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日本各地には、その土地の風土と深く結びついた独自の生活文化や地場産業が息づいている。面白い場所には、必ずと言っていいほど、その魅力に引き寄せられたデザイナー、建築家、美術家たちの存在がある。なかでも香川県は、その最たる例と言えるだろう。今回執筆をお願いした中條亜希子さんは、高松に暮らしながら、「ローカルデザインアーキビスト」としてものづくりやデザインに関する歴史の調査を続けている。日々の活動は魅力的な写真とともにSNSで発信されており、フォロワーは中條さんのフィールドワークを追体験できる。デザインを切り口にした香川の歴史研究と魅力発信。その背後には、どんな思いや考えがあるのだろうか。(artscape特別編集委員・野見山桜)
なぜ香川には美しいものがたくさんあるのか
香川県庁東館ロビー[筆者撮影]
香川県高松市に住み始めて28年。穏やかな瀬戸内海や多島美の風景、海に沈む夕陽の美しさには心を奪われたが、当初は地方都市の四国に暮らす寂しさも感じていた。だが子どもが生まれ、ここが彼らの故郷となると思うと、土地の文化や暮らしを誇りに思ってほしいという気持ちが強まった。
古い商店や会社の応接室、うどん屋の飾り棚には、どこも似たような漆盆や器、嫁入り人形やうちわといった工芸品が並んでいた。高松城から南へ延びる商店街にはハイセンスなブティックや喫茶店が並び、香川県庁舎(丹下健三設計)周辺にはモダニズム建築がみえた。エントランスには必ずといってよいほど石彫のパブリックアートが置かれていた。商店街を抜けると大名庭園・栗林公園があり、園内の讃岐民芸館や商工奨励館には普遍的な美しさを感じるものがセレクトされ、古いものと新しいものが心地よく調和していた。こうした風景の背景に、県が「デザイン振興」を進めてきた歴史があるとは、当時の私は知る由もなかった。
学芸員として郷土史に出会う
高松での生活が落ち着き、そもそも家具に興味があった私はインテリアコーディネーター資格を取得。しかし、この資格で社会復帰をするには子育てに支障があり断念。そこで大学時代に取得していた資格を活かして、市の歴史資料館で時短の嘱託学芸員として働きはじめた。
そこには長寿手帳を手にしたお年寄りが代わる代わる訪れ、職員を相手に昔話をしては嬉しそうに帰っていった。多くの職員が敬遠しがちなその時間も、郷土史を知るための最良の入門編だと思い、楽しむことができた。「昔あの辺は砂糖しめ小屋があったんやで」「三越の南の細道は高松城の堀跡や」「商店街の家具はだいたい桜さんやわな」などと聞くと、その歴史がわかる郷土本や資料を調べ、実際に現地を訪ね歩くことも多くなった。
小さな資料館は花形の美術館に比べ予算も限られ、収蔵品をいかに魅力的に見せるかが課題だった。しかし専門外の分野を担当することを敬遠する学芸員も多く、展示は固定化しがちだった。そこで私は「専門にとらわれない学芸員」として、歴史に関心の薄い人にこそ足を運んでもらえる切り口で展示を考えるようになった。
また、収蔵品の大半は考古資料や近世から昭和前半のものに偏り、高度経済成長期以降の資料はほとんどなかった。100年後のことを考えると、昭和後半時代をどう記録するかが大きな課題ではないか、とも感じていた。
「讃岐民具連」と香川のデザイン力
仕事にも慣れてきたころ出会ったのが「讃岐民具連」という言葉だった。これは1960年代のデザイン運動とも言われ、讃岐の伝統的な民具をもとに、新しいデザインや職人の技術で新商品を開発するものだった。発起人は彫刻家の流政之と香川県知事。それに加え、『芸術新潮』の記者や米国出版社社長、画家や職人、郷土玩具作家のおばあさんまで、多様な人材が集まり活動していた。
しかし関連資料は少なく、詳しくアーカイブされているわけではなかった。私は関係者(特にものづくりの職人)の方に電話をかけ、直接会って話を聞いた。皆さん「こんな話するんは久しぶりや」と言いながらも時間がたつのも忘れて話をしてくださった。生き生きとしたエピソードの中には驚くような事実があり、調査にのめり込んでいったことを記憶している。
香川県庁舎建設をきっかけに剣持勇らによるデザイン講習会が開催されていたこと、丹下、剣持始め大江宏や長大作の名作家具が県施設に残っていること、「讃岐民具連」お披露目は栗林公園商工奨励館で行なったこと、民具連時代のデザイン家具が今もあちこちの喫茶店で使われていること、などなど。断片的な情報はすべてが関連していることを知り、点と点がつながることが面白かった。
これにより浮かび上がってきたキーパーソンは、県知事・金子正則氏であった。彼は戦後復興期に県政を担い、インフラの整備とともに心の豊かさを持つための文化政策も行なった人である。父がうちわ職人であったことから「美意識をもって暮らすこと」を大切にし、芸術やデザインこそ人の心を豊かにすると信じ、「政治とはデザインなり」と語った人物であった。猪熊弦一郎の助言を受け入れて丹下健三に県庁舎の設計を依頼し、流政之やイサム・ノグチ、ジョージ・ナカシマらを高松に呼び寄せたことから、「建築知事」「デザイン知事」と呼ばれた。また、デザインという言葉を広義にとらえ、「デザイン=物事をよりよく進めること」として、人材を配置し、プロジェクトを推進した事実も多数あり、香川のデザイン力が他県にも勝るものであることを確信した。
