会期:2025/1/18~2025/1/27

会場:東京都豊島区南池袋4-22-10[東京都]
公式サイト:https://olive088861.studio.site/

「150年」は田中勘太郎を監督、布施琳太郎を脚本とした展示企画であり、開始時点で14組の作家が参加した。

なお本展に関して、田中から出展作家の一人である小野まりえに対するパワーハラスメントがあった旨が、小野本人より告発されていることにまずは触れておく。これに対し、運営事務局は第三者を交えて小野に対するヒアリングを行なっており、その進捗は公式サイトから発信されている。本稿執筆時点(2025年3月3日)においては、田中から小野に謝罪文が送付され、受諾されたとの報告がなされている。上記の問題はいまだ渦中にあり、拙速に断言すべき事項を私は持っていない。SNSなどでは、のちに述べる「監督」という呼称の持つ権威性や独善性が非難されている様を目にする。だが「監督」という呼称は暴力性に免罪符を与えるためのものではなく、避け難く生じる暴力性をあらかじめ曝け出すことによって責任の所在を明らかにするためのものであるはずだ。しかし本展が「150年」という、ステートメントに従えば「この肉体を拠点にする限り思考しきれない時間量」を取り扱う以上、そこには個人が取りようもない責任も含まれることになる。それらがいかに実効的なものとして手続きされるのか、これは本展に限らず私たちが共通して考えるべきものであるだろう。

本展の特異性はまずその会場──雑司ヶ谷霊園にほど近い南池袋の再開発予定地に建つ、取り壊し予定の建築群6棟──にある。しかし、各建築内部の空間がほとんど居住時のままに用いられていることは特筆すべきものの、廃墟を会場とする展示構成自体は今やそれほど珍しいアイディアではない。本展を特徴づけるのはなんと言っても、壁や窓を破壊することで各建築を強制的に接続しているという点だろう。田中と布施がこの操作を「道をつくる」と表現しているように、本展の関心のひとつは展示における順路と鑑賞体験の関係性にある。展示やキュレーションを、空間内における各作品の配置と動線計画によってひとつの物語を編み上げる行為として捉えるならば、本展はそこにいかなる混乱と複数性を見出せるかという実験である。ステートメントには「本展が相手取るのは、150年『前』や『後』ではなく、ただの時間の量としての『150年』である」とある。唯一の時間の流れが規定されて初めて絶対的な「前」や「後」が発生するのであって、本展のような場──ある鑑賞者にとっての「前」が別の鑑賞者にとって「後」になる空間──では、そうした時間にまつわる共同幻想は破棄される。会場内で迷い、知らず知らず堂々巡りに巻き込まれるとき、私たちは普段慣れ親しんだ「ベクトルを持った時間」から吐き出され、スカラーとしてのそれに直面することになる。SNSなどで本展がしばしばホラーチックな体験として鑑賞されているのを目にしたが、それは単に廃墟探索的な側面だけによるものではなく、こうした時間の持つ本質的な不気味さに触れることによるものだろう。フロイトに則れば「heim」と「不気味なものunheimlich」が一種の背中合わせの状態にあるように、壁に穿たれた穴は家をその外側へと解放し、異なるものを招来する口となる。

学芸員の南島興はXでの配信(スペース)で、本展のこうした不気味さに触れている。いわく、複雑な動線をめいめいに巡るなかで思ってもみなかった場所から別の鑑賞者が現われ、それはさながら幽霊のように感じられた、のだと。鑑賞者は鑑賞の途上で、次第に寄る辺ない存在へと変わっていく。というのも、本展は先に述べた時間のレイヤー以外においても、鑑賞者を疎外し宙吊りにするからだ。そもそも壁に穴を開ける正当な理由などなく、ゆえにそれによって結びつけられた風景はさながら書き割りのような「由縁を欠いた」ものとなる。そしてそのなかを遊歩する鑑賞者それぞれの動線は徐々に錯綜し、意図を失っていく。会場を進むにつれて鑑賞者は「自分がなぜそこにいるのか」を説明することができなくなっていく。そしてそんな「説明のつかない存在」が当たり前のように空間に居座っていることによって、幽霊は招かれる。幽霊は因果にもとづいて過去と現在を結びつけるものだが、それだけではない。今・ここに幽霊が現われてしまっているという事実そのものによって、遡及的に過去が揺さぶられるところにこそ、その恐怖の源泉がある。幽霊とは由来の不確かなもの、生成の機序が不安定なもの──つまり文字通りの「縁起でもない」ものとしてある。本展についてしばしば、他人の家を土足で徘徊することに対する忌避感を述べる意見が散見されたが、それはすなわち自らが異物である──どのような道理でそこにいることを認められているのかがわからなくなる──と意識してしまうということに他ならない。

