アートやその周辺での活動を続けながら、自らの生活やキャリア、あるいは長いスパンで追求していきたい物事について考える。そうしたときに、飲食店や小売店などアートとはまた別の収益の軸を立て、ローカルなコミュニティに根ざし多面的な活動を模索する人を、特にコロナ禍を経て頻繁に目にするようになりました。生きる環境と分かちがたく存在する、それぞれに独自の歴史や風土を持つミニマルな地域に分け入って経済活動を行なっていくうえで、どのような困難や発見があるのでしょうか。
アーティストとして活動するかたわら、京都で飲食店「パルメラ」と併設のアートスペース「カラコイス」を始めた増本泰斗氏と、アートプロデューサーとしてさまざまな地域の文化事業や施設に関わる仕事などを行ないながら、宿泊もできるコワーキングスペース兼ZINEスタジオ「宇野港編集室」を地元・岡山で運営する橋本誠氏。それぞれの場を近年スタートさせ、試行錯誤を重ねるお二人に、地域とアートの接続において日々感じていることを伺います。
聞き手を務めるのは、地域芸術祭やまちづくりの領域で活動しながら著書『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社、2016)や『危機の時代を生き延びるアートプロジェクト』(千十一編集室、2021)など地域とアートに関わる出版物を手がける編集者の影山裕樹氏です。(artscape編集部)


※シリーズ「地域にアートは必要か?」過去記事一覧はこちら

企画・聞き手:影山裕樹(千十一編集室)
構成:芳賀真美

地域にアートは必要か?」第3回によせて|影山裕樹

地域にアートは必要か? この問いを立てるときに、アートシーンの内側と外部の地域社会という構図を見る必要があると思います。多くのアーティストやアート関係者はまだ社会や地域コミュニティへのプレゼンテーションよりも、インナーのアートコミュニティに理解してもらいたいという力学のほうが強く働いていると感じるときがあります。

難解で伝わらない──という意見があっても、しかしそれを何か重要で社会にとって意義深いものに見せるのが批評やメディアの役割であり、それらを含んだ全体としてアートシーンのエコシステムが成り立っている。

なので、個別の作品に経済合理性がないという批判は的外れであっても、シーン全体としては、プレゼンをし続けなければならないはずです。

美術館のオープニングレセプションなどでは、いまだに社交界のような空気感が漂う一方で、芸術祭規模のものになると、さすがに公共やビジネスセクターの人たちが集まるようになってきています。

アートコミュニティのインナーで固まっても、変化する社会は待ってくれない。だからそのエコシステムの外に意図的に出る人々が現われるし、僕たちはそういった外に出た人々を追いかけ、アートと地域の新たな組み合わせを考え続けなければいけないのではないでしょうか。

自分の居心地の悪いところにあえて進む

──最近は、これまでのアートコミュニティの枠組みの外で活動している地域のアーティストが増えてきています。そこには、アート業界と地域の対立が起きてしまっているという現状もあります。そのようなアーティストたちを今後、旧来のアートシステムのなかにどう位置づけていくのか。枠組みを拡大していかないとアート業界は社会から取り残され、業界自体が縮小していくんじゃないかという懸念があります。
今回は、アーティストの増本泰斗さんとアートプロデューサーの橋本誠さんにお話を伺いながら、地域で自ら経済圏を作りつつ活動していく、新たなアートのあり方を探っていきたいと思います。


左上から時計回りに、橋本誠氏、影山裕樹氏、増本泰斗氏

増本さんはアーティストとして活動しながら、京都で飲食店「パルメラ」を立ち上げています。これまでアーティストとしてどのようなキャリアを積んできたのかを振り返りつつ、パルメラを立ち上げるまでの経緯をお聞かせください。

増本泰斗(以下、増本)──僕は最初からアーティストになろうと思っていたわけではなく、もともとはサッカーに打ち込んでいました。でも、選手としての夢が絶たれてしまって。そんなときに書店で見かけたバスキアやグラフィティの本に衝撃を受けて、アートの世界に足を踏み入れたんです。そうしたなかで、自分の視野を広げたり、考え方が拡張されたりする作品と出会い、現代美術は面白いと興味が深まっていきました。

