アートやデザインについて語られる言葉といえば、批評家やライター、あるいはアーティストやデザイナー本人の言葉がまずは思い浮かぶ。その一方でSNS上では、世界各地の展覧会やイベントについて、あらゆる匿名の感想が流れては消えていく。しかしその中間には、アートやデザインの現場の只中にありながら、必ずしも広くすくい取られているとは言いがたい、さまざまなアートワーカーたちの声があるのではないだろうか。そうした企画意図のもと、金沢アートグミの上田陽子さんにお話を伺った。(artscape特別編集委員・星野太)


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星野太(以下、星野)──今回のインタビューはartscape30周年記念企画の一環として実施されるものです。自分が特別編集委員としていくつか企画を考えるなかで、アーティストやキュレーター、批評家といった方々にとどまらず、現場でアートのインフラを支えている方々にお話を伺いたいと考えました。とくに、特定の組織に属していなかったり、半分フリーランスのようなスタンスで仕事をされていたりする方々を思い浮かべました。

今回は認定NPO法人「金沢アートグミ」(以下、アートグミ)の理事である上田陽子さんにお話を伺います。アートグミは金沢の美術関係の組織のなかでも、人・情報・まちをつなぐことをモットーに活動されているところが特徴的です。上田さんとは、私が金沢で大学教員をしていた頃にお会いして以来のお付き合いですから、こうして再会できて嬉しく思います。主たる聞き手は星野が務めつつ、artscape編集部の太田さんにも適宜質問をしていただきます。お二人とも本日はよろしくお願いします。

上田陽子(以下、上田)──こちらこそよろしくお願いします。

太田知也(以下、太田)──artscape編集部の太田です。どうぞよろしくお願いします。


上田陽子氏[撮影:佐直麻里子]

金沢アートグミとは?

星野──まずは、上田さんにとって活動の主軸のひとつである「金沢アートグミ」について、簡単にご紹介いただけますか。

上田──アートグミはNPO法人(特定非営利活動法人)で、2009年に設立されました。建築家の村野藤吾氏が設計した北國銀行武蔵ヶ辻支店の3階を拠点としています。設立当初からこの場所を拠点にすることを想定して活動を開始し、2025年で16年目に入ります。「金沢の文化芸術を下支えする」ことをミッションとしています。


北國銀行武蔵ヶ辻支店周辺[提供:認定NPO法人金沢アートグミ]

設立の経緯を簡単にお話しすると、2004年に金沢21世紀美術館が開館したことが大きく関係しています。開館準備の段階から前館長の長谷川祐子氏、現館長の鷲田めるろ氏や黒沢伸氏など、専門性を持った方々が金沢に来られるなかで、地元のアーティストも盛り上がり、街に熱気が生まれていました。当時、私は高校生だったので肌感覚ではわかりませんでしたが、資料を見るとアートプロジェクトなどが活発化していたことがわかります。

ところが、金沢21世紀美術館が実際に開館すると世界の現代美術のトップシーンを紹介することが中心となりました。それを歓迎しつつ一方で、「自分たちの地域の美術は、自分たちでやるしかない」という気運が別の軸で高まっていきました。街中にアートの情報が集まり、地域のことを中心に考える場所が必要ではないか、という声が2006年頃から上がり始めたんですね。私は当時大学生で、その動きに参加したのがアートグミ発足に関わることになったきっかけです。

太田──当時は大学生だったとおっしゃっていましたが、学生起業のような気運があったのでしょうか?

