会期:2025/10/11〜2025/12/21
会場:藤沢市アートスペース[神奈川県]
公式サイト:https://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/bunka/FAS/exhibition/ex76/index.html

前編より)

このように『包丁人味平』は、大衆社会論的な読解が可能なのであるが、風間の作品についてはどうだろうか。対比として取り上げたいのは、《人外交差点》(2013)だ。同作は東日本大震災発生を契機に表面化した流言や、その延長線上に生まれる猜疑心やインターネットを通じた相互監視を主題とし、渋谷のスクランブル交差点を描いた作品である。画面内には戦時中の隣組や、Twitter(現X)のアイコンだった小鳥が炎上する様子が描かれ、サッカー日本代表のロゴに描かれる八咫烏は国旗を掲げ、嬉々として交差点を渡るさまも見て取れる。

風間サチコ《人外交差点》(2013)[提供:藤沢市アートスペース/写真:熊野淳司]

ここにはかくも騒々しい多様な姿の群衆が描かれているが、現代人も登場する。同作において現代人は、スマホに気を取られているばかりで、周囲の超現実的な状況に気づいてもいない。パーソナライズされた携帯端末に注意を奪われ、あろうことか対向する歩行者とぶつかっている様子も描かれている。ここではひとつの方向に向かって扇動されるような、『包丁人味平』の「カレー戦争編」に描かれていた大衆が、異なる表象のされ方をしていることが明らかだ。

1980年代以降、かつての大衆社会論は影響力を失っていった。当時語られていたのは「多様なメディアの出現も相まって、画一的な大衆が崩壊しつつある」★4という言説であり、それは「少衆/分衆」論として消費社会論、情報化社会論として語り直されることになった。しかしその実態は、上野千鶴子が同時代に指摘したように、「モデル不在の大衆社会の中で、人々は、『ちがいのわかる』幻想のコミュニタスという見えない共同体にコミットしている」★5のであり、その意味ではそれ以前の大衆社会と地続きである。ゆえに《人外交差点》で描かれる歩きスマホの現代人たちは、そうした80年代以降のクラスター化した大衆の現代的なカリカチュアだと言えるだろう。

ビッグ錠と風間サチコ。一見関わり合いがないように感じられる両者の対比によって見えてきたのは、そんな戦後日本社会における大衆像の変化だった。


[提供:藤沢市アートスペース/写真:熊野淳司]


★4──津田正太郎「状態としての大衆、イメージとしての大衆」(津田正太郎ほか編『ソーシャルメディア時代の「大衆社会」論』ミネルヴァ書房、2024)p.86
★5──上野千鶴子『増補〈私〉探しゲーム』(筑摩書房、1992)p.81

参考文献
・ビッグ錠『包丁人味平』[集英社文庫(コミック版)全12巻](原作:牛次郎、集英社、1995-96)
・武田晴人『高度成長 シリーズ日本近現代史⑧』(岩波書店、2008)
・小林絵美子編『熱気の向こうの白と黒 ビッグ錠と風間サチコ異食なふたり』(藤沢市アートスペース、2025)

鑑賞日:2025/12/16(火)