会期:2026/01/12~2026/01/20
会場:Art Center NEW[神奈川県]
公式サイト:https://artcenter-new.jp/vernacular/

メディアアートの先駆者であり、昨年1月に他界した山本圭吾の個展「山本圭吾 回顧展 バナキュラー/ユビキタス」が横浜・Art Center NEWで開催された。本展は1960年代末からおよそ50年にわたる山本の活動を包括的に紹介するもので、その作家人生を見通せる展示構成となっていた。

山本圭吾《Hand & Water》(1972)[筆者撮影]

福井県出身の山本は高校時代から北美文化協会に参加し、油画や彫刻を手がけながら1968年頃にはビデオアートキネティックアートランドアートと多様な表現活動に取り組み始める。本展でも上映されていた、1969年から72年にかけて行なわれた《火と煙のイベント》は日本におけるランドアートとパフォーマンスを組み合わせた初期の例であり★1、記録としても貴重である。そして本作における土地という対象への距離感覚は、やがて衛星通信によって諸外国にまで広がっていく山本の作家性の中核をなすものだろう。

たとえば本展の始まりにプロジェクションされている《行為による確認No.4》(1971)は木と自分の胴体にロープを巻きつけ、中間のロープを張った状態で木の周囲を周り、互いの距離が近づいたり遠ざかったりする状況を記録している。本作のタイトルが示すように、1970年代は自明に思われることや根源的な問いを辿り直すような取り組みが多くの作家によって実践された時期である。その工程を記録するために写真や映像が用いられ、やがてそれぞれの探求に即した素材や領域へと個々の関心が展開していくなかで、山本は「距離」の追求にテクノロジーの援用を続けていった。

「山本圭吾 回顧展 バナキュラー/ユビキタス」会場風景[筆者撮影]

1975年、山本は山口勝弘とともに、中原祐介をコミッショナーとするサンパウロビエンナーレに参加する。このとき出品した《ビデオゲーム・五目並べ》は異なる場所にいる2名のプレイヤーがそれぞれの碁盤に自分の石を置き、現実にはひとつの盤に一色の石しか置かれていないのに、それらがモニターにおいて邂逅するという作品である。本作は通信の工夫によって距離の消滅を図ったともいえるが、遠く離れた場所でも「五目並べ」を可能にするという点で距離を創出している。

つづく代表作である1975年から80年頃まで続けられた「手」「足」「呼吸」のシリーズは、モニターに映った身体の動きを模倣する様子を記録した映像作品で、モニターを介した際に起こる時間や感覚のズレを主題化している。本作は距離への関心を時間に向けたものだといえるだろう。

そして会場の中心に備えられた《障子楽器》(1980年代)は、本展では会場完結型として出品されたが、もともとは遠く離れた二つの場所をつなぐものとして設計されている。本作は映像をプロジェクションした障子の桟に触れると音が鳴るというもので、スウェーデンとの共同イベントでは、互いの現場の映像をそれぞれの空間に置いた障子に映し出し、そこに音を与えることで遠くの場所にいながら映像と音による交流表現を行なうことを可能にしている。

山本圭吾《障子楽器》[筆者撮影](1980年代)

会場にはほかに、参考作品としてナム・ジュン・パイクの《ZEN》(1986)や瀧健太郎によるドキュメンタリー『キカイデミルコト:日本のビデオアートの先駆者たち』(2013)の山本パートが上映されていたほか、山本が関わったフェスティバルの図録などが自由閲覧できる状態で置かれていた。

山本は「日独ヴィデオ・アート展」や「ふくい国際青年メディアアートフェスティバル」など、テクノロジーを用いた美術作品の展覧会を主導し、その発展に貢献してきた。教育者としても活躍した山本の生徒たちを中心とする「山本圭吾メディア芸術アーカイブプロジェクトK-bit」の活動など、日本の映像美術、メディアアートを牽引してきた山本の研究がさらに押し広げられていくことが期待される。

「山本圭吾 回顧展 バナキュラー/ユビキタス」会場風景[筆者撮影]

 

★1──近しい例として靉嘔らによる「バス観光ハプニング」(1966)が浮かぶが、屋外というだけでなく自然との関わりを重視し、さらに集団的なイベントでなく個人で取り組んだ実践として稀有な例である。

鑑賞日:2026/01/16(金)