上田──学生起業という前のめりな雰囲気とは少し違うかもしれません。出身が金沢なので、地域とのつながりがあったという感じです。早稲田大学の商学部を卒業したのが2008年でした。文化的な仕事に関われたら人生を面白くできるんじゃないか、と漠然と思ってたこともあり、アートグミでキャリアを開始したんですね。そのような経緯があり、設立当初から理事を務めることとなりました。

星野──なるほど。金沢21世紀美術館の開館をきっかけに、グローバルで最先端の動向が紹介される一方で、ともすると疎かになりがちな地元のことをやろうという気運が高まってアートグミが設立された。ひとつ連想したのは、茨城県の水戸芸術館が1990年に開館した後の状況とやや似ているのではないかということです。水戸芸術館も、開館直後から長谷川さんを中心に先端的な展覧会を数多く開催していましたが、その影響もあって、水戸にゆかりのあるアーティストが地元の美術を盛り上げようとする雰囲気があったと聞いています。現代美術館の誕生が、地元にそうした意識の高まりをもたらすというのは興味深い現象ですね。

また、理事長をされている真鍋淳朗氏(金沢美術工芸大学名誉教授)は、どのような経緯でアートグミに関わるようになったのでしょうか。

上田──当時の真鍋氏はイタリアでの制作活動を経て金沢美術工芸大学に赴任されたタイミングでした。学内で新進気鋭の若手作家という立ち位置であった真鍋氏が、街とアートの関わりをまとめる代表として適任だろう、という流れになったのだと思います。金沢市内で開催された「25人のインスタレーション展」(1998)にも、真鍋氏は若手作家として参加されていました。

もう少し細かく説明してみますね。もともと金沢市には、市民が分野ごとに市の施策について検討や研究をし、提言するという仕組みがありました。そのアート系の分科会で研究していたメンバーが、そのままアートグミの立ち上げメンバーに繋がっています。この分科会の仕事をオファーされて、真鍋氏が研究会の代表になったのだと記憶しています。そうした経緯があり、彼がNPO法人の理事長も務めることとなりました。

ヨーロッパの地方都市のような、金沢のアートシーン

星野──次に、上田さんから見た金沢、あるいは北陸三県のアートシーンについてお伺いします。私が上田さんを初めて知った頃の印象は、「金沢のアート系のイベントに行くと、どこにでもいらっしゃる方」というものでした。しかも、批評家やキュレーターのような特定のポジションではなく、アートグミの理事を務める一方で、「キタイッサカの土間」のようなアーティスト寄りの活動もされている。そうした俯瞰的な視点を持つ上田さんが、高校生の頃から現在に至るまで、金沢のアートをめぐる状況の変化をどのように見ていらっしゃるか、率直な印象をお聞かせください。

上田──キュレーターの長谷川新氏の紹介で、日本各地のオルタナティブスペースをマッピングする「dai tai art map」の北陸エリアを担当することになりました。先月、その関係で地方で活動する方々と集まる機会があったのですが、地方でアート活動を頑張っている方は、「その地域内に他のプレーヤーが多くない」孤独なケースが多いと感じました。

しかし、金沢には地場でアート活動を展開している人が比較的多いと思います。しかも、そうした人たちはアート界の前線に戦略的に食い込もうという野心を持っているというよりは、自分の今ある身体と向き合い、それぞれの哲学や問題意識に基づいて、自分にできることを問いながら活動を継続している人が多い印象です。秋になると市内ではイベントが多すぎて、集客も大変なことになるくらいさまざまなことが行なわれています。しかし、その状況は東京のアートシーンの方々にはあまり知られていないかもしれません。「dai tai art map」の活動等を通して、もう少し対外的に発信していく必要性を感じています。


「dai tai art map」ウェブサイトのスクリーンショット

星野──たしかに、金沢で活動しているクリエイターの方々は地に足がついているという印象を受けます。環境が過酷だからかもしれませんね。生活者としてのレベルが高いというか、衣食住をしっかり整えたうえで制作もしている、というふうに見えます。

だから、プレイヤーもイベントも多いけれど、外部に向かって輪を広げていくというよりは、友達の輪の延長で人が集まるようなあり方──ひとつのイメージとしては、ヨーロッパの地方都市のようなあり方ですよね。ある意味、内側で完結できてしまう。今後の課題として外に開いていく必要性はあるのだろうとは想像しつつも、今のあり方にも良い面はあるのかもしれません。

