会期:2025/10/04~2025/10/29
会場:PURPLE[京都府]
公式サイト:https://purple-purple.com/exhibition/shigeogocho/
京都・PURPLEで牛腸茂雄の写真展「見慣れた街の中で」が開催された。本展は1981年に自費出版された同名の写真集に収められた47点、すべてのプリントを展覧するものだった。
日本写真史において、牛腸茂雄という写真家はきわめて特異な存在である。幼少期に胸椎カリエスを患い、実験工房の大辻清司に師事し、70年代に台頭したコンポラ写真の代名詞のように扱われ、1983年に36歳の若さで亡くなる。2000年代には佐藤真によるドキュメンタリー『SELF AND OTHERS』(2001)が公開されたほか、国立近代美術館で回顧展が開かれている。身の回りの世界と実直に向き合う彼の写真への姿勢は、彼自身の人となりとしても受け止められ、根強い評価が続く写真家である。
そうした牛腸が残した3冊の写真集や連作シリーズにおいて、1978年4月から1980年10月にかけて横浜や新宿といった都心部を撮影した本作は、やや異色なものとして扱われている。写真集『日々』(1971)★1、『SELF AND OTHERS』(1977)で発表してきた白黒で静謐といった印象から離れて、カラーで、賑わう繁華街を撮影しているといった違いに加えて、本作にはいくつかの取り組みが窺える。

牛腸茂雄「見慣れた街の中で」展会場風景[筆者撮影]
会場では3面の壁に対して、16点、15点、16点の構成で写真が並んでいた。鮮やかな色調と、70年代末の街並みや人々の様子といった風俗的な景色にまず目を奪われる。本作の撮影には広告用、つまり室内撮影用のポジフィルムが使用されたという★2★3。屋外の変則的な光のなかで低感度フィルムを扱う技術的な対応を厭わないことで、鮮やかでコントラストの強い広告のトーンで雑多な街の様子を捉えている。
ハレのフィルムでケを撮るという方法論的な取り組みは、消費社会の状況を伝えるコンセプチュアルな実践ともいえる。カメラを向ければ写り込んでくる看板、カラフルな衣服をまとう若者たち、大道芸の観覧、ソフトクリームを食べる人々。70年代末から80年代初頭という高度経済成長の影響を体現する街の様子は、まさしく「広告化した風景」である。観光地化した都市を享受する様子を鮮やかな色調で撮るという選択は、日常的な暮らしと消費行動の重なりを強調してみせる。さらにこうした「風景の広告化」を視点の提示と捉えれば、松田政男や中平卓馬が示した風景論のコンテクストへの応答、そして牛腸たちを「牙のない若もの」と批判した先行世代への歩み寄りとも措定できるだろう★4。しかし結局のところ、牛腸の写真群には彼らしいというほかない被写体に対する距離の取り方が顕現し、一般的な社会論や風景論として対象化されることがない。
本作について牛腸が残した二つの文章を参照してみる。このシリーズが最初に公の場で紹介されたと思われる『日本カメラ』の1980年2月号には11点の写真とともに、日常には自己の内宇宙に匹敵する深淵さと「かげり」があること、その背後には「人間存在の不可解な影のよぎり」が潜むとする記述がある。さらにこの文章には牛腸自身のポートレイト──本作の被写体たちと同じ様式で撮られた、路上商店を背景にやや派手なコートを羽織る彼の姿──も付けられ、牛腸という撮影者の存在を強く示している。この写真はセルフでなく、牛腸ではない者が撮影しているように見えるが、正面を向く牛腸の全身像に対して画面の半分を隠すほどに大きく通行人と思われる男性の背面が写るなど、作為性も感じる特徴的な写真だ。文章の一部はのちに写真集にも掲載されたが、牛腸はすでに『SELF AND OTHERS』にも納めていた自分の姿を、写真集『見慣れた街の中で』には含めなかった。
その後、1981年10月に写真集を出版し、『美術手帖』の1982年2月号にふたたび文章を寄せている。彼はそこで写真を撮ることが心理療法に用いられていることを紹介し★5、技巧を凝らさない写真は誰にでも開かれていると同時に、そこで生まれてくる写真は撮影者と切り離すことができないことを強調している。これらのことからは、牛腸が写真を撮ることを撮影者と世界が対峙する方法として捉え、そこで生まれる写真や、社会や日常に「かげり」を見出す視点を心理療法さながら自らの内面を表わすものとして扱っていることが窺える。
さらに続く1982年4月、新宿・ミノルタフォトスペースで開かれた本作の展覧会では、写真集に掲載した写真を1枚も使わずに別の27枚を展示している。それらは現在、『見慣れた街の中で 新装復刻版』(2013)に見ることができるが、被写体との距離や視線の印象など、双児といえそうなほどに写真集版と近しい構成をしている。異なる点としては、展覧会版には牛腸に笑いかける外国籍の女性の写真と、「マルボロ」の販促袋を持つ少女の写真が含まれ、前述した観光や広告といった消費社会的なテーマがより強く感じられることだろう。以上を単に時系列に沿わせると、1980年初頭の自画像掲載から、1982年の展覧会におけるテーマ写真的な視点の提示へと、自己の強調が少しずつ薄れていっていったといえるかもしれない。そうした推測が早計だとしても、本作のあり方を写真集だけに規定せず、『日本カメラ』や『美術手帖』で示した方法、展覧会での取り組みというように、写真の見せ方を探求し続けていた彼の姿勢が見えてくる。
最後に本作の位置付けについて、牛腸が志向した二項対立的な捉え方とともに検討したい。『SELF AND OTHERS(自己と他者)』というタイトルが象徴するように、牛腸は対立項への関心を強く持っていた。最後の仕事となった『幼年の「時間」』のあとには、老年をテーマにした作品の構想を抱いていたともいう★6。そうした要素をふまえると鮮やかな色調で見知らぬ人々を捉えた本作は、前作の写真集にあたる『SELF AND OTHERS』の対になるものと考えられる。『SELF AND OTHERS』は、彼の生活圏の公園で遊ぶ子供も含めて牛腸の周囲の人々を撮影したものであり、ほとんどの写真において撮影者と被写体が正面で向き合い、ある程度の時間をともなって撮影されている。一方で『見慣れた街の中で』に映る人々は瞬間的にすれ違う、群衆としての他者である。そのどちらもが、主体となる撮影者の世界を構成する他者であり、カメラや写真という媒介を通して、世界とどのように向き合うか、その方法を探求し続けた牛腸の対峙者である。そのように見ていくと、自分と自分の立つ世界をカメラによって紡ごうとした表現の過程が窺える本作は、いかにも牛腸らしい写真群だといえるだろう。
鑑賞日:2025/10/19(日)
★1──関口正夫との共著。
★2、6──冨山由紀子「『きわ』を生きる──牛腸茂雄の作品と時代」『牛腸茂雄全集』(赤々舎、2022)
★3──本作にはコダクロームの25、64が使われたと『日本カメラ』(日本カメラ社、1980年2月号)に記載がある。
★4──多木浩二「牙のない若ものたち」『SD』(鹿島出版会、1971年6月号)
★5──心理療法に関連する作品として、牛腸は1972年から紙に挟んだインクの滲みを心理的射影とするインクブロットを制作している。それらはのちに画集『扉をあけると』(片口インクブロット研究所、1980)として出版されている。