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アナログとデジタルを行き交い、
メディア・アートの美の本質を探る「三井秀樹」 影山幸一 |
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同じようなことを考えている人がいるものだと興味をもち、その本を購入した。『メディアと芸術』の新書を書店で手にとったのは2002年秋頃だった。「デジタル・アーカイブと電子美術館」の項目があり、さらに「デジタル・メディアと感性」という章では関心のある“デジタル・アートの芸術性”についても触れられていた。著者は筑波大学の芸術学系教授・三井秀樹氏(以下、三井氏)であった。教育的観点からデザインや芸術の根幹にアプローチし、感性の解読や情緒領域の探求を行なっていた。 東京駅からつくばセンター行きの常磐高速バスに乗り、筑波大学へ向かった。
「IT時代こそ、感性を敏感にしなければメディア・アートは単なる私たちの身体を通り抜けるバーチャル・リアリティーにすぎないものとなる」と三井氏は指摘する。 “人類の進歩と調和”をテーマに1970年、大阪で開催された日本万国博覧会(通称:大阪万博)のIBM館で見たコンピュータが三井氏とデジタルとの最初の出会いであったと言う。1968年、ロンドンで開催された“Cybernetic Serendipity展”に三井氏と同世代のアーティスト、幸村真佐男がCTG(コンピュータ・テクニック・グループ)を結成し、POPな感覚の線画作品を出展して話題となった時期である。1946年、米国ペンシルバニア大学のJ.P.エッカートとJ.W.モークリーが電子計算機“ENIAC”(Electronic Numerical Integrator And Calculator)を誕生させた。一般的にこれが世界で初めてのコンピュータといわれているが、図形や画像を生成する技術は1960年代になって登場し、コンピュータ・アートや電子絵画などと呼ばれていた。1980年代の様々な電気メディアによるテクノロジー・アート(ハイテク・アートともいう)からインタラクティブ・アート、さらにメディア・アートへと、コンピュータと情報技術の進歩によって科学技術が関与する先端的アートの呼称は変わってきた。 一方、美術史では20世紀に入って普及した写真や映画という画像・映像メディアの誕生が写実絵画の意義に迫ることになり、結果ダダイズム、シュルレアリズムなどの新しい美術運動を生んだ。メディアとアートは密接に関係しながら、メディアがアートを刺激し、アートがメディアを進化させている。21世紀のデジタル・メディアによるメディア・アートは、いままでのアウラの存在する実体のある作品の評価を根底から変えてしまう可能性を含んでいる。実体のないデータで成立した作品は、オリジナルもコピーも、データ劣化もなく、同じ作品が複数再現される。その表現された映像や空間を評価・判断することになるが、このデジタルデータを鑑賞するという習慣はまだ一般に馴染みがない。芸術表現として評価された写真や映画のようにひとつの芸術表現としてカテゴライズされるのか、あるいは芸術表現を支える技術として評価を受けるのかは時を待つしかないのだろうか。近い将来、デジタル環境が一般に整備されてくれば、アナログもデジタルもない平等な価値観の中で、優れた作品が評価されていくことを期待する。 幾何学的な抽象絵画を完成させたアーティスト、ピエト・モンドリアン(1872-1944)や印象派の画家に影響を与えた葛飾北斎(1760-1849)、日本的な装飾美・琳派を大成した尾形光琳(1658-1716)などを好きなアーティストと語る三井氏。デザインと芸術の美の共通項を探るためコンピュータで黄金分割*1(黄金比=1:1.618)やフラクタル*2を利用して作品の分割、数量化、解析を試みる。抽象的な美の概念を理論的尺度を持って解明するものである。「美しいと感じるものは形式美の整合性がある」と言う。M.C.エッシャーの魚が連続して文様化した作品「ライデン」を連想する。不規則と見える自然の山並みや雲にも一定の規則性が確認されるらしい。今後は、別の手法を開発してコンセプチャル・アートなど他の美の領域も手掛けたいと語る。 