぱり大きかったですよね。移動が制限されるなかで、自分の住んでいる地域でなんとか生きていこうと感じた人が多いのではないかと思います。僕は埼玉に住んでいますけれど、プロデューサーやアートマネージャーといった肩書きを外したとき、自分は何もできないと思ったんです。でもひとつだけやってよかったのは、近所に住んでいた振付家・ダンサーたちと一緒に、近くの川辺で小さな公演をやったこと。そのときに、もちろんコロナ禍ですので少人数ですが近所に住む人たちが観に来てくれました。その経験は大きくて、これまで自分がやってきたことで地域のなかでコミュニケーションが取れた実感があったんです。

2020年の9月に武田氏が近所に住むメンバーと共に開催した野外パフォーマンス公演の様子(霞ヶ関の夕べ─川辺編─『まほろばや』。振付・出演:久保田舞、小林萌/主催・企画製作:38℃、合同会社オンド、久保田舞/制作:武田知也/空間デザイン:吉田尚平)[写真提供:武田知也]

[写真提供:武田知也]

[写真提供:武田知也]

上田──ココルームは、(国や自治体など公的機関からの助成・支援の)制度で運用していないこともあって、コロナ禍でも何も変わらなかったんです。ただ、コロナ前にココルームの庭で井戸掘りしたのは大きかったですね。スコップで井戸を掘っていると、いろんなトラブルやわからないことがたくさん起こるんです。その都度、おじさんたちと話し合って、自分たちで決めて井戸を掘っていきました。体力のない人は「がんばってね」と応援するかたちで関わってくれる。こんな応援の声掛けもとっても大事だったので、グラデーションの必要性もよくわかりました。コロナ禍で不要不急が言われたけど、何が不要なのか、それを決めるのは自分たちだって思うようになっていて、小さい自治の場となりました。それは体験を通してしか出てこなかった。武田さんが川辺でダンスの公演をしたこととも似ていますね。体験を自分の身体や記憶のなかにひっかけて、何かを続けてまた表現していくことが大事だなと思いました。

武田──上田さんが堺アーツカウンシルのプログラム・ディレクターを始められたというお話がありましたが(※前編参照)、僕もコロナ禍のときに、自分が住んでいる地域の人たちと「民間でアーツカウンシルができないか」という会議を何度かしていたんです。でもいままたみなさん忙しくなって話が止まってしまって。まちの人たちと民間で何かできたらというのが理想ですが、条例も何もないので、そこからつくった方がいいかと悩んでいます。上田さんはどんなアーツカウンシルを目指していらっしゃるのですか。

上田──地域の特性があるので、地域ごとにアーツカウンシルの役割は変わってくるとは思います。一般的にはアーツカウンシルって助成金を出したり、事業に伴走したりといったイメージが強いと思いますが、私の原体験としてのアーツカウンシルがフェスティバルゲートで行なわれた新世界アーツパーク事業だったので、「いろんなことの相談に乗ってくれる人たち」というイメージがあるんです。困っているときに相談できたり、(人や制度を)紹介してもらったり。だからアーツカウンシルは単純にお金を配分する機関ではなくて、人と人をつなぐ存在になれたらと思っています。行政にとっては、条例や計画、審議会が大事ですよね。根拠になり、話し合える場が必要。ぜひやりましょうよ。

武田──自分が住んでいる徒歩圏内でいかに文化的な環境や状況をつくれるかが大切だし、そうしたいなとコロナ禍を経て今日は一層思いました。それは、自分がもう少し歳を重ねて遠出できなくなった未来にもかかわることで。いまはその練習を始めている感覚があります。

ココルームの敷地内の庭にて[撮影:ココルーム]

「ここにいる」とわかってもらうことが生きる理由になる

──地域づくりの文脈で、いつも地域づくりの主体とされるグループは、経営者や商店会のような稼ぐ主体なんですよね。でも、「稼ぐ地域」が地域づくりの一丁目一番地だった時代から、コミュニティの多様性を地域に保つことが求められる時代に変わってきているように感じます。しかし多様なセクターは硬い岩盤のような壁によって隔たれており、それを柔らかいものにするためにアートは寄与するのではないかと思います。

