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世界最大の恐竜博 2002 ほか | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主催=朝日新聞社ほか | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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世界最大の恐竜博
2002 かつて1億6000万年もの間地上に君臨した恐竜たちの世界が、この夏、幕張メッセによみがえります。 全長35mのセイスモサウルスの全身復元骨格を初公開するほか、世界中から40体以上の全身骨格や貴重な化石を一堂に集めた、かつてない規模の恐竜博です。
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横尾忠則 森羅万象 横尾忠則(1936年生)は、1960年代初めのデビュー以来、グラフィック・デザイナー、イラストレーターとして、つねに時代をリードし、世界的な注目を集めてきました。 横尾の活動は、通常のグラフィック・メディアにとどまらず、演劇、映画、音楽、放送、文筆など、あらゆる表現メディアに及んでいます。また、40年にわたって、若い世代のライフスタイルや世界観にも大きな影響を与えるオピニオンリーダーであり続けていることも、注目に値します。 それとともに横尾は、1981年のいわゆる「画家宣言」以降、多様な主題とスタイルを駆使して、鮮烈な絵画作品の数々を精力的に描き続けてきました。20年間の「画家」としての活動から生み出された数百点にのぼる作品群は、いわゆる「現代美術」の狭い枠の中にとどまらず、人間の普遍的な感情や記憶に直接訴えかける、アート本来の力を持っています。 この展覧会では、40年以上に及ぶ横尾忠則の活躍の全貌を、絵画を中心に約400点の作品を通じ、およそ20のテーマ別に構成して、総合的に紹介するものです。1965年の最初の個展の出品作から最新作まで、多面的な作家の全貌を鳥瞰する、これまでで最大規模の回顧展となることでしょう。あわせて、現在進行形の大プロジェクト「トレビの泉」のマケットも初公開される予定です。
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小倉遊亀展 小倉遊亀画伯は1895(明治28)年、滋賀県大津市に生まれました。1913(大正2)年に奈良女子高等師範学校に入学、ここで図画の教師であった横山常五郎に絵の指導を受けました。その後、名古屋や横浜の高等学校で教鞭をとるかたわら、日本美術院同人であった安田靫彦画伯に師事、再興日本美術院展に出品して1926(大正15)年に《胡瓜》で初入選、1932(昭和7)年に同人に推挙されました。1936(昭和11)年には教職を辞して画業に専念、以後2000(平成12)年7月に亡くなるまで、日本美術院を代表する画家として活躍しました。 小倉画伯の作品は、身近にあるものに題材をとった人物画や静物画が多くをしめています。澄んだ色彩と骨太な線描、そこから生まれてくる明快な造形には、東洋的な精神性を重んじる日本美術院の伝統を引き継いだうえで、なお豊かな日常感覚に支えられた近代的な表現が明確に打ち出されています。小倉画伯が本格的に活動をはじめた昭和初期は、明治以降の日本画が一つの頂点を極めるとともに、また新たな展開を求められていました。そうした時代をくぐり抜けて築かれた画業は、まさに昭和の日本画に新しい変革をもたらしたものとみることができます。 今回の展覧会は、初期から晩年に至る小倉画伯の代表作約80点をあつめ、その画業の軌跡を辿るとともに、それらが近代日本画の流れに果たした役割と、今後の日本画のあり方に今もなお示唆するものをあらためて探ろうとするものです。
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