太田──作家さん自身は、上田さんたちが情報発信したり、外に開いていこうとしたりする際に、抵抗を感じるようなことはあるのでしょうか。「身内だけで流通すればいい」と考えている作家さんもいらっしゃるのだろうか、と気になりました。

上田──地元のアート関係者にだけ見られたい、と思っているわけでは決してありません。星野さんのような批評的な目線をお持ちの方が見に来てくださるのはとてもありがたいです。ただ、例えば東京のレビューを書いてくださるような方にどう接続するか、という点に難しさがあります。オール地元のアーティストで面白い企画をやっても、なかなか記述してもらいにくい。かといって、広報に特化したスキルや興味を持つ人がいるわけでもなく、とにかく自分たちの問題意識に基づいて実践をやり続ける、という状況です。そこにジレンマがあるように感じます。

「美術館やギャラリーに行くことだけが、アートに関わることではない」

上田──個人的なイメージで語ってみますと、アートグミのアーティスト支援活動は、農家さんにとっての「産地直売所」になぞらえることができると考えています。地域のアーティストたちが作る美術作品=「農作物」を扱うような役割です。例えば少し形がいびつかもしれないけれど素敵でいい野菜を、一緒に土を耕しながら育てたり売るのを手伝ったりする、という感覚です。

星野──その感覚は、アートグミで開催される「つまみぐみ講座」などからも伝わってきます。印象的だったのは「金沢アートグミ料理部」の主催で、奥祐司さんが「マンガ飯」(マンガに出てくる料理)を作って、参加者がそれを食べながら「マンガ飯」の解説を聞くという企画でした。通常、ギャラリースペースでは飲食はご法度ですが、アートグミではアートに直接関係ないようなことも含めて、人と人をつなぐハブ的な活動をされています。またアーティストのための確定申告講座を開催されていることも重要だと思います。基本的にはアートセンターでありながら、必ずしもアートオリエンテッドではない。


つまみぐみ講座 「アーティストのための確定申告講座」[提供:認定NPO法人金沢アートグミ]

上田──私が担当するイベントは、途中からそういう意識に変わっていきました。アーティストのアウトプットは、展覧会という形式だけじゃなくても良いのではないかと。アートに関わるというと、美術館やギャラリーに行くことばかりが想起されがちですが、もっと多様な関わり方があるはずです。作家の生活や暮らし方、街の観察の仕方といった話のなかにも芸術的な要素は感じられますし、そちらを育むほうが金沢の場合、結果的に面白いかもしれない。展覧会は共有しやすい形式ですが、アーティストが見ている世界を共有するにはその形式に限らない、その可能性を探りたいと思っています

運動会や音楽フェスに擬態する──新しいアートイベントの形式

星野──ここまでの話をより具体的にイメージするために、「原っぱ運動会」について掘り下げて伺いたいと思います。というのもこのイベントが、今回上田さんにお話を聞きたいと思った直接のきっかけでもあるからです。まず、どのようなイベントなのか、簡単にご紹介いただけますでしょうか。

上田──「原っぱ運動会」は、その名の通り運動会を模したアートイベントです。名称は建築家の青木淳氏の著書『原っぱと遊園地』から引用しています。アーティストの宮崎竜成さんやイジャクノ絨毯、りこぱん。などで運営チームを組んで企画をしていて、アーティストやパフォーマー、音楽家など、さまざまなジャンルの表現者に、それぞれの実践や問題意識はそのままに独自の「競技」を作ってもらい、来場者に自由に参加してもらうという形式です。