久保田──いまの子どもって、生まれたときからスマホがあって、人とリアルに接することを避けられる時代でもあります。不登校になったとしても、いくらでもバーチャルで学びは得られる。そんな環境で育った子どもがどんな社会をつくるのだろうと、想像ができなくて楽しみな部分もあります。

一方で、アートは演劇も美術もリアルな部分がまだまだ多いので、時代に合わせて「地域とアート」の定義も変化し、捉え直してもいいのかなと思うのです。

「障害のあるなしを超え、参加者の方々が“ごちゃまぜ”で、同じ時間を楽しむ」場として、たけし文化センターで2018年度から開催されているクラブイベント「クラブアルス」。2024年5月に開催されたのは岸野雄一氏率いるチーム・ダイボンを迎えての「クラブアルス盆踊り大会」[写真提供:認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ]

──コロナ禍以降、いまやバーチャルのなかで対話できることが増えてきているので、コミュニケーションのバリエーションも増えてきたように思います。面と向かって対話しないといけない地域社会の狭さや近さの悪しき部分が、近年、「池田暮らしの七か条」のように可視化されたりもした。でもそれも、ネットが発達したから表沙汰になったわけで、バーチャルな対話というのは、人々の間の対話のバリエーション(逃げ場)を増やす効果はあったと思います。

久保田──私は子どもの頃、刺激が欲しくて学校に行っていた部分もあるなと。でもいまはバーチャルのなかに刺激がたくさんある。この時代に生まれたら学校に行かなかったかもしれない、とふと思うことがあります。ただ、電気が停まったらすべてが終わるので、実は危ういのですけれど。

上田──どんなに技術が発達しても、身体の快楽や痛みはひとりでしか感じることができない。だから幸せだって身体で計らざるをえないと思います。

それから、言葉でしかやりとりできないとなると、コミュニケーションの機微がネックになる時代でもあるんじゃないかと。言葉は言葉使いというように、使いようだから、薬にも毒にもなる。そして、アートも必ず何かしらのコミュニケーションが必要になるし、滲み出してきます。釜ヶ崎では、みなさんつくったものを人に「見られたい」と思っているようですよ。

久保田──レッツの場合、「見られたい」というより「認められたい」「承認されたい」というのがあると思います。無視されるのはつらいですよね。「ここにいる」とわかってもらいたい。

上田──それが生きている理由になりますよね。だから表現は大事です。

久保田──表現の受け手をどう育てていくかも大きいと思います。相手によって「おもしろい」と言われる場合もあるし、「あっちに行け」と言われる場合もあるし。「もっと役に立つことをやりなよ」ではなくて「おもしろい」と言ってくれる人がたくさんいると、いい社会だなと。

上田──日常のなかでそのおもしろさにもっと気づけるように、いろんな試みをしていきたいですね。アーティストもアートマネージャーも地域住民の「ふり」をして、ゴミ拾いをしたりお祭りに参加したりして、忍び込むのがいいんじゃないでしょうか。

久保田──もっと教育のなかにアートが入っていってもいいですよね。音楽や美術の先生には「役に立つことをやりなさい」とは言わずにいてほしいです。

上田──学校やこども園にアーティストを派遣する事業も増えているし、先生がクラブ活動を受け持つのが大変だから地域の団体に移行する動きもあって、そのなかにアートの人たちが関わる余地も以前より増えていますよね。社会には、通り一遍でない大人もいるわけだから、変な大人が(子どもたちと)出会っていく機会を作っていきたいですよね。

武田──自分の子どもも保育園と小学校に通っていますが、公立の小学校はまだまだ規律訓練的な教育だなと、ちょっとうんざりしてしまいます。そこには向き合いきれていなかったんですが、いまのお話を聞いて自分も何かやりたいと思いました。

久保田──きっとそれは、武田さんがPTA会長になるといいですよ。うちの近所にもちょっと変なPTA会長がいて、その人になってから学校が少し変わったんです。

武田──自分が住んでいるところが観光のまちなので、青年会議所や商工会が強いという特徴もあります。PTA会長をやるには……できることをちょっと考えてみます(笑)。

「クロスプレイ東松山」でのレクリエーション[写真提供:クロスプレイ東松山]


(2024年9月20日取材)