
発行日:2025/12/26
発行所:青土社
公式サイト:https://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=4094
(前編より)
ポリティカル・コレクトネス以降、反共産主義で結集することのできなくなった分断と排斥のためのレトリックは、あらゆる事象に適応され、「真実」の物語がアメリカを中心に広がっていく。第6章ではこうしたキャンセル・カルチャーを呼び起こす「エッセイ」の飛躍を含む文体について検討が加えられているが、アメリカの事例が中心となる第5章までの記述は、いま筆者が要約したような時系列にはなっておらず、アメリカ現代史の素地が乏しいと初読時は多少手こずるだろう。しかし改めて考えてみると、著者のこの構成は意図的なものにも思えてくる。
書名が表わしているように、同書のターゲットはキャンセル・カルチャーが引き起こす「パニック」(混乱)にあり、その言説空間を何度となくトレースすることによって浮かび上がる事象の同質性こそが、著者の伝えたいテーマなのではないだろうか。すでに言及したほかにも、同書にはドナルド・トランプをはじめ多くの政治家や、ニューヨーク・タイムズなど多くのメディアが登場し、それに加え大学教授や著述家などさまざまな組織・人物が俎上に上げられる。彼らは自らの物語が、「真実」として受け止められるようデータを恣意的に取り上げ、誇張することで、あたかもそれが普遍性の「縮図」であるように提示する。しかもそれは無自覚に行なわれていたり、視野狭窄に陥って対話が困難なケースもある。
こうした相似形の議論/騒動が反復される同書の記述の先に浮かび上がってくるのは、真実性が十分に検証されないまま流通した、空虚な中心である。そのことは第5章で詳しく記述される、ステファン・サーンストロームの「物語」が象徴しているだろう。
私がキャンセル・カルチャーに関心を持つのは、この現象に表象が密接に関係しているからである。そもそもキャンセル・カルチャーの輸出国であるアメリカでは、2020年前後を中心に、南北戦争の南軍の英雄、ロバート・E・リーの像の撤去が相次いでいる。背景にあるのはBlack Lives Matter運動だ。リーは奴隷制度、人種差別の象徴として見なされ、標的となった。欧米の事例がほとんどの内容を補足する意図で、訳者あとがきでは日本におけるキャンセル・カルチャーの状況もいくつか触れられている。そこで真っ先に取り上げられるのは「公共の場で掲示されているアニメ・マンガ的な表象の一部が、性的差別であるとして批判される」★4事例だ。キャンセル・カルチャーは往々にして文化戦争として言い換えられるが、その標的となったり、議論を噴出させるという意味では、それは「表象戦争」でもあるだろう。表象という非言語的な器に流れ込んでくるポリティクスと、そこにいともたやすく孕まれる矛盾を、いかにして文化的な生産性に差し向けるのか。その意味で同書は、言説生産者としての私自身の倫理を問い返すような一冊でもあった。
★4──アドリアン・ダウプ『「キャンセル・カルチャー」パニック パニックを生み出す言説空間』(藤崎剛人訳、青土社、2025)p.379
執筆日:2026/03/17(火)