しかし、ここで一度立ち止まっておきたい。本展は本当に、鑑賞者が自らの位置を見失ってしまうほどに複雑怪奇な空間だったのか。展示入口では地図として、会場図面の一覧が渡される。建築図面をそのまま落とし込んだような平面は一見複雑そうではあるものの、つぶさに見ていくと全体の構造が見えてくる。袋小路を取り囲むように建つ6棟の建築が穴と足場によってつながれ、袋小路の開かれた一方には今回の展示用に壁が建て込まれている。これによって会場全体は、中庭を持つ巨大なU字型の建築のように捉えられる。さらに見ていくと、3階以上に展示がある建築は離れて建つ2棟のみであり、これらは足場によって相互に交通していない。また、2階レベルで各建築を繋ぐ通路は隣り合う建築を最短距離で結んでいるに過ぎず、回遊性もない。つまり、本来2階以上のレベルにおいてはそれほどの順路の複雑さは生まれないのだ。もちろん、各建築の間取りや階段の昇り降りといった要素が組み合わさることによって主観的な体験は錯綜し、鑑賞者たちは何度も同じ場所を通ることになるのだが。

とはいえ、本展がいわゆる空間を探索する快楽、そこに潜む謎を読み解く快楽、あるいはその中で迷う快楽に依って立つ部分が大きいことは疑いようがないだろう。文字通りの迷宮ではなくとも、迷宮的な性質を帯びた空間について、建築学者のヤン・ピーパーによる議論を参照してみよう。ピーパーは『迷宮:都市・巡礼・祝祭・洞窟──迷宮的なるものの解読』において、迷宮を単なるカオスではなく特殊な建築的秩序の形式──中心的な空間をどのように演出するかという問題に対するオルタナティブなアプローチ──として捉える。つまり、通常の建築が空間構成の明快さや直接性をもって中心を演出するのに対し、迷宮はそれを複雑化し、遅延させ、謎化させることによって逆説的に重要性を語るというわけだ。いわばそれは、否定神学的な空間構成であると言っていい。到達し得ない真理をネガのように炙り出そうとすること。ここで興味深いのが、迷宮と記憶術に関するピーパーの記述だ。イメージ上の建築空間の各所に情報を紐づけることで、それを巡りながら必要な記憶を引き出す技法は「記憶の宮殿」として一般に知られている。すなわち、迷宮とはその入り組んだ通路の各所に謎の欠片を紐づけられた巨大な記憶の宮殿であり、そこではそぞろ歩くことによって、半自動的に謎が浮かび上がってくる。私たちは迷宮を探索して謎を解き明かしているのではない。むしろ「迷う」という経験そのものが謎の輪郭を浮き立たせるのである。さて、本展の会場もまさに「記憶が堆積した空間」なのだが、それは先に挙げたような典型的な迷宮とは異なる。なぜなら本展の構成とは、それぞれの建築に堆積した互いに無関係な記憶を空間的な隣接性にもとづいて強制的に接続し、巡回可能にするものだからだ。加えてそのなかには、各作家の作品というさらに無関係で新たな記憶が散在している。それは必然的に、カタルシスをもたらすような「答えのある謎」を持たない。そう、本展の特徴とはまさに、空間の持つ過剰な濃密さと矛盾するあまりの「謎のなさ」による、あっけらかんとした広がりなのだ。本展を巡る行為は謎解きを組み立てることではなく、さながらテキストのカットアップに似たものとなる。では、そんな空間になお秘められているものがあるとすれば、それは一体何だろうか。

後編へ)

鑑賞日:2025/1/23(木)