当初は多くの人と同じように、アーティストとして「有名になりたい」「大きい展覧会に出たい」と思う部分もありましたが、ポルトガルに1年3カ月レジデンスに行ったことで、考え方が大きく変わったんですね。レジデンス先は、アートシンクタンク。オリエンタリズムに関するディスカッションの授業がたくさんあり、ヨーロッパ各国から大学院の博士や、建築や法律の専門家、チューターとして有名なアーティストも来ていました。ところが、僕が理解した範囲では、特に刺激となる発言や独創的な視点を持っている人はいなかった。そのときに「アートに優劣はない」と気づいたんです。それが27歳くらいのとき。それまでにあった「有名なアーティストはすごい」という考えが一気になくなりました。いま振り返ると、そのタイミングで気づきを得られたのは、自分にとって良かったと思っています。

帰国後は、「ARTISTS’ GUILD(アーティスツ・ギルド)」のひとりとして東京都現代美術館で開催された「キセイノセイキ」展(2016)の企画に参加したりと、アーティストとしての活動を続けつつ、自分の会社を設立しました。ロームシアター京都のオフィシャルウェブサイトのリニューアルなど、文化事業の広報の仕事も請け負うようになって、それは現在も続いています。いま会社は四期目を迎えたのですが、だんだん先が見えてきたというか。収益の柱として別の柱も作ろうと思い、パルメラを始めることにしました。

──アートの仕事をしていたところに、飲食店を自分で立ち上げようと思ったきっかけを教えてください。アーティストのフィールドがホワイトキューブからまちへ広がるなかで、当然、表現の技法も変化していく。いわゆる“まちづくり”とほとんど見分けのつかない表現も増えてきました。そういう意味で、パルメラを運営するうえで、増本さんのこれまでのアーティストとしての活動が店の経営のあり方に影響を与えたところはありますか。

増本──パルメラはひとつの軸というより、いろんな角度から考えて立ち上げた場所です。先ほど話した収益の角度からいうと、収入の柱を増やそうとしたときに、妻が主宰していた「保存食lab」という自家菜園で収穫した旬の食材を使ったプロジェクトがすごく人気が出ていて。彼女のノウハウと僕の能力を掛け合わせて何ができるかと考えたときに、飲食店にたどり着きました。

もうひとつは、コロナ禍にファミリービジネスについてのYouTube動画を見て、自分も取り組んでみたいと興味を持ったのもきっかけで。子どもを育てていくには学費などいろいろなお金がかかりますが、ファミリービジネスにすれば、幸せに暮らせるんじゃないかと考えて、最初の投資として始めてみました。

あとは、一時的にでも自由を感じられる場所を作りたかった。ポルトガルに滞在していたときに通った大衆酒場の自由な雰囲気にも影響を受けています。人と人との関わりとかコミュニケーションの話は、アートの文脈でいえば、ソーシャリー・エンゲイジド・アートとかの話におそらくなるとは思うんですけど、(それらが実践されている範囲は)とても限定的で不十分な気がしています。自由を標榜しているのに、自由じゃないというか。自由や社会について本当に考えていくなら、何か足りないことがあるのではないかと。でも僕はそれを公的な場には求めずに、自分で作ろうと思ったんです。


ポルトガルの大衆酒場の空気感に着想を得た料理やデザートなどをお酒とともに提供する“世界の終わりの手前のオアシス”、パルメラ店内の様子[撮影:松井奈苗]

アートの分野に専念していれば、自身の発言力や影響力が高まるにつれて居心地のいい環境が築けるかもしれない。でも、あえて自分の居心地が悪い領域に手を出したり、事業をやったりしなければ、本当の意味での自由はわからないのではないかと思うんです。だからいままでの自分が通用しない飲食店にチャレンジしようと。

多種多様な“入り口”をつくる

──次に橋本さんに伺います。橋本さんは岡山で、泊まれるコワーキング・ZINEスタジオとして「宇野港編集室」を立ち上げて活動されていますが、そこにたどり着くまでの経緯はどのようなものだったのか、教えていただけますか。

橋本誠(以下、橋本)──僕も美術を勉強していたわけではなかったのですが、ちょうど大学時代は大地の芸術祭(2000-)や横浜トリエンナーレ(2001-)が開催され始めていた時期で。そこで現代美術と出会って、アートをキュレーションする仕事があると知ったんです。アーティスト的センスに優れている同級生たちが周囲にいるなかで、自分はアーティストではなく、アートを企画したり、伝えたりする仕事をしてみようと思いました。