太田──アートと運動会という取り合わせは面白く、とてもユニークな試みですね。どのような思いがあって企画されたのでしょうか。

上田──この形式を思いついた経緯は二つあります。ひとつは、以前東京の狛江市でアーティストの今尾拓真さんやイジャクノ絨毯などの仲間たちと開催した「地べた音楽祭」というイベントの経験です。これは「音楽フェス」という体裁をとることで、普段アートに馴染みのない音楽好きの人々が偶然パフォーマンスなどに触れる機会を作れないか、という試みでした。それはそれで非常に良かったのですが、「フェス」はやはりフェス好きの人が行くもの、という側面もあります。もっと多くの人を巻き込み、偶然の出会いを生むためにはどうすればよいかと考えたとき、「運動会」というフォーマットが浮かびました。日本で教育を受けた人であれば体験したことがあるので、気軽に参加しやすいのではないか、と。アーティストの思考や表現を、従来の「玉入れリレー」のような少し不思議な競技に紛れ込ませて、うっかり参加しちゃうような状況を作れないかという実験です


地べた音楽祭2023[撮影:上田陽子]

太田──原っぱ運動会には星野さんも参加されたとお聞きしました。

上田──はい。大の野球ファンだという星野さんに「スポーツ解説者」として参加をお願いしました。これは、独自の競技をどのように観るべきか戸惑うかもしれない観客のために、美術や美学の視点から解説を加えることで、聞いているだけでも楽しめる状況を作り出したいという意図がありました。ですが、じっさいには2025年の「原っぱ運動会」は、天候不順に伴ってあえなく中止となってしまいました。

地域でアートの土壌を耕すこと──アートのインフラ整備

星野──私は雨天中止が決定した後の「予行演習」に参加しましたが、運動会というフォーマットには非常に可能性があると感じました。重要なのは、上田さんもおっしゃったように、アーティストが自分たちの表現を薄めることなく、高いクオリティを維持したまま参加型のアート作品になっている点です。表現の水準を保ちながら、いかに多様な人々を巻き込むか、という課題に対するひとつの答えだと思いました。もし天気に恵まれて実現していれば、金沢21世紀美術館前の芝生で飲食店なども参加し、アートに興味がない人もふらっと迷い込んでしまうような、開かれたイベントになっただろうと思います。

私にとっては、今年の「原っぱ運動会」が雨天中止になり、そこから予行演習を実施するまでの数日間の動きが印象的でした。開催数日前に中止が決定したのち、たしか前日に、記録映像を撮るために小規模でも実施するという方針が急遽伝えられました。すると、出演者の縁で公共の施設が場所を貸してくれたり、美大出身の若いアーティストが集まって短時間で設営を手伝ってくれたり、あの光景には本当に感動しました。緊急事態における人の集まり方や協力体制は、上田さんたちがこれまで作ってきた土壌があるからこそ可能になったものだと思います

上田──ありがとうございます。原っぱ運動会は、自分発信で人を巻き込んだ企画としては最大規模だったので、中止の判断は本当に悩みました。ですが、そこから予行演習というかたちで部分的に開催できたのは、運営チームや関わってくれた皆さんのご縁やネットワークのおかげです。来年こそは、一度きちんと成功したかたちを作りたいと思っています。

星野──今回、私がartscapeの30周年企画で「アートのインフラ」について考えたいと思ったのも、そのときの経験が大きかったです。地域でアートの土壌を耕すとはどういうことか、上田さんにその具体的な実践を見せてもらった気がします。

上田──いえ、まだまだできていないことのほうが多いです。クライアントの意向とアーティストのやりたいこととの間で、どう着地点を見つけるかを探る日々です。でも、根底にあるモチベーションは、作家が持つ問題意識や考え方をどうかたちにするか、一緒に見えない風景を見に行くような旅を共にすることにあります。生活と制作のグラデーション、人と人との関係性が繋がっていく瞬間に、一番の面白さを感じています。

制作と生活の連続性

星野──ここまで、アートグミの活動にフォーカスして上田さんの実践を伺ってきました。他方、個人としての上田さんは「キタイッサカの土間」というスペースの運営をされていますよね。こちらについても伺えますか。

