会期:2024/10/15~2024/10/26
会場: galerie16[京都府]
公式サイト:https://art16.net/archives/7170
「無料セミナー」という怪しげな個展タイトルに、確信犯的なダサいチラシ。会場のギャラリーに入ると、「セミナー講師」が映る正面モニターに向かって、いかにもセミナー会場らしくパイプ椅子と長机がセッティングされている。講師が解説するのは、「新卒一括採用」という日本独特の採用システムと就職活動について。人件費の軽減のため、スキルや経験を問わず、大学新卒者を採用後に社内教育するシステムが、年功序列や終身雇用とセットで高度経済成長期に出来上がった。現在は就職活動が早期化し、3年生の夏からインターンが開始され、「自己分析」が重視される。こうした内容を解説する「プレゼンのスライド」が、「絵画作品」として左右の壁に掛けられる。だが、スライド/絵画には「誤字脱字」が混入し、一部は上下反転して掛けられ、「講師の解説映像のネット配信」もたびたび「通信障害」のエラーが起こる。こうした「ミス」「準備不足」を補うため、岡留優自身が解説する「パフォーマンス」が実施される。本展は、「就活生向けセミナー」の形式を借りた展覧会/パフォーマンスなのだ。
岡留はこれまで、建築、店舗ディスプレイ、ネット配信、慣習的行為といった既存の構造を抽出し、展覧会というもうひとつの構造に持ち込み、自身の身体的パフォーマンスを介入させて相対化する試みを行なってきた。《別荘》(2023)では、駅ビルの建築から抽出した造形要素で部屋の模型(ドールハウス)を制作。YouTuberの定番ネタを模倣し、「自身の別荘」という体裁で、ミニチュア化した自身のパネル人形が「お部屋案内」をするネット配信を行なった。《セカンドストリート》(2022)では、実際のショッピングモール内で、店舗の什器ディスプレイの構造を模倣したインスタレーションを展開。普段の意識の中で不可視化された「見せるための構造」を可視化した。《バードウォッチング》(2022)では、イーゼルや三脚、作業台、折り畳み椅子など屋外での絵画制作を補助するさまざまな道具を公園に持ち込み、構成や組み合わせの変化がもたらす「(時に不自由な)制作体勢のバリエーション」とともに風景画を制作。道具や装置の「逸脱的使用法」が、身体にとって自由さにも拘束にもなりうることを抽出すると同時に、描いた絵の「展示」も装置に加えられ、「展覧会」という制度を相対化する。
一方、本展では、建築や店舗ディスプレイといった物理的構造ではなく、「日本型の新卒一括採用」という社会構造に焦点が当てられた。それは同時に、展覧会への制度批判でもある。「セミナー」のために「展示」があるのか、「個展開催」の口実として「セミナー」が開催されているのか。手抜きのやっつけ感(に見える)セミナーだから「無料」なのか、「貸し画廊での個展」だから「無料」で当然なのか。セミナーの解説映像や岡留のパフォーマンスを見るためには、観客は用意された椅子に座らねばならない。だが、セミナーという形式の厳格な正面性は、左右の壁に展示された「スライド/絵画」の鑑賞にとって妨げとなる。椅子に着席した観客は、首や視線の不自由さを体感しながら「次のスライド」を見るはめになる。また、「セミナーのタイトル」から始まり、「結論(実際にはないのだが)」で終わる「スライド/絵画を見る順番の固定化」は、展覧会のリニアな形式性を改めて意識化させる。
絵画展では「普通」の事態だが、「スライドのサイズ」はバラバラで不統一だ。ここに、新卒一括採用というシステム、すなわち標準化や均質化に対するアンチテーゼを読み込むこともできる(「就活マナー」として服装や身だしなみを「解説」するスライドもある)。また、別のスライドでは、かつての履歴書が毛筆・縦書きだったことが「現物」とともに示される。だが、現在でも、履歴書に「手書き」が求められることは変わらない。誤字まじりで「きれいな字」とは言えない「スライド/絵画」は、「就活生向けセミナー」を装いながら、「手書きの字」にこだわって「真面目さ」「人柄」「能力」の判断基準とする企業側をゆるく脱臼させる。制度の二重のパロディを、それぞれの制度批判として成立させた試みだった。
鑑賞日:2024/10/26(土)