そこから首都圏を拠点に行政や民間のアート事業にいろんな立場で関わらせてもらいました。組織に所属していたときもありますが、フリーランスとして依頼を受けたり、案件ごとにプロジェクトチームをつくって、それに応えていく仕事が多かったですね。コンサルタントのようなこともするし、フレームは決まっていて一部の企画や運営だけを手伝うこともあります。特に記録とか編集、アーカイブのような部分をまとめて担いつつ、主催者や企画者の手が行き届きづらいコミュニケーションツールを作る仕事が多いです。

2020年からの2年半は秋田に住んで「秋田市文化創造館」の立ち上げを担当した後、東京と岡山の二拠点生活を開始。2024年に岡山県玉野市に「宇野港編集室」を設立。アーティストが表現を通して何か気づきを作る立ち位置なら、自分は企画や編集的行為を通して、まだアートに出会えてない人たちの“入り口”を作ることをやっていきたいと考えています。

瀬戸内国際芸術祭でも多くの人が訪れる宇野港(岡山県玉野市)の周辺に2024年にオープンした「宇野港編集室」[撮影:後藤健]

──「宇野港編集室」では、どのような活動を行なっているのでしょうか。橋本さんが岡山に拠点を構えようと思ったきっかけも聞かせてください。

橋本──宇野港編集室には、コワーキングスペース・ゲストハウス・印刷スタジオという三つの機能があります。コワーキングスペースには、主に編集者やライター、デザイナーなどのクリエイターが集まって活動していて、そこにリソグラフ印刷機を入れたので、手軽なZINEのような手段で、メンバーが何かを発信することもできます。また、ゲストハウスでは一般の方にも宿泊してもらい、時には送迎もしながらいろんな場所を案内して、多様な文化的出会いを提供できたらいいなと思っています。

仕事をしていて感じるのが、世の中ではたくさんのアートプロジェクトが行なわれているのに、知られていないということですね。アート業界のなかでしか出回らない報告書があったり、研究書が出版されても高額だったりするので、一般の方にはなかなか手に取ってもらえないわけです。社会人向けにアートプロジェクトの講座なんかをやっていると、瀬戸内国際芸術祭(2010-)や六本木アートナイト(2009-)くらいしか知らない人も多い。そのため、書籍に限らず、多様なメディアやアプローチによる“入り口”が必要だと感じています。

例えば、旅行気分で瀬戸内国際芸術祭を訪れた人が「あの作品の作者の個展が、地元の美術館でやっているらしい。行ったことないけど行ってみよう」と行動が変わって、そこからアート好きになっていくパターンもあると思うんですよね。また、宇野港編集室のような拠点で地域の人との交流を通して、地域×アートの価値を再発見していく部分もあるかもしれません。自分自身も、訪れる人の視点を通して、新たな気づきを得たいという期待もあります。

コワーキングスペースや宿泊スペース、そしてリソグラフの印刷スタジオも備える[撮影:後藤健]

[撮影:橋本誠]

岡山は地元で、県の仕事にも携わっているのですが、よりいい形で活動していくためには、自分自身の拠点が必要だとも考えました。それは、以前秋田で働いた経験から「地域の仕事は外様だけではできない」と実感していたからです。自信が片足でも根を張り、地域の人たちとパートナーシップを組まないと、いい仕事ができないという感覚がある。「編集室」を作ることで、岡山で一緒に動ける人を増やせたらという考えもあります。

アーティストにとっての「人間らしさ」

──2009年の混浴温泉世界をきっかけに別府に移住し活動する勝正光さんや十和田で農作から酒造りを行なっている山本修路さんのように、地域に根を張りながら表現活動を継続しているアーティストは増えてきていますが、アーティストとしてのアイデンティティを保ちながら地域で認められていくには、地域コミュニティ独特のネットワークや規範を身につける必要があると思います。お二人は、ローカルな活動に軸足を置くほかのアーティストたちの活動を、どのように見ていますか。

増本──彼らはいわゆるアート業界内での評価とは別の視点で活動しているのではないかと思います。例えば、アートコミュニティのなかで評価されたとしても、そのアーティストが実際にすごいアーティストなのかというと、そうとも限らない。インナーでの評価基準に関係なく、アートにはいろんなかたちがあるからです。だからアーティストとして業界に評価されることが目的ではなく、「日常のなかでアート活動をやっていきたい」ということなのかなと僕は見ています。

