会期:2025/05/19〜2025/05/20
会場:水性[東京都]
公式サイト:https://1actor5director.studio.site/

「マッチョ」と「亡霊」。一見、意外な取り合わせである。しかし実のところ、多くのマッチョにはたしかに亡霊が取り憑いている。いや、むしろ亡霊が取り憑くからこそヒトはマッチョになるのだと言うべきだろうか。マッチョになるなら取り憑かれてもいいではないかという向きもあろうが、亡霊の例に漏れず、それはしばしば取り憑かれた本人とその周囲の人間を害することになる。一度取り憑かれたが最後、容易には祓えないその亡霊の名は「有害な男性性」という。

『マッチョと亡霊』(作・演出:西田悠哉)は俳優・桑折現による「1人の俳優のための5人の演出家による上演」と題された企画の第一弾となる作品。今後1年をかけて展開するこの企画はそのタイトルの通り、1人の俳優=桑折現が5人の演出家によるソロパフォーマンスを上演していくもので、なんと5作品のそれぞれで京都・松本・富山・東京の4都市を回るのだという。第一弾の作・演出を担当した西田は近年、演劇人コンクール2024で最優秀演出家賞・観客賞をダブル受賞し、『マッチョと亡霊』東京公演の週末には第15回せんがわ劇場演劇コンクールで劇団不労社として上演した『サイキック・サイファー』で観客賞を受賞するなどいまもっとも勢いのある若手演出家のひとりであり、第二弾以降の演出家にも前田耕平、倉田翠、和田ながら、あごうさとしと錚々たる名前が並んでいる。今後の展開も楽しみな企画だ。

東京公演の様子[撮影:前澤秀登]

東京公演の会場となった水性は元クリーニング店のイベントスペース。ありし日の痕跡を残すその場所に姿見、革張りの(ように見える)回転椅子一脚、ラジカセ、そしてスタンドライトがぽつりぽつりと置かれ、部屋、というよりはかつて部屋だった場所、あるいは部屋になり損ねた場所とでも呼びたくなるような空間をかたちづくっている。やがて舞台奥のカーテンの裏からヌッと現われた男はのっけから「いやぁ……『モテモテ』でした」と語りはじめるのだが、空間の空虚は彼の自信に満ちた態度を裏切り、やがて訪れる破綻を予感させるだろう。

生まれたときから自分は周囲のあらゆる女の「愛のビーム」を存分に浴びて育ったのだと豪語する男は自らの来し方を語っていく。男は肉体的にはさほどマッチョには見えないのだが、しかしナルシスティックにねばつくような語りはそれでも十分にマッチョの名に値するものだ。女たちとの関係。そして男たちとの関係。中学校の先輩に調子に乗っていると言われボコボコにされたこと。先輩になって調子に乗っている後輩をボコボコにしたこと。男自身によって「『殴り』『殴られ』のサイクル」と名指されるそれはあまりにわかりやすく「男らしさ」が形成されていくそのプロセスを、亡霊が取り憑くその過程を示している。

東京公演の様子[撮影:前澤秀登]

あるいは優しかった友人のひとりが友人間の遊びに端を発するチキンレースの果てに何かしらの野生動物の肉を食い、寄生虫に脳をやられてまったくの別人のように凶暴な性格になってしまったというエピソード。これもまた隠喩と呼ぶにはあまりにあからさまだ。ご丁寧なことに、その友人はその後、ロシアマフィアとトラブルになり「粛清」されたらしいというオチまでついている。「男らしさ」の行き着く先。こうしてホモソーシャルに培われた「男らしさ」は当然、女との関係にも影響を与えることになる。付き合っていた女とのセックスの話を金を取って友人に披露していたというエピソードなど胸糞だが「有害な男性性」の発露のひとつの典型と言えるだろう。

やがて高校を卒業し工場を継いだ男はさらに稼ごうと、先輩の薦めで「新しい仕事」を掛け持ちしつつ筋トレにも精を出すようになる。世の金持ちはテストステロンというホルモンの数値が高い。テストステロンを分泌するためには筋トレだ! ということらしい。男はテストステロンを高めるためのクスリを輸入までして筋トレに励むが、ある日、不注意から自らの睾丸にダンベルを落としてしまい──。

京都公演の様子[撮影:金サジ]

病院で目覚めた男は看護婦を前に、生まれて初めて女に「カオ」と「ココロ」があることに気づいたと宣う。それまでは女を「肉の塊」として見ていたのだと。酷い発言だ。だが、男の気づきが人間同士のドラマを通してではなく、睾丸の破壊という身も蓋もない、馬鹿馬鹿しいとさえ言える即物的な仕方でもたらされていることを考えれば、これは男自身に痛烈に返ってくる言葉だとも言えるだろう。この結末は、筋トレで膨らみきった男こそが「肉の塊」でしかなかったことを示すものなのだから。

男性ホルモンを失い、自らの萎んでしまった体を前にアイデンティティクライシスに陥った男は「どこで、間違ったんだ」と来し方を振り返る。そして男は誰にも言わないままに忘れてしまっていたピアニストになりたいという夢を、ピアノを弾く母の後ろ姿に抱いていた憧れを思い出すことになるだろう。それは幼少時に彼のもとを去ってしまった母への思慕とも重なり合うものかもしれない。舞台上のラジカセからはしばしば、どこか遠くから聞こえてくるようなくぐもったピアノの曲が流れていた。それは男に、そして舞台に取り憑いていたもうひとつの亡霊だ。ひとつの亡霊が去り、また別の亡霊が回帰したところでこの舞台は幕となる。

京都公演の様子[撮影:金サジ]

東京公演の様子[撮影:前澤秀登]

終始いやーな感じの漂うこの作品が(なんせほぼ全編が「有害な男性性」という亡霊に取り憑かれた「マッチョ」のひとり語りである)ある意味でエンターテイメントとして成立し「聞いていられる」ものになっていたのは、まずはいやーな感じをきっちり出しつつも飄々とチャーミングさを失わない桑折の功績である。若干の変化球ではあるものの、連続ソロパフォーマンス企画の第一弾として俳優・桑折の魅力をこのようなかたちで引き出してみせた 西田も見事。

1人の俳優のための5人の演出家による上演Ⅱ『Before boiling』のテーマは「父」だという。必ずしも一作目を受けての二作目ということではないのだろうが、それでも連続企画として一作目と見比べる楽しみが期待できるはずだ。演出を担うのは前田耕平。現代美術のフィールドで活躍する前田が初めて演出を手がける舞台作品はどのようなものになるのだろうか。

東京公演の様子[撮影:前澤秀登]

鑑賞日:2025/05/19(月)