「心を豊かにするデザイン」展と「デザイン相関図」の試み
「心を豊かにするデザイン」展フライヤー[筆者提供]
2016年、私は「心を豊かにするデザイン」展を企画した。館蔵品ではなく現在も使われている家具や工芸品を借り集めて展示した前例のない試みであった。インテリアやビンテージに関心のある30~50代が新たに来館し、SNSを通じて口コミが広がったことで日に日に来館者が増えたことが驚きであった。
静かに過ごすのが当たり前の展示室では、来場者が自身の思い出や関わりを語り始め、それを元にキャプションを修正することもしばしばあった。学芸員が一方的に解説するのではなく、観客とともに展覧会をつくりあげる経験は、私にとって「現代史アーカイブ」の可能性を実感するものとなった。
その後もまだ掘り下げたいことはたくさん残っていた。「高松工芸学校」「デザイン指導所」「讃岐民芸館」「JETRO見本市」などのキーワードをもとに、金子正則をとりまく相関図を拡充してゆき、1960年代から遡って江戸末期までの香川のデザイン史をまとめることにした。3年後の2019年には、その調査の報告として「心を豊かにするデザインⅡ」展を開催する運びとなった。
ある高校で、私が作成した相関図を見せた授業を行なった時、生徒のひとりが「ここらへんにうちのおじいちゃんがいると思う」と指さしてくれた。地域史が個人の記憶とつながる瞬間であり、とても嬉しい場面であった。こうして「歴史とは日々の暮らしの延長であり、身の回りのデザインもまた大切な歴史資料になる」という手ごたえを感じることができた。
香川のデザイン相関図[筆者提供]
ローカルデザインを未来に
私は「デザイン展」を企画したころから、香川の文化や風土に根ざしたデザインを「ローカルデザイン」あるいは「讃岐モダン」と名づけ、自分のことをデザインアーキビストと称してインスタグラムで発信してきた。すると「うちにも同じ漆器がある」「懐かしい故郷を美しく伝えてくれて嬉しい」といった反応が寄せられ、同じ感覚を持つ人々とのつながりが広がっていった。
そして、3年前からは高松市屋島山上交流拠点施設「やしまーる」の館長を務めている。学芸員職を離れる時、今までのようにデザイン研究ができなくなるかに思えたが、公共施設の運営もまた「より良く、美しくする」という意味でのデザインにほかならないと気づいた。既成概念にとらわれずさまざまなイベントを開催し、地元のプロジェクトに関わっていくことで、ライフワークとしてのローカルデザインに価値を持たせることにも幅が広がったと感じている。60年前に金子知事が説いた「デザイン=人を豊かにする力」という理念が、今も実践の指針となっている。
屋島山上交流拠点施設「やしまーる」[筆者撮影]
そして、その歩みを継続できるのは外部の専門家ではなく、この土地に暮らす私たち自身である。ローカルデザインを未来へつなぐ営みは、机上の研究ではなく、日々の暮らしと地域の実践のなかでこそ育まれるものだと考えている。今日、瀬戸内国際芸術祭をきっかけに世界から多くの人々が訪れる「アート県」となったのも、金子知事時代に芽生えたものを県民が支え続けてきた土壌があったからにほかならない。
現代版デザインサーベイに向けて
最後に少し自分なりの方法論を振り返ってみたい。いま私たちが直面している問題は、昭和後半以降の地域デザインが十分に記録されず、気づかぬうちに消え去ろうとしている現実である。かつて金子知事が協力し、神代雄一郎が香川で取り組んだ女木島や引田でのデザインサーベイは、その地のデザイン(魅力)を構成しているものが何かを見出し、地域の美意識を未来に残そうとした試みだった。私はその精神を受け継ぎつつ、現代の方法で「記録から活用へ」と進めたいと考えている。
かつてのサーベイが実測や聞き書きであったように、現代版サーベイもまた、現場に足を運び、声を聞き、風景を読み解くことから始まる。ただし、今はSNSやAI、デジタルアーカイブ、参加型展示、公共施設の運営といった多様な手段がある。例えば、展示室で語られた来場者の思い出をキャプションに反映すること。SNSで寄せられた「うちにも同じ漆盆がある」という声を記録し、地域の共通感覚として編み直すこと。公共施設の運営において、日々の選択や空間づくりに「美意識をもつ」視点を取り入れること。私はそれらを活用しながら、地域に根差したデザインの記憶を掘り起こし、日々の暮らしに生かし、次世代へと手渡す営みを続けていこうと思う。行政や教育、観光、クリエイター、あらゆる活動と結びつけながら、地域のデザイン資源に新たな価値を見出していきたい。
五色台の彫刻、流政之《またきまい》[筆者撮影]
