
会期:2025/12/20~2026/03/08
会場:京都国立近代美術館[京都府]
公式サイト:https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionarchive/2025/465.html
前編で見たように、石原友明の《世界。》のまばゆい光と鏡面に映し出された小谷元彦の《Phantom-Limb》が共存する空間は、視覚の優位性や「見られる対象=女性」というジェンダーの不均衡性という、美術の制度における「セカイノコトワリ」を圧縮して差し出すものでもあった。これに対し、女性の身体表象そのものを消し去ることで、逆説的な応答を示すのが、笠原恵実子と松井智惠の作品である。
笠原の「OFFERING」(2005-2014)は、世界85カ国で撮影したキリスト教会に設置された献金箱の写真と、それらに基づいて制作した立体作品からなるシリーズである。写真は、ポスト状の大型の箱、スリットのある箱、彫像や装飾のついたもの、皿、かごなど形態ごとにタイポロジカルに分類されている。一方、 献金箱の写真を元に、「穴やスリットの開いた容れ物」として立体化した作品には、「Marina」「Agnes」「Theresa」などキリスト教の聖女の名前がタイトルに冠せられている。宗教的な献身行為である寄付が、卑しく世俗的とされる金銭で代替される矛盾とともに、笠原の過去作品とつなげて見ることで、聖/俗の二元論的な女性観が浮かび上がってくる。

笠原恵実子「OFFERING」(2005-2014)展示風景[撮影:大町晃平(W)]

笠原恵実子「OFFERING」(2005-2014)展示風景 [撮影:大町晃平(W)]

笠原恵実子《OFFERING-Marina》(2005)[筆者撮影]
笠原は、ベッドで口・肛門・女性器が位置する箇所にコンパクトミラーの形状をした3つの穴を埋め込んだ《Three Types》(1993)や、25人の女性の子宮口を撮影してピンクに着色した写真作品《Pink》(1997)において、「穴の開いた構造体」として女性の身体を再構築してきた。「OFFERING」の立体作品でも、女性の身体を「穴を介して金銭を受け取る箱」として即物的に還元し、かつ聖女の名前を個別に付けることで、「金で買われる賤しい身体」か「清らかな聖女」かという極端に二極化されて表象されてきたことを痛烈に突きつける。性的な欲望の対象とミソジニー、処女崇拝が同居する矛盾した構造そのものを、笠原の作品は可視化する。
個別性を備えつつ女性の身体を「物体」に還元する笠原の皮肉な手つきに対し、松井智惠の「LABOUR」シリーズは、「彼女は欠落する」という一文を壁に書きつけ、「彼女」の姿そのものを消し去ってしまう。向かい合う赤い壁には、「彼女は労働する」という一文が書かれ、その下には透明なガラスボックスが階段のように積み重ねられている。一番上のボックスには引き出しの取っ手が付けられ、ドレッサーのようにも、行き止まりの階段にも見える。「彼女」が行なっている労働とは、どこにも辿り着けない階段の昇降のように、終わりなき反復の単純なサイクルなのか。姿の見えない「彼女」が行なう「労働」とは、不可視化された家庭内のケア労働ではないだろうか? また、透明のボックスには「お金を入れる穴」がない。家庭内のケア労働には「金銭」「対価」が一切支払われないという矛盾が、笠原作品と併置して見ることで浮かび上がってくる。あるいは、「穴のない箱」が象徴する「彼女の労働」には、「妻の役割としての夫の性欲処理」「家庭内の無賃金セックスワーカーとしての妻」も含まれるのではないだろうか。

松井智惠「LABOUR」(1993)展示風景[撮影:大町晃平(W)]

松井智惠《LABOUR-4》(部分、1993)[筆者撮影]
一方、残りのもうひとつの壁には、「彼女は説明する」という一文の下に、本(辞書)が半円形に置かれている。本(辞書)は知的作業のメタファーでもあり、包囲網のように「彼女」を取り囲む様子は、女性やマイノリティが自身の置かれた立場を常に説明しなければならない事態も思わせる。「何を」「誰に向かって」説明しなければならないのか。姿が見えなくされているからこそ、本作は「想像せよ」と呼びかける。あるいは、「何が彼女の姿を不可視化しているのか」と。

松井智惠「LABOUR」(1993)展示風景[撮影:大町晃平(W)]
鑑賞日:2026/03/06(金)