あなたは今、どれくらいの頻度でAIツールを使っているだろうか。
総務省が2024年に公表した資料によると、日本企業の49.7%が利用を検討しており、個人では26.7%が利用経験があるというデータがある。
海外では中国92.8%、アメリカ84.8%、ドイツ76.4%の企業が活用方針であり、個人での利用率も中国は81.2%、アメリカが68.8%、ドイツは59.2%と高い★。日本は生成AI普及で中国・米国に比べ遅れがあることがわかるが、それでも周囲でAIツールを利用している人は増えている。今後ますますAIと人間との共存が進み、さまざまな問題が露呈していくのであろう。
実際、産業革命を凌ぐインパクトがあると予測した論文『AI 2027』のなかでも、2027年までに起こるであろう具体的な由々しき問題が指摘されている。すでに話題になっているものとしては、専門職や創造性を要する仕事までもが、AI によって取って代わられるリスクがある、という問題だ。
ジュ・ド・ポーム(Jeu de Paume)外観写真[©JeudePaume-PhotographeAntoineQuittet]
AIが私たちの生活にどんどん侵食していくなか、非常に示唆に富んだ企画展がパリのジュ・ド・ポームで開催されていた。「Le monde selon l’IA(AIを通して見る世界)」展である。
これはAIを単なる最新技術としてではなく、人類史や地球資源、労働、そして文化的想像力と結びつけて見せる初の試みであった。特に写真・映像・新しいメディアアートに特化したフランスの国立現代美術館であるジュ・ド・ポームという立場から、AIにまつわる問題提起を分類し、それぞれのテーマでメッセージ性の強いアート作品をチョイスしている点が、美術展示としても見所のあるものだったと言える。
ChatGPTを日常的に使いながらも、その背後にある仕組み、その成り立ちをほとんど知らない私にとって、これはまさに「現実を直視させられる」体験だった。 AI素人の目線でこの展覧会について考察していきたいと思う。
AIをかたちづくる物質
展示会場は3点の映像作品から始まる。きっとAIにプロンプトを読ませて、出力した作品だろうと予想がつく。現代美術展ではよく見る映像作品なので、こちらも安心して見られる。
ところが、チケットを見せたあとの第1展示室に現われるのは、石。宇宙から落ちてきた隕石のような物体。AIの展覧会なのに?
私が面食らった作品はジュリアン・シャリエールの《Metamorphism》。実は電子廃棄物を高温で溶かし固めた人工の岩だ。よくみると石の中に携帯電話のような板が挟まっている。内部にはマザーボードやケーブルが眠っているという。
私には思いもよらなかったが、仮想的で無形に思えるAIも、実際にはリチウムなど大量の鉱物資源を消費し、やがて廃棄物となる。その「物質」の存在を表現しており、AIが地球環境に依存する存在であることに気づかされるのである。
Metamorphism[筆者撮影]
同じ展示室にあるアグニェシュカ・クラントの《Nonorganic Life 2》は、容器の中で生物の細胞分裂が行なわれるかのように液体が動くように見えるインスタレーション。中身は水ガラス(ケイ酸ナトリウム)と銅やコバルトなどの金属塩。それが化学反応を起こし、鉱物や結晶といった無機物がまるで生き物同然に成長するかのように見え、AIが有機と無機をつなぐ奇妙な生命の一形態であるかのように想像させるものだ。無限に私たちの指示を出力してくれるAIが、有限の地球資源を必要としていることを、改めて感じさせる展示室であった。
Agnieszka Kurant Nonorganic Life 2[筆者撮影]
AIが依拠する時間
次の空間は歴史の時間軸を記した圧巻の展示室。ケイト・クロフォードとヴラダン・ヨレルの巨大な年表作品《Calculating Empires》が壁一面を覆い尽くす。1500年から現代まで、帝国主義、資源収奪、監視システム、軍事研究、はたまた医療、精神医学、金融といった事象が絡み合う図像を年表にしている。2025年現在、AIをはじめとする我々をとりまくテクノロジーで顕在化している事象はすべて、技術的にも科学的にも文化的にもその起源にさかのぼることができる。AIはゼロから突然生まれたのではなく、長い歴史の連鎖のなかで形づくられてきたことがわかり、その膨大な図像に鑑賞者たちは圧倒されながらも興味深く歴史をたどっていた。
Kate Crawford and Vladan Joler Calculating Empires[© JeudePaume-PhotographeAntoineQuittet]
さらにこの展覧会には、ときどきタイムカプセルと名付けられたガラスケースの展示が現われる。その中には、「突然変異のように現われたAI」というイメージを覆す、発展の歴史的証人としてのオブジェが置かれているのだ。この展示室では、機械仕掛けの人形、計算機やパンチカード、軍事用機材、コンピューターといった資料が整然と並んでいた。これらの発明の歴史をたどったからこそ、AIが誕生したことを実感できるのだ。
タイムカプセル展示[© JeudePaume-PhotographeAntoineQuittet]
AIが侵食する現実
私がこの展覧会でもっとも衝撃を受けた作品がヒト・シュタイエルの新作《Mechanical Kurds》。展示室にはピンクや黄色の立方体の枠が配置され、大きなスクリーンに映像が映る。
中東のキャンプに暮らす若者たち。彼らは迫害や武力闘争で学校で学ぶことができなくなり、キャンプ施設で暮らしている。彼らが従事しているのは「タグ付け」作業。物体としての車を「車・赤い車・トヨタの車」という言葉でタグ付けをする。人を「人・女性・歌を歌う人」などと一つひとつタグ付けしていく……。