上田──「キタイッサカの土間」は、アーティスト・ラン・スペースのような意気込みで運営しているわけでは全くありません。私や陶芸家などが住んでいる家でしかなく、その1階にちょっと広い土間がある、というだけです。住んでいるメンバーが各自の都合を調整しながら場が維持されているだけというか…。極端な例だとWi-Fiを使いにくるだけの人もいます(笑)。もしくはミーティングを行なったり色々な「会」の場所になったり、皆が公民館のように思い思いに使ってくれています。とくにコロナ禍で外で集まれなくなった時期に、家で集まる場所として非常に都合が良く、そこからいろいろな人が自然と使う場所になっていきました。

星野──さきほど金沢の地域性をめぐって話題になったような、地に足のついた生活者としての姿が、ここにも見られるということですね。

上田──アーティストもキュレーターも、皆ひとりの生活者です。作品として現われるものと、その人の生活は繋がっています。私はかたちになるまでの経緯を間近で見ているので、その面白さも含めて伝えられると思っています。アートを「わからない」と言う人たちにも、共感してもらえる部分があるのではないかと信じていますね。

例えば、町会の集まりでアーティストがいち個人としてどう振る舞うか。そうした小さなことから、その人の生き様や人となりが作品にも滲み出ると思っています。「あの人はよくわからないものを作っているけど、同じ町会の人間だから」という感じで受け入れてもらえる関係性は、すごく人間的で豊かだと感じます。美術館に来てもらうだけではなく、こうしたコミュニケーションを育んでいくことも、結果的にアートの土壌作りに繋がっていくのではないでしょうか。


ある日の土間[筆者提供]

「地域とアート」再考──金沢の場所性から

星野──インタビューを締めくくるにあたり、最後にやや大きな問題を投げかけてみたいと思います。私は「地域とアート」という問題設定に以前から違和感があるんですね。日本語の「地域」という言葉には、英語の「local(地元の)」「regional(都市部に対する地方の)」「site-specific(その場所に固有の)」といった複数の意味が混在しているように思います。だからこそ、地域とアートの問題を考えるさいには、抽象的な一般論ではなく、それぞれの街の具体的な事情や条件を踏まえる必要があるのではないでしょうか

金沢で言えば、2015年の北陸新幹線の開通は、関東からの人の出入りが劇的に変わる大きな出来事でした。それから、市内のお寺が会場になる「オテラート金澤」のようなイベントが可能になるのは、加賀藩時代にたくさんの寺院が作られたこの街だからでしょう。歴史的に工芸の街だったという土壌も、美術にたいする地元の人々の理解に繋がっているかもしれません。なので今日の話も、「地域」というより「町会」との関わり方のような、具体的なトピックで考えたいと思っていました。

上田──新幹線の開通は本当に大きかったです。観光客も増え、金沢21世紀美術館は集客面で大成功しました。一方で、金沢市の行政施策は工芸に力を入れる傾向があり、イメージとして「綺麗な金沢」を打ち出したいという意図を感じます。正直に言えば、行政が見せたいものの幅の狭さを感じることもあります。だからこそ、民間かつ小さな団体であるアートグミが、大規模な組織では拾いきれない、地元の作家を紹介する役割を担えると思っています。

例えば、アーティストの足立智美氏やさわひらき氏も金沢出身ですが、当初は地元での活動は多くありませんでした。美大での授業や美術館等でのイベントなど、金沢での繋がりが広がったのはアートグミで展覧会をしたことがいろいろなきっかけのひとつかな……と思っています。コロナ禍を機に金沢に戻ってきたアーティストから「いい額縁屋さんはない?」と聞かれて紹介するなど、そうした細かなネットワーク作りもできる限りの範囲ですが行なっています。

太田──理論的なところで紹介のお仕事もなさっている星野さんならではの問題意識と、それを受けて上田さんやアートグミの活動のあり方がくっきりと浮き彫りになったと思います。お二人とも今日はありがとうございました。

収録日:2025/08/19(火)