会期:2025/11/04〜2025/11/29
会場:Gallery MAZEKOZE[長野県]
公式サイト:https://rikitribal.com/cafegallerymazekoze/2025/10/28/11月4日よりOutside in Between 馮馳・写真演出がはじまります。/

前編より)

Gallery MAZEKOZEでの展示風景。中央に吊り下げられているのが《堤防から見る僕の故郷》[筆者撮影]

左手にある壁に沿って歩きながら、右手、つまり部屋の中ほどに吊り下げられた《堤防から見る僕の故郷》の中身が気になってくる。黒く細長い箱には丸い穴がいくつも空いている。穴を覗き込むと、中のプリントが、嵌められたレンズで拡大される。《異郷の身振り》のように、《堤防から見る僕の故郷》もまた、フィルムの分だけ連なった、長いロールの写真を見る。タイトルの通り、風景は堤防から見下ろされ、見渡され、写されている。堤防の上は少し高いから、そのまま目線を前に向けると「僕の故郷」たる小さな集落よりも遠くの、造船所のクレーンに目線が届く。

馮が幼少期を過ごしたこの集落は、造船所の拡張計画に伴う住民の立ち退きがあり、いまはもうない。なくなってしまうと風景が思い出せなくなる、というのはよく言われている話だが、馮が記録しようと思ったのはいずれ思い出せなくなる風景、視覚を通して得られるそのイメージそれ自体なのだろうか? 私たちは、例えば故郷と思える土地のあるとき、その姿をどのように記憶しているだろうか。高台から一望する眺めか、水辺から振り返った様子か、あるいは街角の小さな何かか。地図のように、鳥瞰図のように、ある地域を眺めきることはほとんどの場合叶わない。日々の移動、停留、近づいたり、離れたり、変化する目線を伴って、故郷は記憶されている。堤防に沿って歩き続けると、遠目に同じものがずっと見えている。少しずつ角度は変わり、家の陰から別の家が現われたりもする。フィルムの限りにおいて、細切れに、故郷の風景は記録されたが、そのように土手を歩いたことを馮は写してもいるだろう。


《堤防から見る僕の故郷》を覗き込む。レンズとフィルムの組み合わせを誤り、穴を覗き込むような写り方になってしまったのだという[筆者撮影]

煙突の写真も、シンボリックな佇まいより、写真が記録しえない音こそが馮の関心だった。土手からでなくても見えたもの、どこからでも見えたという煙突からは、年に数回、ボーーーーという低音が響いたという。風の仕業か、気温や湿度か、なにかしらの条件が揃ったときに鳴り響く音があるのだという。

この秋もリベルテでいくつかのイベントがあり、張り子の仮面をかぶった「ヒョウさん(リベルテの優しい宇宙人スタッフ)」★3は、なにかを叫んだあとにいつも、ディジェリドゥ★4をボーーーーと吹き鳴らしていた。

煙突からこういう音がしてたんですよ、それを鳴らしているんです、と、「回想する部屋」の展示されている小部屋で馮は教えてくれた。パートナーの実家で遭遇した塩ビ管でできたディジェリドゥに馮がインスパイアされたことも書き記されていた。

《妻の故郷、娘の故郷》と「回想する部屋」は、馮が上田に移り住み、以前のようには移動しなくなったという点で、過去の作品と大きく異なる背景を持つ。しかし、距離の長短はあれど、ここでもまた異郷における身振りが馮の関心であることが窺い知れる。《妻の故郷、娘の故郷》は、2つのモニターに縦向きの映像が次々と現われる。ブラックアウトを挟まず、ただ継がれた映像は、一見すると静止画のようであるが、木々の動きや画面じたいのわずかな揺れから、撮影者である馮がスマートフォンを手持ちして撮影した映像だとわかる。映像の短さは、なにか外的要因によるものだろうか。その風景を捉えるために必要な時間というより、いられるだけの時間をなんとか目一杯かけた結果のように思える。そこには妻や娘が(実際に隣にいないとしても)おり、いつまでもは放浪し続けられない馮の身体がある。異なる時流に巻き込まれている現在の馮には、カメラを何台も持ち運んでいたときとは異なる忙しなさがある。

「回想する部屋」に日々増えていく言葉は、一日の出来事を綴ったものもあれば、わずかな時間の描写のこともある。馮が何巻ものフィルムを用いて写そうとしていたものはこうした質感だったのかもしれない。

今日、僕は一人で神奈川から上田の家に帰る。11月の展示の準備のため、妻と娘は一週間ほど里帰りする。
「バイバイしてね!」と妻は娘に言う。
娘は僕にバイバイする。義理の父にもバイバイ、義理の母にもバイバイ、抱っこしている母以外のすべての人にバイバイする。
そうだ! 旅に出るのは君たちだ!
行ってらっしゃい!
(『バイバイする』—「回想する部屋」より)

バイバイと同じ身振りで、カメラに被写体の目線が向くように手を振ることがある。撮るために、声をかけることがある。被写体は撮影者より先にそこに存在するが、声をかけるのはまず撮影者からだ。話しかけられることではなく、話しかけることでしかそこには居られないのかもしれない。カメラを携えた人の身振りから、そう思う。

バイバイでひっくり返る関係性。

写真のある地点/時点を記録するという性質が、故郷はもうない、という事実を突きつける。だが、もうないということを、世界に置き去りにされたと思うか、見送ったと思うべきか。そのどちらでもあったということになるよう、あのときそこに身体があったことを、馮は確かなものとして覚えていようとする。

バイバイで、何度でもひっくり返り続ける関係性。


★3──2025年10月25日開催のトークイベント「つくる言葉」に登壇した馮の提出した肩書き。リベルテのメンバーのひとりが馮を宇宙人だと言って以来、馮は自身を宇宙人として自己紹介することがある。
★4──元々はオーストラリア大陸の先住民アボリジニの民族楽器。内部が空洞になったユーカリの木を原材料とし、唇からの振動を内部で共鳴させて音を鳴らす。リベルテでは張り子で制作された。


鑑賞日:2025/11/10(月)