会期:2024/11/22~2024/11/24
会場:THEATRE E9 KYOTO[京都府]
公式サイト:https://askyoto.or.jp/e9/ticket/20241122

「もの」の日常的な配置と使用法を再現的になぞりつつ、パフォーマーの身体的な介入によって「秩序」の構築と解体が上演され、その「上演」を物理的に支える(不可視の)基盤としての「テーブル」を可視化することで、一種のメタ演劇を実践してきた福井裕孝。『シアターマテリアル』(2022‐2024)は、京都の小劇場、THEATRE E9 KYOTOの建物・敷地内にある「もの」をすべて撮影・記録するというプロジェクトである。福井が同劇場のアソシエイトアーティストとして取り組んだこのプロジェクトは、2022年度に劇場の「もの」の撮影・記録作業を実施した。また、撮影のために「もの」がバックヤードや楽屋、ロビーなどから舞台上に持ち込まれた状態で、一日限りの上演『シアターマテリアル(仮)』を行なった。2023年度には、計1027品目の「もの」の写真とデータを収録したアーカイブカタログを発行。最終年度となる今年は、このカタログを「戯曲」と見なし、カタログにデータとして記録されたさまざまな「もの」を再び舞台上に召喚して、「シアター」を構成する「マテリアル」による上演が行なわれた。

[撮影:Viola Niklas]

舞台上には、普段はバックヤードや楽屋などにある備品や機材が整然と並べられている。足場や脚立、機材の載ったラック、平台、スタンドミラー、机や椅子、案内板、洗濯機、ストーブ、消毒・虫除けスプレーや工具類、テープなどの細々とした備品や消耗品……。2年前の記録撮影/上演『シアターマテリアル(仮)』と似た光景が出現しているが、配置は異なり、舞台中央には何も置かれていない空間がぽっかりと存在する。そこに、スーツを着た男(パフォーマンスアーティストの好光義也)が登場し、照明器具、コードレス掃除機、虫捕り網、ヘルメットといった「もの」をひとつずつ置き、2~30秒ほど脇へ引いて待機したあと、「もの」を舞台中央から持ち去り、次の「もの」を置く。この一連の作業が、淡々と繰り返される。カタログ化のための記録撮影行為を、まさに同じ舞台上で「再現」すること。「シャッターを切る不在のカメラ」の代替として、「目撃する観客の視線」が要請されていること。「出演者(人間)」と「カメラ(もの)」が舞台/客席の空間ごと反転すると同時に、演劇がはらむ再現性/一回性の両義性、そして本作がドキュメンタリー演劇でもあることがひとまず示される。

そして、本作は、普段はスポットライトを決して浴びない「もの」たちを擬人化する操作によって、ユーモアとともに演劇/アーカイブに対する二重のメタ的な考察を展開していく。舞台上に「整列」した虫除けスプレーに向けた「朝礼」では、「演台」に見立てた「箱馬(踏み台などに使う木箱)」に上がった好光が、拡声器でスプレーたちに演説する。私たちの使命は、劇場利用者を外敵から守り、芸術文化のための安心安全で快適な環境を守ることである、と。「噛ませない」「刺させない」「入らせない」というモットーの復唱。

[撮影:中川桃子]

虫除けスプレーはひとつずつ好光が噴射して「よし」「よし」と点検され、畳まれた黒い布は広げて垂らされて「暗幕」の機能を見せ、電子レンジは(中に何も入れないまま)ダイヤルを回され、内部が点灯し、ウィーンという稼動音がしばらく続いたあと「チン」という音が鳴り、「何かを温める機能」だけが示される。用途や機能といった「もの」が(そして使用者が)従うべき規範性に徹することで、逆説的に脱力的な笑いへと逸脱していく。

「カタログ=戯曲」と見なすことで、演劇/アーカイブの両者に対するメタ批判が笑いとともに前景化するのが、「オーディション」のシーンだ。「面接官」である好光と対面して、ケーブル、ほうき、金具、消火器、椅子が舞台奥に並べられ、一名(?)ずつ舞台中央に出されて「普段通りのあなたを見せてください」というオーディションが行なわれる。問題なく通過するもの、「見てくれ感が出すぎている」とダメ出しを受けるもの、「普段の環境(棚)とは違う環境(床の上)だから緊張してるよね」と面接官に配慮されるもの。「もの」の写真と品名を管理番号とともに記載したカタログは、劇場に所属する「備品リスト」の役割を過剰なまでに拡張した丁寧なアーカイブである一方、「『シアターマテリアル(上演)』の出演者を選考するオーディションのためのプロフィール写真」にもなる。この重ね合わせにより、統一された撮影フォーマットや管理番号によって情報として均質化し、管理・選別するというアーカイブが潜在的にはらむ権力性が浮上する。

また、アーカイブは網羅性を是とする一方で、そのリストには「これから補充されるべきもの」が控え、潜在的に欠損や不完全性をはらむ。このパラドックスが、「(ドキュメンタリー)演劇」をめぐる倫理性の問題と重なり合うのが、冷蔵庫のシーンだ。声のトーンを落とした好光が、申し訳なげな調子で語り始める。劇場の開館時に購入し、2年前に撮影してカタログに記載した冷蔵庫が、夏に故障したこと。キッチンにあるべき白物家電を、まったく環境の異なるブラックボックスに連れ出して撮影・上演したことが、ストレスを与えたのではないか。新しく購入した冷蔵庫を代わりに今回の舞台に上げるべきか、時間をかけて慎重に議論したこと。「もの」の擬人化によって、演劇のプロではない人間を当事者として出演させるドキュメンタリー演劇と倫理性の問題が照射される。

[撮影:Viola Niklas]

だが、本作における「出演」の線引きはどこにあるのだろうか。撮影行為の再現、擬人化されたシーン、「オーディション」を演じるものたちの傍らには、膨大なものたちが整然と舞台上に集合している。現在時刻を指し示す時計、白いスチームを噴き出し続ける加湿器、「記録写真」のスライドショーを映し続けるモニター、「本番中」と書かれた紙が貼られた掲示板…。これらの「もの」たちもまた、「舞台上」でそれぞれの機能を遂行することで、「出演」しているといえるのではないか。

このように、本作は、「カタログ化のための記録撮影」を舞台上で「再現」するドキュメンタリー演劇であり、演劇/アーカイブについての自己批判を提示しつつ、「劇場とはどのような場所か」について、物理的な構成要素に分解して調査する考現学的なメタシアターでもある。そして、舞台上の「演台」の役割を果たし、あるいは自立できない「もの」の「出演」を支える台として自らの機能を示していた「箱馬」が、最後に舞台中央にスポットを浴びてただ置かれる「ラストシーン」は、縁の下の力持ちへ感謝と敬意を捧げると同時に、「機能」「用途」からひととき解放された非日常的な視線で何かを見つめるという「劇場の機能」を静かに告げていた。

関連レビュー

中間アヤカ『踊場伝説』(KYOTO EXPERIMENT 2023)、インキュベーション キョウト 福井裕孝『シアター?ライブラリー?』|高嶋慈:artscapeレビュー(2023年12月15日号)
福井裕孝『シアターマテリアル(仮)』|高嶋慈:artscapeレビュー(2022年10月15日号)
福井裕孝『デスクトップ・シアター』|高嶋慈:artscapeレビュー(2021年08月01日号)
福井裕孝『インテリア』|高嶋慈:artscapeレビュー(2020年04月15日号)

鑑賞日:2024/11/24(日)