会期:2025/11/01~2025/11/03

会場:東京芸術劇場 アトリエウエスト[東京都]
作:花形槙
公式サイト:https://autumnmeteorite.jp/ja/2025/program/ergonomicembryo

「技術を〈使う〉のではなく、技術に〈なる〉」。『エルゴノミクス胚・プロトセル』(作:花形槙)の当日パンフレットにはそんなフレーズが掲げられていた。タイトルの「エルゴノミクス」は「機器や環境を人間の身体にとって最適な形へデザインしていくという設計思想」を意味する言葉。多少なりとも身近なところでは椅子やマウスにその設計思想が適用され、エルゴノミクスチェアやエルゴノミクスマウスといった道具が生み出されている。こうして道具が人間に適応する一方で、人間もまた道具に適応しようとする。例えば筋肉トレーニングによる身体の変化がわかりやすい例だろう。あるいはいわゆる「スマホ首」は、人間が技術に適応した結果として肉体に生じた歪みとみることができる。花形はSNSやギグワーカーの例を挙げながら、資本主義のシステムに組み込まれた人間が技術や道具に存在の様態を規定されることで「人間」として存在し続けることが難しくなっている現実を指摘し、一方で潜在する別の現実への可能性を境界で揺らぎ続ける身体に見出そうとする。「公開実験」として上演された『エルゴノミクス胚・プロトセル』は揺らぎ続ける身体を実現するためのひとつの試みだと言えるだろう。その題材に選ばれたのは椅子である。

上演=実験は大まかに四部構成となっている。会場の東京芸術劇場アトリエウエストに入ると、さまざまな椅子が置かれたその空間にはすでに何事かを語る音声が流れている。それはどうやら出演者による稽古場日誌のようなものらしく、稽古では主に「椅子になる」ことが試みられていたようだ。観客はあらかじめ「椅子になる」出演者がその体験を通して感じたことの一部を共有した状態で上演に臨むことになる。

開演時間になると意外なことにその音声は客席で椅子に座っている観客に向けた指示へと変わっていく。音声は観客に座っている椅子と自身の身体との関係に意識を向けるよう促し、その意識を向ける先は少しずつ拡張されていく。臀部が乗る座面。椅子の脚部が乗る床面。床面が乗る劇場の構造。劇場の構造全体が乗る建築物としての基部。そしてそれが乗る地層。下へ下へと向けられた意識は一方で上方の大気の層にも向けられることになるだろう。意識の変化は身体の姿勢や動きの微細な変化を招き、その変化が椅子と身体の関係を変化させ、そのことが再び意識の変化をもたらす。

そうして自分の身体と椅子との関係に意識を集中していると、気づけば客席の数人がその姿勢を大きく崩しはじめている。やがてその数人がそのまま椅子から転げ落ちるあたりで、どうやら彼女ら彼らは出演者らしいと観客の多くが認識することになるだろう。観客への指示が止まると出演者のひとり=吉田萌がおもむろに服を脱ぎ、下着姿で椅子の形を真似はじめる。

人は椅子になれるのか。いや、そもそも椅子に座る人間のとる形は椅子のそれに近しい。特に背もたれのある椅子においてそれは顕著だ。椅子に座った人間はすでにして幾分かは椅子に「なって」いるのである。だが、吉田はそこからさらに「椅子になる」ことを押し進めさまざまに試みる。同時に、ほかの出演者=花形が吉田の身体に座ることで、吉田の身体は外部からも椅子として見出されることになるだろう。

この実験において、外部から人を椅子として見出す視点はもうひとつ用意されている。ビデオカメラが捉えた映像を生成AIでリアルタイムで処理し、壁面(とヘッドマウントディスプレイ)へと映し出す装置がそれだ。レンズが捉えた人体の姿は、それが椅子(に近いもの?)であると生成AIに判定されると椅子のイメージへと変換され、映像としてアウトプットされる。判定はちょっとしたことで揺らぎ、アウトプットされる椅子のイメージも安定したものではない。出演者たちの身体は映像のなかで、椅子と人体との境界線上をうねうねと蠢くことになるだろう。

最後のパートでは下着姿になった花形と3人目の出演者である萩原富士夫の二人がヘッドマウントディスプレイを装着し、そこに映し出される映像をフィードバックとして受け取りながら「椅子になる」ことを試みる。各々の試みはときおり偶発的に相手の試みを取り込み、やがて二人の身体は映像のなかでひとつの椅子へと溶け合っていくだろう。当然このとき、現実における二人の身体もまた、奇怪というほかない姿勢をとり、触れ合うほどの距離で接している。溶け合う椅子のエロスは現実の身体においてもほとんどクィアといってよい様相を呈していたのだった。遡ればこの感覚は、花形が吉田に座る場面からすでに用意されていたものだ。人間椅子という構図が示すSM的なエロスと、それを単なる肉の接触として見せるドライさの奇妙な同居。あるいは椅子と化した吉田に対する放置プレイも似た感覚を喚起する。今回の上演=実験は出演者が毎回異なっていたため、あるいは観客が受け取った印象は回ごとにかなり違ったものであったかもしれない。だがいずれにせよ、観客はこの上演=実験を通して人に椅子を見出すまなざしを、潜在する別の現実へのまなざしをインストールされてしまったのだ。

今回の上演はチェルフィッチュの岡田利規をアーティスティック・ディレクターに迎え今年からはじまった舞台芸術祭「秋の隕石」の一環として行なわれたもの。今年度は2026年度以降に予定している本公演に向けた公開実験としての上演だったとのことで、ここからの展開を楽しみに待ちたい。

鑑賞日:2025/11/01(土)