橋本──「アーティストは仕事じゃなくて生き方だ」と言う人がいますが、僕も仕事と生活のバランスには、さまざまなかたちがあると思っています。だから、歴史に名を刻もうとすると、自己犠牲的に「アート活動が最重要」になっていくのかもしれないですが、最近ではそのあたりのバランスが、ある意味「人間らしい」、いいバランスになっているアーティストに会う機会が増えている気がします。

無数に存在するオルタナティブ

──お二人も地域で活動するにあたり、いわゆるアートコミュニティの「外」に出たと言える部分もあると思いますが、増本さんはパルメラの2階にアートスペース「カラコイス」も作っていますよね。飲食店を経営しながら、アートとの接続点も持ちつつ、どのように活動していこうと考えていますか。

増本──僕にとっては「外」に出たというよりも、ある物事を理解するときに、ひとつの領域だけでなく、別の領域も必要というスタンスを大切にしたいんです。この考えは、大学院で生態光学を研究していたところから来ています。人の視覚には「静的モデル」と「動的モデル」があって、この二つを同時に考えないと人の視覚を正確には理解できない。この考え方が根底にあるからこそ、僕は「外」も大事だし、アートも必要だと思ってるので、ほかの人から見てわかりやすいアートの場もちゃんと作ろうと思う。だからいまのような状態になっています。

店舗の2階に作ったカラコイスでは、基本的には展覧会などのアートの企画を行なっています。一応立て付けは個人の活動で、パルメラとはお財布も別です。僕が出入りしていたart & river bankblanClassCAMPがやってきたような、実験的なことやオルタナティブなことを、僕なりに継承すると言ったらおこがましいんですけど、やっていきたい。僕はこれまでも「オルタナティブとは何か」という問いに取り組んできましたが、オルタナティブというつねにどんどん変わっていく概念に、このスペースでは改めて真摯に向き合いたいですね。

パルメラの上階に併設されたアートスペース「カラコイス」内観[撮影:増本泰斗]

──歴史的な流れで美術館やギャラリーのシステムから自由になりたいというアーティストの欲望が反映されて、オルタナティブスペースが増えた時期がありますが、それとつながる部分はありますか。

増本──美術館やギャラリーに対するオルタナティブも存在する一方で、自分(のスタンス)はそれとはちょっと違います。僕が考えているオルタナティブは「見方によって、いろんなオルタナティブがある」ということです。 例えば、仮に「地域」がアートコミュニティの外にあるとするならば、アートコミュニティの外に出たら「地域」の方がメインストリームになります。その場合、今度は「地域」の活動に対するオルタナティブを考えたい。これからカラコイスではその両方の視点のイベントをやるつもりなので、受け取る側によっては「これは何なのか」と戸惑うこともあるかもしれません。

──宇野港編集室は、アートギャラリーとしての要素は強く表には出していませんよね。そういう意味では増本さんが言ったような、複数の側面をもつオルタナティブスペースに見える部分もあると思いますが、実際どのように考えていますか。

橋本──僕の場合は、自分で「編集室」を立ち上げておきながら、どういうスペースとして育っていくのか参与観察したいという感覚もあるんですよね。だから変に色をつけないように意識してますが、置いてある書籍や、フライヤー、集まってくる人はやはり、アート系に少し傾いているとは思います。デザイナーなどのクリエイターも多く出入りしているので、「結局、何の場所?」と問われたら、オルタナティブスペースというより、普通のコミュニティスペースと答える方がしっくりくるのかもしれません。

よりゲストハウスに力を入れて、収入を増やすこともできそうですが、場所で稼ぐのが目的ではなくて、どちらかというと来る人たちが副業とかスキルを得られる場所になるといいなという側面が大きい。これは、秋田から東京に戻ってから、上池袋の「くすのき荘」というシェアスペースに事務所を置いている経験が影響していると思います。そこにはアトリエもあって、アーティストも集まっているんですが、週末になると喫茶店もやっていて。近所の方々を含めてシェアコミュニティができています。一方で家主は「猫の面倒を見ておいて」とふらりと旅行に出かけたりもするんです。場はシェアメンバーみんなで維持するという前提があるんですよね。メンバー同士でラフな運営ミーティングをしながら、みんなの場所にしていく感覚もありました。宇野港編集室のやり方も同じで、自分も二拠点でフルコミットができない分、みんなの助けを借りつつ、要望やアイデアによって変化しながら、スペースが育っていけばいいと思っています。

 

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