会期:2025/05/25~2025/05/27
会場:タカ・イシイギャラリー京都[京都府]
公式サイト:https://www.instagram.com/p/DKBkcXIxePu/

タカ・イシイギャラリー京都における本展は、ケリス・ウィン・エヴァンスにとって京都では初の個展となった。会場は重要文化財・杉本家住宅の向かいに位置する、築約150年の京町家を改装したギャラリー空間である。かつてこの町家で営まれていた生活の風景が復元され、静謐な空間が形作られている。ここで作家は、時間や記憶がスペクトラムのように、位相として空間に立ち現われ変化しつづけるさまを、繊細な手つきで描いていた。

最初に感じるのは「空白」であること。そこにガラス作品を配する。反射性をもちながらも透明であるという、その繊細な特性……それは、存在の「音色(タンブル)」であり、時の流れの中で変容する空間の魂となり、ほとんど知覚できない次元を明らかにしていきます。ほとんど。 そして今、絵が現れます。ただし、それは壁にかけられた状態ではなく……
──ケリス・ウィン・エヴァンス「ある展覧会に向けての思索(京都矢田町への手紙)」

本展の表現は、言ってみればきわめて淡白である。鰻の寝床状の敷地の随所に、大小さまざまな板ガラスと、会場や他の建築を撮影した写真をもとに制作されたフォトグラビュール★1が並列して展示されている。だが実際の鑑賞体験では、作品の存在はほとんど知覚できないほどに薄く、繊細に仕掛けられている。ケリスが綴るテキストにあるように、空白が思索の起点になり、空間をかすかに変容させる要素──展示空間に差し込むわずかな光の移ろい、建物の呼吸、反射面に現われる微かな像──が、ガラスという媒介を通して浮かび上がることで、「視る」という行為そのものが再考を促される。視るとは何かを捉える行為ではなく、むしろ何かの喪失と共に並列しながら進む運動であるという認識は、モーリス・ブランショが探究した視覚的喚起の構造と呼応している。ケリスの表現は、視覚の根底にある不確かさを可視化するものであり、喪われた時間を空間に立ち上げるかのようなイメージの表象として読むことができる。


「ケリス・ウィン・エヴァンス」展会場風景[筆者撮影]

鑑賞を終えてギャラリーを後にし、しばらく町を歩いているあいだにこの展示におけるケリスの表象がようやく輪郭を帯びはじめた。空間そのものとガラスに反射していた時間が、記憶のなかで曖昧に溶けはじめたとき、視覚という営為の不確かさが露わになる。ケリスは、知覚の輪郭をあえてぼかすことで、宙づりのまま反復しつづけるイメージの感触を、この場所で得た経験として立ち上げていたのだろう★2

★1──フォトグラビュールは、20世紀初頭に欧米で使用された撒粉式グラビア印刷技法の一種。日本ではメジャーな技法ではないが、写真の階調を豊かに再現できることで知られ、アルフレッド・スティーグリッツやエドワード・スタイケンなどのピクトリアリズム期の写真家たちによって用いられたことで知られる。
★2──タカ・イシイギャラリー京都では、2023年冬にスターリング・ルビーによる個展「SPECTERS KYOTO」(2023年11月25日〜2024年1月20日)が開催されていた。本展は、日本や欧米に伝わる幽霊譚や民間信仰に着想を得て構成され、町家空間に「取り憑く」かのような立体や陶器作品が展示された。透明で反射するガラス板が繊細に配置されたケリスの展示とは対照的ながら、目に見えない何ものかの気配──幽霊や妖怪のような、不確かな存在の通過の痕跡──を捉える感覚は、両者に通底しているようである。

執筆日:2025/06/12(木)