展覧会ポスター
会期:2025/01/16~2025/03/23
会場:TOTOギャラリー・間 [東京都]
公式サイト:https://jp.toto.com/gallerma/ex250116/index.htm
家はただの構築物ではなく、生きられる空間であり、生きられる時間である。★1
冒頭に掲げたのは多木浩二がその現象学的、記号論的関心に基づいて執筆した特異な建築論『生きられた家』の冒頭の一説である。TOTOギャラリー・間にて開催された「吉村靖孝展 マンガアーキテクチャ──建築家の不在」(以下、「マンガアーキテクチャ」)は、多木が述べたような建築における身体について取り扱いながら、建築家の「作家性」について問いを投げかける展覧会になっていた。
吉村靖孝は展覧会に際し、7人の描き手に自身が設計した建築をモチーフに漫画を描いてもらうよう依頼した。二つのフロアと中庭の展示スペースでは、最初のフロアでマンガと、それに応答するかたちで制作された吉村によるインスタレーションが、バルコニーではスケール・フィギュアが展示され、上階にあたる二つ目のフロアに吉村の建築模型が展示されるという複合的な構成となっていた。フロアにはそれぞれ早稲田大学吉村靖孝研究室が作成した建築や漫画についての年表があり、リサーチ的な性格も有している同展であるが、吉村がここで示したかったのは、設計者の作家性が場所よりも優先される反工学主義的な建築家像に背を向けることである。なぜなら鑑賞者はまず漫画というフィクションと、それを受けシンボライズされたインスタレーションに触れ、いわゆる建築展的な模型の鑑賞へと移行するよう動線がコントロールされているからである。
しかし振り返ってみると、吉村はキャリアを通じて建築における作家性について繰り返し問題提起をしてきた。そのことを踏まえると、そうした身振りは一貫している。例えば独立前の1990年代の後半において早くも、シーラカンスやみかんぐみといった複数人による共同設計として作品を発表していたユニットの活躍に触れながら「孤高の建築家像に対する憧憬がすっかりアナクロの感さえある」★2と述べ、20世紀末の建築における作家性について言及している。また2010年には法学者ローレンス・レッシグによる著作権をめぐる議論からインスピレーションを受け、個展「CCハウス」(オリエアートギャラリー)を開催し、販売した設計図の条件付きの改変を認めた。建築法規の影響で作家性とは異なる回路で個性的な形態を獲得した建築をまとめた編著『超合法建築図鑑』(彰国社、2006)もユニークなリサーチだったと言えるだろう。
「マンガアーキテクチャ」の出品作のなかでは、規格が統一されているコンテナを利用した現在進行中のプロジェクト《VERTIPORT》にこうした姿勢が現われているだろう。これは空を飛ぶ車の空港として構想されており、吉村はこうしたコンテナ建築に継続して取り組んでいる。これらは複製が前提されていることもあり、こうした取り組みは、逆説的に吉村の作家性を浮き彫りにしている。また《Nowhere but Sajima》(2008)においては設計のみならず、デベロッパー的な関わりもしており★3、こうしたことからも吉村が建築家という職能を支えている諸構造と向き合っていることは明らかだ。
(後編へ)
★1──多木浩二『生きられた家』岩波書店、2001、3頁
★2──吉村靖孝「オープンパートナーシップという気分について」『群居』群居刊行委員会、1998、75頁
★3──「建築家インタビューVol.2 吉村靖孝」『有名建築家と建てる住まい|Aプロジェクト|ミサワホーム』https://www.a-proj.jp/interview_yoshimura_1.html
鑑賞日:2025/03/01(土)