座っている私たちの椅子にも、この立方体の枠が配置され、いままさに『タグ付け』されていることを体感させられる。
「タグ付け」は、AIの成立に必要不可欠な作業だ。私たちがプロンプトを書いて指示するとき、それを間違いなく遂行するためには、イメージと言葉の「タグ付け」作業が前提となっている。それをリアルな人間が労働として行ない、対価を得ている。この途方もない作業を行なう人々の存在と、自分の無知に衝撃を受けた。
そして、次の映像ではドローンの爆撃で友人を失った青年がクローズアップされる。彼らが「タグ付け」をした労働のおかげで、AIは全世界の人の作業を効率化するのに貢献している。しかし一方で、同じ技術がドローン爆撃に利用され、命を脅かす。AIを「支える人」と「犠牲になる人」が重なり合う矛盾に、胸が締め付けられた。
Hito Steyerl Mechanical Kurds[© JeudePaume-PhotographeAntoineQuittet]
次の展示室では大きな画面に、夥しい数の「机とコンピューター」の映像が映る。これはメタ・オフィスの《micro-travail》。これもさきほどの「タグ付け労働者」の話だ。何百人もの人々が、オンラインコンテンツを識別して分類したり、画像のオブジェクトにタグ付けしたり、暴力的コンテンツを削除するために働いているのだ。実は、AIの背後には、無数の見えない「ゴーストワーカー」が存在している。この反復作業の賃金は非常に低く、私たちのクリックひとつの裏に存在する人間の姿と経済的格差を浮かび上がらせる。
Meta Office micro-travail[筆者撮影]
各展示室に点在しているトレヴァー・パグレンにも触れておこう。最も興味を引いたのは《Even the Dead Are Not Safe(Eigenface de Beauvoir)》と名付けられた写真作品。顔認識アルゴリズム「Eigenface」から生成されたシモーヌ・ド・ボーヴォワールの「合成写真」だ。死者の顔までもがデータベースに取り込まれ、アルゴリズムのなかで再生産される。これは彼女が有名人だから生成できたわけではない。インターネットやソーシャルメディアから私たちの写真画像が大量に許可なく取得されている事実をご存じだろうか。そして先ほどの無名のクリックワーカーたちによってタグ付けされ、顔認識、感情認識の技術として使用されている。「死んでも安心できない」というタイトルがまさに、現代の一般人の私たちでさえも逃れられない「死んでもデータとして生き続ける」事実に一抹の不安を覚える。この倫理的問題をも内包する1枚の写真作品は忘れられない。
Trevor Paglen Even the Dead Are Not Safe (Eigenface de Beauvoir)[筆者撮影]
全体を通して、今まで気づかなかった問題提起が次々とされていく展示だったが、後半は生成AI技術が、古代の失われた彫像や建築物のありし日の姿を再現するという学術的・文化的な利点を提示するものや、新しい文学や美術の可能性を広げていくという、ポジティブな面が強調されていた。
そして最後は、楽しい気分にさせてくれるクリスチャン・マークレーの《The Organ》。これは、スクリーンに接続されたキーボードで、観客が鍵盤を弾くたびに、同じ周波数の複数のスナップ写真で構成される垂直の帯が投影されるもの。この作品の画像はSnapchatアプリ上で事前に音声認識アルゴリズムを用いて選択したもの。AIそのものではないが、膨大なデータが組み合わせられ、新たな意味を生む瞬間を体感できるインタラクティブで愉快な作品で幕を閉じる。
Christian MarclayThe Organ[© JeudePaume-PhotographeAntoineQuittet]
本展が映し出す歴史的文脈・社会問題・想像力
会場を一巡してみて、私が得た気づきを三つ挙げたい。第一に、AIは歴史の歩みのなかで必然的に生まれた技術であること。第二に、その背後には鉱物資源や人的労働といった「物理的なリアル」が存在すること。第三に、AIは過去の芸術とも連続しており、人間の想像力を拡張する媒体でもあること。
ChatGPTを便利に使う日常から、環境負荷、歴史的・政治的発展という背景、低賃金での労働、そして新しい芸術的表現までがつながっている。そうした視点を与えてくれるからこそ、この展覧会は単なる「AI展」ではなく、私たちの現在と未来を映す鏡のように思えた。
展示が単なる技術のショーケースではなく歴史的・社会的文脈を提示し、AIの楽観的でセンセーショナルなイメージを退け、終始AIの知られざる背景と問題点を明らかにしたことや、写真や映像からアルゴリズムやAIへと移行する美術史的連続性を再検証している点が新聞、アート雑誌から評価されている点も強調しておきたい。
AIへの熱狂や期待の背後に広がる複雑な現実と、AIの可能性を冷静に映し出す良質な展覧会を通して、AIを使うたびにあのクリックワーカーであるキャンプ施設の青年の顔が思い出された。
★──「日本の個人の生成AI利用率は27% 中国81%、米国69%と大きな差 情報通信白書」(ITmedia、2025年07月09日)https://www.itmedia.co.jp/aiplus/articles/2507/09/news085.html
Le monde selon l’IA
会場:Jeude Paume(1 place de la Concorde, Jardin des Tuileries, Paris 1er)
会期:2025年4月11日(土)~9月21日(日)
公式サイト:https://jeudepaume.org/evenement/exposition-le-monde-selon-ia/