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美のデジタルアーカイブ〈5〉
本物を強化する日本初のデジタルミュージアム 「東京大学総合研究博物館」 影山幸一 |
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東京大学と現代美術といえば、思い浮かぶのが「大ガラス東京バージョン」である。美術作品の価値をモノからコンセプトへと拡大した、20世紀を代表する美術家マルセル・デュシャン(1887〜1968)の手業を用いた大作「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(1915〜1923、フィラデルフィア美術館蔵)、通称「大ガラス」のレプリカである東京バージョン(ミクスト・メディア、縦227.5×横175.0cm、1980年)が東京・駒場にある東京大学教養学部美術博物館 (以下、美術博物館)に収蔵されている。レプリカはストックホルムバージョン(1961)、ロンドンバージョン(1966)、そして東京バージョン(1980)の3つがあるが、東京バージョンはデュシャンと親交のあった瀧口修造と多摩美術大学教授の東野芳明が監修にあたり、東京大学と多摩美術大学共同によってデュシャン没後の1980年に完成された意義深いレプリカである。東京バージョンのデジタル化の意味をオリジナルと複製、あるいはデジタル化の対象はモノかコンセプトなのかなど思案すると、今日のデジタルによる複製を問う一つの機会ともなっており、既成を覆し、思考を促すデュシャンの先見性を改めて感じた。「グリーン・ボックス」(1934)に収められていた93枚のメモから創られたこの東京バージョンは既にデジタルアーカイブされているだろうという予想と期待を込めて東京大学への取材を進めていた。しかし、2002年8月現在、残念ながら「大ガラス」東京バージョンはまだデジタルアーカイブされてはいなかった。またその予定もないようだ。美術博物館がこの秋から改修工事に入るため、作品を敷地内の別の場所に移すことになっており「大ガラス」東京バージョンが再び美術博物館に展示されるのは、1年後の2003年秋以降になる予定という。
「総合研究博物館」のデジタルアーカイブは、2002年8月までに約7万点の資料がデジタル化された、と総合研究博物館助手の鵜坂智則氏は状況を話してくれた。基本的にはデジタル化の作業は委託した業者が、資料に慣れたカメラマンを起用して新規に撮影を行い、そのポジフィルムをデジタル変換してKodakのフォトCDに記録している。フォトCDのデータは一旦ハードディスクに移行した後、ハードディスクのデータとして活用する。バックアップ用に磁気テープにもコピーをとっている。資料により、また研究目的によって撮影方法やデータ構築方法は異なるが、例えば壺を精緻にアーカイブする場合、全方位的に写真撮影を行ってデジタル化し、レーザー3次元デジタイズ、CADデータ、表面のテクスチャーデータ、X線CTデータ、釉薬の化学分析データ、図案の解説、制作手法に関する分析データなど各データが関連しながら、データ群全体が実物の壺のデータベースとして保存されるように配慮されている。美術関連の資料では、「美術雑誌データベース」が構築されており、「方寸」や「みずゑ」などが検索でき、概要と画像を見ることができる。また、100年以上前の西洋都市の風景や美術文化財の写真は、「亀井文庫西洋写真コレクション」である。販売されていた記念品ではあるが現在では貴重な資料となっている。さらに、日本で最初の植物図鑑である「本草図譜」は鮮やかな絵が大胆な構図で学術的な価値と共に、見る楽しみも味わうことができる。 この「総合研究博物館」の特徴は、資料の希少性と多様かつ膨大な数量の資料を対象とする点にあるが、合わせてマルチメディアでそれらを公開する手法が特徴的である。とりわけ個々の人に応じた解説書(言語〔日本語、英語、大人用・子供用〕、解説時機〔必要時〕、時期〔必要時〕、方法〔視覚・聴覚・触覚〕など)にデジタル技術を応用した展示は先駆的である。しかし、理工系優先で作り上げられているためであろうか、デザイン性に欠ける点は否めない。理論や技術に優れ、同時に情報と人が出会う場としての質、人間が快適に情報享受できる空間環境によって、その継続は生まれるであろう。展示会場における画像表示モニタのキャリブレーション、照明計画や空間構成。あるいはインターネット公開時のデザインや画像表示時間の長さなど、科学や文化を楽しめる感性に響く環境作りも大切であるように思える。 「総合研究博物館」によって美術博物館の作品や資料が管理されているわけではないため、「大ガラス」東京バージョンは「総合研究博物館」でデジタルアーカイブしてはいなかった。将来的には全学の資料600万点以上の資料すべてがデジタルアーカイブされ、公開されるであろうが、個人的には早期にこの「大ガラス」がデジタルアーカイブされることを望んでいる。それは、鉛箔などの素材の変質や劣化、破損など物理的なこともあるが、IT革命期の現在においてオリジナルと複製を多様な視点で考えさせてくれる格好の題材となる点で、この「大ガラス」東京バージョンをデジタル化することは意味深い。モノではなくコトやコンセプトをアーカイブすることにも通じるからである。瞬時や長期のインスタレーションあるいはイベントのように、近年現代美術の作品は美術館に収蔵できない作品が増えてきている。今後の作品のあり方、美術館・博物館のあり方を考える上でも、デュシャンのオリジナルともとらえられるレプリカである「大ガラス」東京バージョンのデジタル化は、多くの示唆を与えてくれるに違いない。
■参考文献 東野芳明『マルセル・デュシャン』1977, 美術出版社 坂村健編『デジタルミュージアム 電脳博物館―博物館の未来』 19971, 東京大学総合研究博物館 『デジタルアーカイブ白書2001』2001.6, デジタルアーカイブ推進協議会 西野嘉章編『真贋のはざま―デュシャンから遺伝子まで』 / 2001.10, 東京大学総合研究博物館 [かげやま こういち] |
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