
翻訳:中井悠
発行所:水声社
発行日:2025/08/30
公式サイト:http://www.suiseisha.net/blog/?p=21383
「フォレンジック・アーキテクチャー」とは、国家権力が引き起こす暴力事件を解析・追求し、それを法律的・政治的フォーラムで提示=上演する、2010年に組織された調査機関の名称である。フォレンジックという言葉はもともと「法医学的な」という意味を持ち、犯罪捜査における証拠収集や分析手法を指す。この手法は1980年代から存在し、建築界においては建物の不具合や誤りを診断する専門的職業として認知されていた。
フォレンジック・アーキテクチャーを主宰するエヤル・ヴァイツマンはロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ教授を務める人物であり、その他のメンバーは建築家、アーティスト、映像作家、ジャーナリスト、弁護士、科学者らで構成される。その活動は美術分野での発表も含まれているが、その枠にとどまらない実質的な政治介入も行なっているのが特徴だ。日本では2017年に第9回恵比寿映像祭で紹介された他、ヴァイツマンとマシュー・フラーの共著として『調査的感性術 真実の政治における紛争とコモンズ』(水声社、2024)が邦訳されている。そんな同書と比べて、フォレンジック・アーキテクチャーのより実践的な側面の紹介に紙面を割いているのが、今回取り上げる『フォレンジック・アーキテクチャー 認知可能性の敷居における暴力』である。
著者のヴァイツマンは序文において、フォレンジック・アーキテクチャーという概念をグループ名と同時に方法論としても捉えており、それは方法論上では「探偵小説というジャンルの慣習に従っているところがある」と記す。しかし同書で取り上げられているのはフィクションではなく、ホロコーストなどの大量虐殺、イスラエルとパレスチナの紛争といった現実的な危機に関するものだ。
では具体的に、フォレンジック・アーキテクチャーとはどのようなアプローチなのか。そのエッセンスは導入部においてコンパクトにまとめられている。ここで事例として紹介されるのは2000年に作家のデイヴィッド・アーヴィングが、歴史学者のデボラ・リップシュタットと彼女の本を出版したペンギンブックスを訴えた裁判である。ここでアーヴィングは、リップシュタットが著書のなかで自らをホロコースト否認論者であり、歴史の改竄者と呼んでいることに名誉を毀損されていると主張した。そしてそのことをめぐって結果的に、裁判ではホロコーストの真実性が争点化されることとなった。
争われたのはアウシュビッツの一室がガス室として使われていたかどうかであり、より直接的には、毒性のシアン化合物を投下するための「穴」がその部屋の天井に設けられていたかどうか、という点であった。アーヴィングによって示された論理の大筋はこうだ。つまり、もしそこに穴がなかったならば、大量虐殺もなかったことになり、もし大量虐殺がなかったならば、歴史を改竄したとの謗りを受けるいわれもない、と。そのうえでアーヴィングは、1944年に撮影された強制収容所の航空写真に写った当該一室の煙突にある僅かな干渉模様を「筆跡」とし、それが修正されたネガであると主張した。しかし、その干渉模様はフィルムの乳化中の粒子によるものであることが裁判所に提出された専門家の分析によってわかり、相殺されることになった。
ここにおいて、イメージとメディウムは重なり合い〈検知不可能性の敷居〉が生じる。それは「識別できるかできないかのあいだを行き来」し、「それ自体が物質的なものでもあり、表象と現前の両方であることを思い出させる」のだ★1。リップシュタットとペンギンブックスは専門家も含むチームを組織し、建築図面や手紙、写真といった資料からなる「複雑で圧倒的に説得力のある証拠のネットワークを構築」することによって、アーヴィングの訴えを退けることとなった。フォレンジック・アーキテクチャーとは、このような一連の手続きのことを指している。
同書ではこの導入部以降、ここ10年余りでまた激しい対立の時代を迎えているイスラエル/パレスチナの状況を、ミクロとマクロ双方の視点から徹底的に追いながらも、ヴァイツマンたちが世界各国で行なったプロジェクトが断章的に紹介されていく。
かいつまんで紹介するならば、地中探査レーダーを用いた地下の残留物の調査、シリアの秘密収容所を3DCGによってモデリングし、具体的な視覚イメージを与えることによって想起される被害者たちの記憶、長期間にわたる砂漠地帯の植生変化の図像的指標化、土地の契約書のリサーチから導き出される所有をめぐる因果関係など、さまざまな手法でフォレンジック・アーキテクチャーが実行されていることが知れるだろう。
(後編へ)
★1──エヤル・ヴァイツマン『フォレンジック・アーキテクチャー 検知可能性の敷居における暴力』中井悠訳、水声社、2025、18頁
執筆日:2025/12/01(月)