会期:2026/02/04〜2026/02/06
会場:水性[東京都]
演出:和田ながら
出演:桑折現
公式サイト:https://1actor5director.studio.site/wada
俳優が舞台に立つとき、何を拠り所としてそこに立っているのか。観客が俳優を前にするとき、そこに見ているものは何か。俳優・桑折現によるシリーズ「1人の俳優のための5人の演出家による上演」の4作品目として上演された『実況カラオケ副音声』(演出:和田ながら)は、「俳優の身一つで上演できる作品を」という桑折から演出家へのオーダーを真っ直ぐに引き受けつつ、同時に俳優が舞台に立つということ、そして観客がそれを見るということが一体どういうことなのかを問い直すような試みだった。
[撮影:永原圭介]
構造はシンプルだ。まずは桑折が和田の書いたテキストを上演する。「メリークリスマス」という言葉からはじまるこのテクストは「いま、2025年12月25日午前3時1分」「現在、京都市南区は9度」と足場を定めるものの、すぐさま「富山県小矢部市」「長野県松本市」「東京都中野区」それぞれの気温を告げ、さらに「ことしの春に旅したベルギーのブリュッセル」へと連想を飛ばしていく。例えば「2025年12月25日午前3時1分」という言葉によって私がこの作品の上演を観た「2026年2月4日午後7時」とのずれが改めて示されるように(一方でそれは「東京都中野区」という場所によって接続されてもいる)、あるいはこのテキストが実は桑折自身ではなく演出家の和田の体験らしきものを語るものだということがやがて明らかになるように、このテキスト自体に演劇的な企みがないわけではない。だが、最終的にクリスマスの京都のカラオケボックスへと戻ってくる語りの内容は概して他愛ないと言ってよく、そこに上演の主眼がないことは明らかだろう。
[撮影:永原圭介]
さて、30分弱のパフォーマンスが終わり、袖へと下がった桑折はしかしすぐさま再び登場し、なんと「2周目」を上演しはじめる。「1周目」と違うのは、その2周目が先ほどのパフォーマンスを録音した音声に合わせて行なわれる点だ。まさにタイトルにある通りの「カラオケ」である。だが、桑折の口から発せられるのは1周目と同じテキストではない。2周目の桑折は、身体は1周目をなぞりながら、口では1周目のパフォーマンスにセルフコメンタリーを付けていくのだ。
2周目の冒頭で桑折は、前説の身体をなぞりながらそのような2周目の趣旨を説明していく。それ自体が2周目の導入=前説になっているという趣向である。振り返れば、そもそもの最初から「携帯電話の電源をお切りください」等々のお決まりの前説はやけに芝居がかって聞こえていたのだった。しかしそれも、前説自体があらかじめテキストに書き込まれ、演出もつけられたものであったがゆえのことであることがここで明らかになる。あるいは前説の直後、桑折が遠い目で上空を見つめていた場面では、そこに氷見の花火が「見えていた」ということが明かされる。「俳優が舞台に立つとき、何を拠り所としてそこに立っているのか」という問いに対する、普段は観客に明かされることのない答えが、ここでは身も蓋もなく曝け出されている。一見したところそのように見える。
[撮影:永原圭介]
「実況/副音声」というタイトルの言葉に引き寄せて考えてみても、それが上演に対するある種の「解説」であることは間違いない。だが、桑折のセルフコメンタリーは必ずしもそのすべてが「ネタバラシ」的なものではなく、ときに雑談めいて脱線し、あるいは2周目の上演へのコメンタリーへと転じてしまう。しかも、観客が桑折のコメンタリーとともに楽しむことができるのは、1周目の身体そのものではなく上演の音声と、1周目をなぞろうとする桑折の身体のみなのだ。
さらに言えば、1周目の身体をトレースするという試みには、最初から成功の見込みがない。そもそも1周目の音声だけを聞いてそれをトレースするという試み自体の難易度が高く、桑折はしばしばそれに失敗してしまう。それだけではない。セルフコメンタリーに集中せざるを得ない桑折の身体が、1周目と同等の強度を獲得することはあり得ないのは言うまでもないだろう。1周目の上演の充実がなければ2周目は成立しないが、充実した1周目によって2周目のコメンタリーが充実するほど、2周目の身体はまさにカラオケがごとく表面的なものとなっていく。
[撮影:永原圭介]
一方で、1周目の身体には強度はあれど、上演として面白かったかと言えばかなり微妙なところだ。もちろん、1周目の30分弱は桑折の奮闘によって上演として成立してはいたのだが、それはひとまず「見ていることができた」という話に過ぎず、そのパフォーマンスを独立した作品として見ることは難しい。作品全体の構造を踏まえれば、1周目の上演は2周目が存在することによって担保されていることも間違いないのである。
私にとってこの作品の第一の面白さは、俳優の身体をそんなパラドックスめいた状況へと追いやるその構造にあった。では観客の側から観たらどうだろうか。1周目の桑折の身体の強度はその保持するイメージによって支えられているが、それは観客には見えない。観客はそのイメージの一部を2周目の実況あるいは副音声によって知ることになるが、そのときそこにあるのは1周目の身体のかたちをなぞる2周目の身体のみである。それでも観客はそれらの向こうに目の前にはない1周目の身体を透かして見るだろう。改めて問おう。上演に対峙する観客たる私は一体何を観ているのか。問えば問うほどその答えはすり抜けていくようにも思える。だが、追えばするりと逃れる陽炎を追うようなその体験こそがこの作品の妙味だろう。
[撮影:永原圭介]
「1人の俳優のための5人の演出家による上演」の締めくくりとなる、あごうさとしの作・演出による『この春に』は3月14日(土)に京都公演初日を迎え、松本、富山を経て27日(金)に東京公演千秋楽を迎える。1人の俳優と5人の演出家による旅の行き着く先を見届けたい。
鑑賞日:2026/02/04(水)