国際的なメディア・アーティスト岩井俊雄や森脇裕之、明和電機(弟・土佐信道)らを輩出している筑波大学大学院芸術研究科では、コンピュータグラフィックスを最初に制作するときもマウスや市販のアプリケーションソフトを使わずBASICやC言語でキーボード入力し、画像を制作するプロセスをブラックボックス化せずに、作品制作の原点に立ち返ることを教えている。「デジタルとアナログのはざまをフィードバックしながら、彷徨する。これがデジタル造形の感性を育む極意である」と三井氏。そして、デジタル技術を芸術・文化に生かそうとするならば、むしろいま以上に研ぎ澄ました感性が要求されるとし、アナログの芸術的感性を養うため、実物制作を重要視している。筑波大学は来年度から法人化される予定であるが、国内にはデジタルを活用して美術の本質をアカデミックに教える機関は数少ない。芸術系の大学生や大学院の社会人受け入れ枠増加なども是非検討してもらい、創造的IT人材を幅広く育成する大学になるよう望みたい。デジタルアートフェスティバル東京や文化庁メディア芸術祭など、作品発表の機会も徐々に増えてきている。 "kansei"という表記が万国共通の用語となったようだ。英語では"sensibility(芸術、倫理などに対する識別能力、感情)"だが、日本語の感性には、感情や衝動、欲望、潤い、安らぎ、数寄、風流、幽玄など、心理的な付加価値のある意味が含まれていると三井氏は言う。たとえメディア・アートの作品から知覚が刺激され、快感を得られたとしても直接芸術性と関係しない。快感ではなく、感動を得られる繊細な心を育む必要があるだろう。メディア・アートによる光(モニタの光やプロジェクターの光など)の鑑賞は、我々の眼の美意識を進化させると同時に、いままで培ってきた絵画鑑賞法など、反射する光で作品を鑑賞する美意識を衰退させているのではないかと不安になるが、新たな美の誕生に伴う危惧であってほしい。三井氏は、デジタルだけで作品を制作するデジタル・アートを含むメディア・アートは、通信機器を応用した創造的表現を総称したものである、と定義している。デジタルアーカイブされてデジタル化した「モナ・リザ」は即メディアになると評価しているが、デジタルアーカイブの活用においての電子美術館では、本物にアクセスするための情報に留めるべきだとしている。デジタルを通して、デザインと芸術の共通の美を学術的に追求する人を三井氏のほかに私はまだ知らない。「メディアはメッセージからマッサージとなり、人は情報の海に漂うのである。いま、芸術とメディアは情報の洪水の中で、進むべき進路を懸命に模索している」いま、明晰な三井氏の美の原理によって、伝統的な美と同様にデジタルの美の価値が一般にも芽生え、新たなメディア・アートの地平が広がることを期待している。 *1:自然や美術作品の形態美を規定している各種の比例の中で、古来最も理想的とされてきた比例法。 *2:幾何学的図形のこと。1975年IBMのトーマス・J・ワトソン研究所のベノア・マンデルブロによる造語で語源はラテン語のFractus。物が壊れて不規則な断片ができるという意味。 ■みつい ひでき 略歴 筑波大学芸術学系 教授。1942年東京生まれ。東京教育大学教育学部芸術学科構成コース卒、東京教育大学大学院教育学専攻科芸術学専攻修了。担当授業科目[芸術専門学群:機器構成演習、構成基礎演習、コンピュータアート、20世紀芸術論、構成基礎演習。修士課程芸術研究科:構成論特講、構成演習C。博士課程人間総合科学研究科:構成論特講、構成論演習]。研究テーマ:新構成教育体系の構築及びフラクタルによる造形の研究、デジタル・メディアと芸術表現の研究。形の文化会幹事・事務局長、日本デザイン学会評議員など務める。著書:『テクノロジーアート――20世紀芸術論』(1994, 青土社)、『美の構成学』(1996, 中央公論社)、『美のジャポニスム』(1999, 文芸春秋)、『形の美とは何か』(2000, NHK出版)など。 ■参考文献 三井秀樹『メディアと芸術』2002.7. 集英社 『筑波大学大学院博士課程人間総合科学研究科 芸術学専攻案内2003』2002.7. 筑波大学大学院博士課程人間総合科学研究科芸術学専攻 Paul Levinson著、服部桂 訳『デジタル・マクルーハン 情報の千年紀へ』2000.03. NTT出版 [かげやま こういち] |
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